黙っててごめんね、10月にですね、OASISを観ました………へへ。

東京では他にも小規模博物館を巡ったりお友達に会ったりして充実の滞在でした。最終日には、そういえばちょうどタコシェでラッキー展をやってるんだった! ということで中野に行き、素晴らしき犬作品の数々を観ることができました。

ラッキーさんとは青林工藝舎の柴犬さんです。青林工藝舎のSNSにたまにupされるラッキーさんの写真を見て、ひそかにファンだったのでした。
ラッキー展は、ラッキーさん生誕18周年を記念して、さまざまな作家によるラッキー作品を展示したもの。小さなタコシェの隅っこの小さなスペースでしたが最高でした!
いみり先生による歌うラッキーさん

タコシェといえばミミヨさんのラッキーさん

清水沙さんの青い絵、綺麗だな~~(青パイロンもいる!)

美しい~~津川聡子さんのラッキー箱とドブリン!さんの張り子(?)ラッキーさん

ちと怖い、御大たちのラッキーさん ……タコシェに来ると17歳のサブカル少女の心になってしまうよ~~

他にも気に入った作品があったのですがこれくらいで……。
犬の18歳は尊いです。これからも元気でいてほしいです。
青林工藝舎プレ30周年+ラッキー生誕18周年ZINEも買えました!! 素晴らしかったです(最後には手塚能理子さんへのメッセージも…)。

まず最高な写真の数々。ふかふかの白いお腹を見せている写真、後ろ脚を伸ばしたゆる座り、街角でのおさんぽの様子は(べつにさほど昔の写真ではないはずなのに)どこか懐かしく。
年表と「実録ラッキー物語」では、知らなかったラッキーさんの歴史を知ることができました。脱走した際になぜかどこかのカメと一緒に保護されていたなど、細部のエピソードまで愛しいです。
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ラッキーさんにはお会いしたことないですが、おてもおすわりもしない気ままな犬さんらしく、ちょっとまめ子のことを思い出しました(まめ子はおてやおすわりは(意外にも)したのですが、全体的に猫っぽい犬だった)。ラッキーさんはペットショップ出身ですが、青林工藝舎のビルにやってくるまでに紆余曲折あったらしく、そんなところも野良犬であったまめ子と似ているかもしれません。そういえば当初は家族から複数の名前で呼ばれていたというのも同じだし(ラッキーさんは「太郎」とも呼ばれていたらしい、まめ子は母のみ「マギー(マーガレット)」と呼んでいた時期があった)、脱走経験があるのも同じ……
ああ、こうして、他の犬の話をしていたはずがいつしか自分の犬の話をしているのって犬飼いあるあるですね。
まめ子存命時も、他の犬飼いさんと話していると、お互いに会話のキャッチ―ボールをしているようでよく聴くと互いに自分の犬の話しかしてない、みたいなことがよくありました(「うちの子はね……」「うんうん、うちのまめ子も……」「へー、うちの子は……」「まめ子は……」の応酬が延々続く)。今年・今日で、まめ子没後10年になりますが、未だにやっていることは変わりません。
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落ち葉のかさかさを踏むのが好きなまめ子

散歩中に寝始めるまめ子(私が散歩係のときのみやる)

数少ないお友達とまめ子

まめ子のよく座っていた石段

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まめ子が我が家にやってきたのは2005年の9月。そこから10年と少し、2015年の11月までを我が家で過ごしました。よってもうじき、「まめ子が我が家に来てから去るまでの期間」よりも「まめ子が我が家を去ってからの期間」のほうが長くなってしまうのです。少し淋しい気がします。しかし時は前にしか進まないもの、それに、まめ子という存在が宇宙に刻まれてからの月日は、宇宙在る限り長くなるばかりなのです。
まめ子を飼い始めたばかりの頃、まめ子を散歩させていると知らんおじいさんがまめ子を撫でにきていとおしげに言うことには、「昔うちも犬がいたんや、うちのが死んでしもてから、どんな犬でもええねん、犬はみんな好きや」。そのときは「フーン」と思っただけでしたが、まめ子がいなくなって初めての冬に、あああのじいさんはこの気持ちやったんやな! とよく解りました。街を川を公園をゆくすべてのいぬいぬに愛犬のふわふわが投影され、まるで私は、すべての犬の親になったような気持ちになったのでした。
これからも私はすべての犬の中にまめ子を見続けるでしょうし、宇宙はそんな私たちを思い出し続けるでありましょう。ずっとまめ子はおねえちゃん(私)のwonderwall です。






















