前回、「大阪から京都まで歩きたい!」という急な徒歩欲により京街道を41km(約6万歩・9時間)歩いたのでしたが、雨・暮れ始めた日・膨れ始めたふくらはぎ……などにより、京都府に入ったところでのリタイアを余儀なくされました。本当は京都市に入りたかったのでしたが仕方ありません。
で、後日、早速続きを歩くこととしました!
前回の記録:
今回の装備。(徒歩後に京都で仕事があるためふつうの格好をしております)
前回はべつにウォーキング用でもなんでもない踵付きストラップシューズだったのですが、「スニーカーならもっと歩けたのでは」と人から言われ、今回はスニーカーにしてみました。カラーリングがカワイイというだけの理由で買った激安物ですので期待はしません。前回は膝サポーター(100均)も装着していましたが今回は忘れました。
徒歩には関係ないですがともえさんからいただいた福祉施設御影倶楽部のバッジ。気分が上がるので着けてみました。ピンクと若草色が良い。
前回はまだ暗い時間に出発しましたが、今回は朝9:00前に出発。樟葉スタートとしました。
■ 樟葉~橋本(歩き直し)
樟葉-橋本間は前回も歩いたのですが(前回後篇参照)、前回は日が暮れて暗くてなにも分からなかったので再度歩きたい!ってことで樟葉スタートとしました。
京阪電鉄樟葉駅には「京都志津屋」など「京都」を冠したお店が入っており、前回に比べ、既にかなり濃厚な「京都」の気配を感じながらの出発となります。
志津屋の並びで見つけた吊られサンタ
前回雨から逃れて身体を休めたくずはモール前。今回は前回と打って変わっての晴天です。
徒歩情緒(そんな言葉はない)を誘う歴史街道碑
ひらっきー! また会えたね!
前回歩いた樟葉-橋本間の道は京街道ではなかったことが判明したので、正しい道を通っていくこととしました。歩き直し甲斐があります。前回歩いた道より川側の細い通りが街道でした。
枚方らしく「くらわんか」の名を冠する肉屋あり
われわれのための店あり(私は水瓶会会員です)
捨てられハイチュウあり
回収しづらそうなところに立つポスト
それっぽくなってきたな~~と思ったら、京街道碑がありました! ちらほら古い建物の残る閑静な家並みが続きます。
前回歩いた道にも今回歩いた道の入口にも「樟葉宮表参道商店街」とありましたが、街道から少し離れたところに継体天皇の宮の伝承地があるようです。今回は寄りませんでしたが気になる。『椿井文書』(中公新書)で馬部先生がこのあたりの事情に言及されていたような(現在父に本を貸しているため確認できず)。
お寺のほそーい参道があったり黄色いブロックがあったり用水路があったり、ええ感じの街並みが続きます。
前回は大通り側から見えた水道施設の反対側に出ました。紅葉がきれい。
いったん京阪電車の線路横に出ます。特急が来た!
夏の情緒を感じさせる行き止まりです(秋だが)
前回真っ暗でなんも見えんかった樟葉砲台場跡に出ました!
黄色い看板に「八幡市」の文字があります。砲台場自体は枚方市ですが、この石段からは八幡市らしい。さりげない府境!!
砲台場は、松平容保の建白により異国船が淀川に侵入した場合の防衛として(しかし実際は尊攘派からの京都防衛として)作られた、との解説がありました。今ちょうど『夜明け前』(藤村)のそのあたりを読んでいるので感慨深いなあ。だだっ広い草地が広がっていて、お掃除の方とかランニングしている人とかがおられました。天気もいいし気持ちのよいところ。近くに住んでたらしょっちゅうここに来て、ベンチに座って読書したり電車を眺めてぼんやりしたりしたいな~~。ひろびろとした光景の中を、京阪ミャクミャク電車が走ってゆきました。
草っぱらのすぐ背後が高台になっています。いつも電車から見える風景です。
なぜか道を間違って無駄に高台に登ってしまい体力を消費しました。しかし高台から見える景色も知りたかったのでちょうどよかったです。
橋本塩釜に出ました。あっ、この交差点、5年前の大阪-京都チャリ往復の際に道に迷ったときにも通ったところだ~~! ラーメン屋さんの塩看板は、「塩釜」だから?
先日暗い中で痛いふくらはぎをひきずりながら見たこんもりゾーンも、晴れた朝に見るとこんなに良き風景。
道なりに線路を渡ると府道13号に出ました。堂々たる「京都府」看板があるっ、府境らしい府境だ、やったあ!!
府道13号は淀川沿いに伸びています。ここをずっと歩けばいいのかな……?と思ったけれど、歩道は無いし横断歩道も無いし交通量はすごいし(上の写真では分かりませんが)、これは人が歩く道じゃないっぽい! 人影のない中ただ一人働いておられたガードマンさんに道を尋ね、橋本駅の方へ出ることができました。前回のゴールだったところです。よし!ここから新規徒歩や!
京阪橋本駅のあたりから京阪石清水八幡宮駅(旧八幡市駅)あたりを目指し、そこから御幸橋を渡ればどっかで京都市に入るはず!
やたら趣きありげな建物が並んでいるな……と思ったらば、このあたりは橋本遊郭跡地があるのでした。
「水嫌地蔵」というお地蔵さんがありました。川沿いであるから水害から守る的な意味なのかな。お顔が塗られているお地蔵さんは京都市内でよく見ますが、八幡にもおはすんですね。
道標あり
この道標からちょっと引き返して再び遊郭の方へ。
昔ながらの看板を掲げたお酒屋さんがあると胸を締め付けられます(昔我が家にもあったので)
川に面した並びが旧遊郭らしく、昔に五条楽園で見たのと同じような装飾の建物が残っています。好きな感じのステンドグラスなどがありました。
現在は中国茶のお店や旅館になっていました。ネットで調べると、歴史的価値ある建物を残すために中国出身の方が購入されたのだそうです。遊郭ってけっして古き良き煌びやかだけではない世界であったことを知識としては知っていても、一方でその建築や装飾には惹かれてしまう(もちろんそうした世界であるからこそ人を惹きつけるように作られているわけでしょうが)、人(私)の感性って因業であるのう、というアンビバレンスをいつも感じます。キラキラ遊郭消費みたいなやつにはできるだけ関与したくないとは思っているのですが(こうした文脈での「消費」って言葉は曖昧なのでもうあんま使いたくないのですが便利なので使ってしまった)。あ、そういえば招き猫をよく見ました。五条楽園の金魚みたいにこのへんのシンボルやったりしたんでしょうか?
橋の袂には山崎・愛宕・柳谷を示す道標がありました。ここから渡し船が出てたんかな?
あちゃ、また車びゅんびゅん府道に出てしまいました。仕方ないので川沿いの街並みを観ながら歩いてゆきます。
この写真は車が途絶えたときに撮ってるので分かりにくいですが、両側を川に挟まれたこの道を車がびゅんびゅん通り、歩道はこれっぽっち。
基本的に歩行者や自転車の通行は想定されていない道であると思われますが、草の中にストロングゼロの空き缶が複数棄てられておりびびりました。誰がどんな状況で?
あまりにびゅんびゅんなので再び細い道に入ることとしました。これちょっと珍しい?(「この〇の中に止まってください」)
廃ホテルがあった!!
洋館みたい! 蔦が凄い!
写っていませんが、洋館のようなホテルの隣には和風の石灯篭が立ってました。住宅街の中にこんなホテルがあるのもふしぎ。
歩いていると二宮忠八飛行器工作所跡が。
わああ。「飛行機」でなくて「飛行器」だ!! そういえば八幡には飛行神社もあるんでした。
しばらくずっと京阪の線路と並行して歩きます。そうそう、このへんは木々のもこもこする中を電車が走っていくのです。
ん?
架空の生き物!!
11:00前、京阪石清水八幡宮駅あたりに到着! 歩き始めて2時間ほどです。良い感じ。
可愛い珈琲屋さんがあったので撮りました。
■ 橋を渡る
このあたりは木津川・宇治川・桂川の三川が合流する地点でもあります。これらが淀川となって海に注ぎこむわけで、激アツ地点です。私は一時期「川の合流点」に凝っていた頃があり、自転車で合流点を見にきたりもしてたんでした。
石清水八幡宮も観光客が増えたんでしょうか。新しそうなきれいな広場ができていました。
防災パーゴラ&かまどベンチ
御幸橋。まずは木津川を渡ります。京阪の民がみんな大好き「京阪の赤い橋」も見えて最高。
橋を渡ったところにある「さくらであい館」に入りました。展望台に上ります。
展望台から三川合流点が眺められるのです! 川の合流、萌え!!!
さくらであい館では土産物とともにちょっとした軽食も売られています。小腹が空いたのでなんか食べようかな、そうか飲み物とお菓子で小休憩を……と思いましたがまだ時間は11:00頃。京都での仕事は15時頃からだし、ここから市内入りして12:00~13:00頃に伏見あたりでゆっくり昼飯&お茶にすればよいでしょう。ということで展望台だけ見てさっさと徒歩を再開しました。しかしこの判断は誤っていたことが後に明らかとなります。
さくらであい館を出て、今度は宇治川を渡ります。
良い天気の日に大きい川を徒歩で渡るのは本当に気持ちよい! 但しこの橋は明治期以降の木津川の付け替えにより架けられたものだそうで、このへんの地形は本来の「京街道」があった頃とだいぶ変わってるんだろうなあ。
道なりにゆくとでかい高架がそびえています(京滋バイパスと石清水大橋=国道478らしい)。巨大構造物のふもとを通ると畏怖でドキドキする。
京守歩道橋ってのがありました。
「京守」って、このあたり=京都への侵入口を守るってことでついた地名なんでしょうか? って思ったけど単に「京都守口線」の略?
広い敷地の工場や倉庫が並びます。
好きな感じのお店がちらほらありました。
入ろうかな~?と思ったけれど、もうちょっと歩こうと思ってスルーしてしまった。ここで飯を食っておけば……。
マップによるとどこかで京阪の線路を横断せねばならないようでしたが、すっかり道を見失ってしまいました。やはり、巨大構造物・巨大河川・巨大駅などが入り組むと突然道が複雑になり迷ってしまう。歩道橋があったのでそれで渡ることができました。車両基地が見えました!
青空にふさわしい落書き
いつの間にか京都市入りしてました!
■ 淀
あとで確認したんですが京都市/八幡市の市境て非常に複雑なんですね。車両基地を跨ぐと、美豆(みず)という地域に出、畑が広がっています。またも道に迷いグーグルマップに頼るとおよそちゃんとした道路ではなさそうな通路を指定され……
でもなんやかんやで京街道の続きに出ました!
京都市内でよく見る「南部公園管理事務所」の犬だ~。
ここは河津桜で有名なあそこですね。淀の桜は以前見に来たのでした。
橋の袂の色とりどりのお花がなんか可愛かったので撮りました
クジラ
知ってる界隈に出ました! 淀駅や競馬場の近くです。以前淀城跡を見たときに散歩した界隈ですが、その時(数年前)には健在だった郵便局がなくなってました。°(°´ω`°)°。
ともあれ、やっと淀駅! 12:00頃。さくらであい館から1時間くらい。道に迷ったこともあり、長かったな~~。
駅の西側に出て、マップに従いいったん府道13号へ。
納所(のうそ)に出ます。趣きある地名。「唐人雁木旧跡」という碑があります。
説明板によるとかつてこのあたりが京都-大坂をつなぐ港で、皇族に納める穀類の倉庫があったらしい。へ~~。「雁木」というのは朝鮮通信使の上陸用の階段のことらしいです。昔の川の様子、水運の様子って、今想像する以上のものだったんだろうな~。
さてここでまた道間違え。
マップによると「いったん府道13号に出たのち再び京阪線路沿いに戻る」ことになっているのですが、なぜか私はこの碑を見た後府道13号沿いに歩き始めてしまい、京阪線路からどんどん離れていったのでした。15分ほど歩いたところでやっと気づきウググ……と引き返しリカバリ(競馬場との位置関係がおかしいことで気づいた)。これは地図苦手人あるあるでもありワーキングメモリかなんか分からないがそういうのがホワッとなりがち人あるあるでもあると思われますが、「いったん府道13号に出たのち…」という情報を理解はできるもののこのうち「いったん」「に出たのち…」部分が次の瞬間には蒸発しており「府道13号」だけがインプットされ勝手な思い込みが生じてしまうのですよね。今回、長い距離を歩いていると、このパターンが何度も何度も何度もあり、自分の認知特性がよく理解できたのは収穫でした。これをお読みの同族の方はたぶん解ってくれますよね? まあ別に目的地があってないような徒歩なので、地図を読み違えたところでたいした被害もないのでいいのですが。
あとまあ、道を間違えたおかげで、なんかファンキー(?)な畳屋さんとかこういう旧モーテルみたいな建物とかに出会えたのはよかったです。
鳥羽伏見の戦いの供養塔もありました。
◾️淀ー中書島ひとり修行
さて来た道を引き返し、再度マップにある道へ。しばらく京阪の線路に沿って歩きます。
ここにも戊辰戦争戦死者供養の碑がありました。
グーグルマップによると、ここだけでなく、この近くの複数のお寺に戊辰の戦死者が埋葬されており供養碑があるようでした。二年前会津に行ってからますます、戊辰の頃の延長線上に今の世があるのであるなあ……と感じますわ。供養塔の裏側が下野第二公園という小さな公園になっており、少しだけベンチに座りました。
歩行者が少ない道をひたすらしばらく歩きます。今回はなんか、歩行者の通らない道ばかり歩いています。前回と違って晴れているのは気持ちがよいが、11月にしては暑いほど。いや、暑い!! 上着を脱いでも汗ばむし陽射しがやばい! もっと日焼け止め塗ってくればよかった……。
踏切が出現。ここで線路を渡ります。
宇治川沿いに出ます。
しばらく宇治川と京阪の線路の間の道を歩き続けます………歩行者がいない!! 線路の向こうに見えるのはゴミ処理場・さすてな京都。今年6月に紫陽花見に来たところです。
道間違いでだいぶ時間をロスしたため、時刻は既に13:00頃。かなり空腹になってきましたが御覧の通り飲食店のようなものはありません。八幡か淀でなんか食うておくべきであった………。ひと気はなく、お仕事中の車両がときどき通るだけ。トラックの運転手さんに不思議そうに顔を覗き込まれました(なんでこんなとこ歩いてんの?的な)。日除けもない道なので太陽がひたすら暑い。なんで毎回修行のターンが挟まれるのか? 前回は樟葉でしたが、今回の修行は淀-中書島か。今回、樟葉-八幡が案外順調であったので楽勝で昼過ぎには伏見宿あたりについているだろうと考えていたのでした。淀-中書島って京阪電車だとひと駅だけだし。しかし淀-中書島間って、京阪電車で最も駅間の距離が長い区間なんですね! 手元にあります『京阪電鉄のすべて』(「旅と鉄道」編集部編、山と渓谷社)という本によると、駅間の距離はここがダントツで4.4km(二位は石清水八幡宮-淀間の3.5km、ここもなかなか)。線路沿いのひと気の無さも加味するなら、おそらく京阪沿線で最徒歩苛酷区間はここではないでしょうか? 歩く人いるんかな?
そして……さらに徒歩苛酷状況が発生しました。
宇治川大橋(=1号線)が現れたのですが……横断できない!!!
見渡す限り、横断歩道が無い! 横断歩道があるところまで歩こうかと思いましたがどうも徒歩10分圏内に横断歩道があるようには見えない! かといって、交通量が凄まじく(写真ではあまり分かりませんが)横断歩道のないところを横断するのは非常に危険。両側は線路と川。線路側には通れるところはなさそうだし、川沿いも土手に歩道はなさそうだし、どうすれば……?
途方に暮れ、橋の袂で立往生しつつ来た道を振り返ると――
土手に先人が切り拓いたっぽい一筋の道が!!
先人たちよ~~~
よく見ると川でなんらかの作業をしているらしき人たちがいました。
草を踏み分けて橋の下をくぐり1号線を越えられた~~やった~~!!
記念撮影
前回は残念ながら橋本でリタイアしたのでしたが、橋本で切り上げておいて賢明でした。日が暮れてからこの道をゆくのは流石にちょっと大変すぎたかも。土手が歩きやすくなったので次の巨椋大橋は問題なく越えられました。
なんかいい感じの道に出ます。
宇治川から東高瀬川が分岐しています(というか東高瀬川が宇治川に流れ込んでいる)。マップによると「細い緑の橋を渡る」とあり、あれかな……? と思われる橋があったのですが……
老朽化のため通行止めになってた!!! わあああ!!!
今回「橋が渡れない」と「歩行者がいない」が多い! (※今、京街道サイトを確認してみたところ、宇治川大橋も緑の橋も迂回するコースが示されていました。最新の状態に更新されたようです。どうやら私は更新される直前のマップをダウンロードしてしまったのでしょう。)
仕方なくあたりをうろうろします。
京阪の線路
京都大学防災研究所への憎しみの落書き
鼓月がある……お腹すいた………千寿せんべいをくれ……
腹は減っているがよい光景が続きます。
このへんはまあまあ土地勘があるので、なんやかんやで、三栖閘門に着きました!
十石舟のお客さんたちがいて、観光地を感じます。周囲は公園になっており、何か管楽器の練習をしている人がいて、その音楽を聴きながら歩きました。
そしてこの橋を渡る予定だったのですが………また通行止め!!
閉店力に加えて通行止め力まで身につけてしまったのでしょうか? この後もあらぬ方に進んでしまいまたも歩道のない道路に出てどうしようもなくなり引き返しを余儀なくされ……いうてる間に、飯を食わぬまま時間は14:00に。やばい、仕事の時間が迫っている。中書島駅で電車に乗ろう。しかし、中書島駅が近くにあることは分かるのになぜかたどり着けない………カフカの城や。
観月橋(処暑橋)が素敵だなあ。でも中書島駅のほうへ行きたいんだ……
道に迷いつつも、好きな看板があったので撮りました。
ガードマンのおじさんに遭遇して道を教えてもらうことができ、無事、伏見港公園を抜けて駅のほうへ出ることができました。今回はガードマンさんに世話になってばかり。
駅に向かう信号待ちでふと見ると、ズボンにくっつきむしがめっちゃついてました。
ナメクジみたいないもむしさんいた
当初の目標としては伏見宿あたりまで行きたかったんですが、時間切れだ、仕方ない!
中書島駅周囲を少し歩き、「京橋」を見て締めることとしました。なぜならこの徒歩は前回大阪京橋から始まったから……。
いい名前の公園
京橋だ~~~
伏見口の戦い跡でもあります。ここは以前にも当ブログにupしたところですね。灰皿はなくなっていました。
周囲は美しく紅葉していました。
寺田屋の周囲には人が群がっていましたが、いよいよ電車の時間になったので目もくれず中書島駅に向かい、14:30頃徒歩終了。なんとか仕事に間に合いました。結局昼飯は食べられませんでした。また続きを歩きたいです。
・今回の記録: 5時間12分、24.47km、34678歩
そんなもんか……という感じです。なんか前回の6万歩を思えば普通の散歩に思えてしまいますね。まだまだ歩けそうでした。
・今回の学び:
(1)まだまだ歩けそう、と申しましたが、前回3万歩あたりで既にちょっと脚の付け根が痛かったことを思えば、やはりスニーカーは徒歩に適しているようです。そんなことはほとんどの人が既に知っていることであると思われ40を過ぎた人間がわざわざブログに太字で書くことでもないのですが、私はスニーカーがなんか苦手で、かつ昔から踵のある靴でけっこうな距離を歩き回っていたため、スニーカーが歩きやすいという実感がなかったのでした。(スニーカーが苦手なのはべつに美的な理由ではなく、子どもの頃に「靴ひもが結べない」という理由で怒られまくったことが未だに尾を引いていると思われますが、今回やっとスニーカーへのわだかまりが消えた気がします)
(2)淀-中書島間が苛酷すぎる。