また画材系化粧品およびその増殖理由の考察


画材系化粧品ばかり買うてしまう、という話を以前にも書きましたが、またやってしまいました。

お肌がくすんできたからファンデーション的なものを買わねばな〜〜 と思って買い物に行ったのだが、なぜかこの愉快なお色のアイカラーを買うて帰ってきたのでした。(※右上は似た雰囲気のふせん。)




これ、どう使えばよいのか……。
そして気付けば手もとには、同じくトンチキな色のアイシャドウ、異常にラメラメしたアイシャドウ、ピンクや赤や真っ青のマスカラ、ちょっとずつ使い残した変な色のマニキュア……など色のついた使いづらい化粧品ばかり!!






私はどうも、「肌色のものを買えない(買うと損した気になる)」という症状があり、ファンデーションやらコンシーラーやら基礎化粧品やらを買うのが楽しくないのであります。ナチュラルに綺麗に見せるためのもの、アラを隠すためのもの、としての化粧がどうも不快で、むしろ色塗り行為であってほしいのです。
この理由を考えてみました。


1) そもそもの化粧というものに対する複雑な感情

化粧というものは、色塗り行為としてはなかなか楽しくも思うと同時に、社会的に女にのみ要求される化粧については、なんとも複雑な感情があります。
化粧をめぐる言説は常に矛盾と両義性にまみれています。
高校までは化粧が禁じられるのに18歳を過ぎたら急に「社会人としての嗜み」とされる、という矛盾。また、化粧をしてない女は変人扱いされる一方で化粧したらしたで「女は嘘つき」扱いされるというダブルバインド。など。ワシはこういった化粧をめぐる窮屈な言説が嫌いなのだ。


とりわけ心苦しいのは、化粧をすべきであるとされるのに、化粧をしていると分かる化粧はよろしくないとされる(厚化粧は嗤われナチュラルメイクが賞揚される)、という複雑さです。
すなわち「ナチュラルを作らねばならない」という不自然。
これも、その矛盾を攻略するゲームとしてのっかれれば楽しいのでありましょうが、私はそこまで成熟したゲーム欲をもっていないので、ただただうざい規範です。先日「頑張りが顔に出るのはプロじゃない」という台詞を含むCMが「炎上」しましたが、そうした言説にケッ!と思ってしまうのです。
それなら、「塗ってますよ、社会人としての嗜みとやらをやってみてますよ」とアピールした結果なんでか過剰になってしまうアンナチュラルメイクのほうがいっそ潔い……という思いが私を、画材系化粧品に向かわせるのでありましょう。



2) 単純に色が好き

あとは単純に私が「色がいろいろあるものを見ると興奮する」という性質であることです。
以前、森茉莉がそのタイプだったと聞いて「おお」と思いましたが、モノの素材や材質よりもとにかく色に執着するタイプの人というのがいるようです。(以前ちょっとはまってた「体癖」説では、3種体癖の人は素材やサイズでなく色だけで服を選ぶ、とされていましたが、自分がまさにコレで、色に惹かれて買うた結果着られない服がいくつかあります。最近やっと素材とサイズを気にするようになりました。)

そんなわけで、いろんな色のものを見るとそれだけで「わーーーーっ」となってしまうのであります。
洋服も、本当はカラフルなものより無地のシンプルなものをさっくり着るほうがオサレだと分かってはいるのだが、無地の服が買えないのです。
お店でカラーバリエーションがわーーーっと並んでるときはわーーーっと思うけど、一着だけ買うと「あれ……なんかふつうや……」としょんぼりしてしまいます(例:ユニクロのフリース)。

色〜〜〜〜