芥川賞受賞作を遡って読んでいるひとこと感想の続きです。70年代の分です。
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■ 森禮子『モッキングバードのいる町』(1979年下・第82回)
米国在住日本人妻の話。米谷ふみ子『過越しの祭』(85年受賞作)と同じく自伝的作品なんかな?と思ったが作者の経歴を見る限り違うみたい(作者の姉が国際結婚だったらしいが)。罪や苦悩という後ろ暗いものによって逆に(?)異郷である町に戻るべき場所として結ばれるというところが面白かった。日本人妻たちにそれぞれの事情があったり、白人社会への同化を誇りとする「インディアン」青年/異国の生活習慣に従うほど心が乾いてくると言う主人公が対比的に書かれていたり、人物もその要素も盛りだくさんやのにそれぞれが役割をもってまとまっていてこなれた小説という印象やった。もともと放送作家でシナリオや戯曲を書いてきた人らしい。
■ 青野聰『愚者の夜』(1979年上、第81回)
作者はブコウスキーやバロウズの翻訳の人。海外帰りの日本人男性とその妻であるオランダ人女性が世界を舞台にして狂騒的な痴話喧嘩を繰り広げる話。突然現れる奇声が印象的。「ウォッおオーン、ウォッおオーン」(女が他の男と関係したことを知った男)、「ウおッ、ウおッ」「ゥおっほっほっほ」(急にはしゃぎだす女)、「ヒィーい、ヒィーい」(またも女の不貞を知った男)、「ぶるるんヴォーイ」(野獣のつもりになった男)。その一方で、普段の二人は文学的な台詞を饒舌に喋る。不能のカップルの物語(不能を克服する物語)でもあるのだが、おそらく言葉がその不能と関わっている。「性愛」に失敗したときに女は言う。「言葉にしたからよ。なにもいわずに無言ではじめればよかったのに」。
■ 重兼芳子『やまあいの煙』(1979年上、第81回)
表題作はなんかふしぎな作品だった。後半で急に、奇病を発症した青年とその息子に尽くした老婆の母子相姦の話になり、現実みが増し寓話のようになる。表題作の他に収録されている三作品がどれも面白かった。「見えすぎる眼」「白いブラウス」「組み敷いた影」、いずれも戦中~戦後まもなくを舞台として少女の成熟と家族関係を描いたもの。「やまあいの影」で唐突に思えた母子相姦のテーマは、「見えすぎる影」の息子と母の癒着を読むことで、ああ何かこの作者の中で大事なテーマなのかなとわかった。
余談: 以上は私の生まれた年の受賞作。この頃は、選評の文言にも時代を感じる。青野作品の選評では「私の知る限り、いままで日本の小説に、外人がこれほど生臭く描かれたことはない」(安岡章太郎)とか「外人の女といういちばんむつかしい題材と取組んでいた」(丹羽文雄)とかが評価されていて、1979年ってまだそういう時代やったんか~~と思った。また、選考委員は全員男性であり、女性の選考委員が登場するのは1987年とのこと(河野多恵子、大庭みな子)。
■ 高橋揆一郎『伸予』(1978年上、第79回)
50歳手前の女性・伸予が、若かりし女教師時代に思いを寄せた教え子と再び逢う話。教師モノってついつい現代の感覚で読んでしまうので、中学生男子との人目を忍ぶ描写にひやひやした。教え子が女教師に気に入られたせいでいろいろ難儀したことが明かされ、それは世間知らずだった頃の伸予の無防備さを表す描写であるのだが、現代の感覚で読むと単に生徒がかわいそうな話なので「先生~~、そらあかんで」と思ってしもた。それはそれとして、今はもう中年男になってしまった教え子の描写、彼が家を訪れるてくる描写は、湿度と匂いが感じられるかのよう。ラストにびっくり。
余談:現代の感覚との違いということでいえば、内容以上に選評。「読者の共感を得難い老女の恋を描いて、いつのまにか彼女の心情の動きに引きこむのは凡手でありません」(中村光夫)、「初老の女をあえて主人公にしたその力業」(吉行淳之介)など。五十手前が「老女」でその恋心は「読者の共感を得難い」ものだったのか~~!! おれ、もう老女なんか!! ちなみに作者は初の北海道出身芥川賞受賞者だという。
■ 高橋三千綱『九月の空』(1978年上、第79回)
剣道に打ち込む男子高校生・勇の、いつもどこか苛立っているが曲がったところはなく女の子の機微などにはまだ通じない、という主人公像も周囲の人間たちとのやり取りも、ちょっと前の青少年漫画の感じのようで良き。と思っていたら高橋三千綱って漫画の原作もたくさんしているんだなあ。知らなんだ。主人公を取り巻くのは皆どこか哀しく寂しい人たち。中でも「吉田」が気になった。醜い小男でいじめられても怒らないからお坊ちゃんかと思いきや続編で意外な一面も見せるんだけど、吉田のことをもっと知りたい。
余談: これは中学のときに近所のM書店でパラパラ立ち読みして以来。M書店の階段の裏あたりの文庫の棚にあった。M書店は今はもうないが当時しょっちゅう通っていた本屋であり、当時に知った本は未だにタイトルを見るとM書店の書棚の位置が浮かび、内容を読んだものも読んでいないものもすべて、M書店の棚の配置と紐づいて記憶されている。
■ 高城修三『榧の木祭り』(1977年下・第78回)
謎めいた言葉(どこの方言をモデルにしてるとかあるんかな?)や断片的な語りが重ねられだんだん祭りの全貌が明らかになるという謎解き的な面白さが主であった。設定自体はよくある陰惨なものかもしれないが、村の人々の巧妙さに対し「ガシン」が正直者であるがゆえに犠牲になってしまうところに、なんか一種の気持ちのよさがある。それにしても、口減らしにしては手が込みすぎでは……?
余談:amazonレビューには「『楢山節考』を思わせる衝撃」とあって、たしかに、土俗の祭り、伝えられる歌、口減らし、と来るとどうしても『楢山節考』が連想されるし私も連想したがよく考えたらべつに似ていない。「いわゆる土俗的な世界を描いた作品はとりあえず『楢山節考』と比較されるの法則」があるように思う。
■ 宮本輝『螢川』(1977年下・第78回)
20年以上ぶりの再読! 高校生の頃、文学少女だった同級生が興奮して「宮本輝ってかなりヤバい人やわ」と語っていたのが気になって読んだのだった。よかった、という感想だけ覚えてて内容は忘れてた。彼女はどこに「ヤバさ」を感じたのか、今更ながら聞いてみたい。舞台となる昭和37年は受賞年からは15年ほど前。この頃の昭和30年代観ってどんな感じやったのだろう、もう「レトロ」感があったのかな。母がよく「貧しかったけど良かった時代」として昭和30年代を懐かしげに語るが、本作に描かれる昭和30年代は母の語る昭和30年代とよく似ている。彼ら(母・本作の主人公)の少年少女期と戦後日本の少年少女期が重なっているゆえの抒情なのか。しかしこの抒情は死(鮮烈で突然の関根の死とゆるやかな重竜の死という二つの死)に彩られている。同時収録の「泥の河」も、馬を引く男の衝撃的で生贄的な死から始まるんやった。
余談1:「泥の河」は「螢川」以上に再読できてよかった。最近大阪をチャリで周遊できるようになったので、かつてぜんぜんイメージのなかった「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく」場所もありありと想像できるようになった~~!
余談2: この年の受賞者は二人とも当時30歳。古い山村の習俗を描いた『榧の木祭り』と昭和30年代を舞台とした『螢川』。大江健三郎がこの二作に対して批判的だったようで、「いま現におなじ時代のうちに生きている若い作家が、ここにこのように書かねばならぬという、根本の動機がつたわってこない」としているのが興味深い。それにしても、この時代の選考委員で生きてるのは大江だけだな~と思っていたら、ちょうどこれを読んでいる頃に大江も亡くなってしまった。さすがに淋しい。この頃「悪徳商法にひっかかって丸眼鏡を買わされる」という夢を見たのだけど、たぶんそれは大江のメガネだとおもう。
■ 池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』(1977年上・第77回)
筋といえば、浮気を疑う妻が国際電話で嘆きながら男を罵倒し続ける、というだけのものなのだが、それで作品になっている。絵画的・映像的なイメージを喚起する(おそらく作者が芸術家であるがゆえの)文章の豊かさの力なんだろうけれど、もしかしたらパートナーの心変わりを責める者の嘆きというのは、それ自体言語芸術なのかもしれない……とか思った。浄瑠璃とかの語り物っぽい(?)気も。選考委員では吉行淳之介が推していて、やっぱり!と思った。池田満寿夫が亡くなったのってつい最近のような気がしていたら、もうずいぶん前(97年)だったので驚いた。
■ 三田誠広『僕って何』(1977年上・第77回)
これもまたM書店で長年(物理的に)前を通りすぎながらずっと読んでなかったのだが、この機会にやっと読んだ~~!「都市に出てきた男子学生が個性強い女性に出会う」系の作品の系譜だ(『三四郎』系)。食べ物描写が印象的で、これもまたメシマズ文学かも。セクトの人間の分しか用意されておらず食べられなかったコロッケパン。汚らしい中華屋のどろどろした飯(いかにもヌルヌルしてそう)。彼女と故郷の母の手料理を食べるラストは居心地の悪い子宮回帰みたい。そもそも母親が主人公のために無理やり電気釜を買ってやろうとするところから物語が始まるのだった。
余談:三田誠広のサイトを見たら、現役の「ほめぱげ」だったのでうれしくなった! ほめぱげよ、永遠なれ!!!
■ 村上龍『限りなく透明に近いブルー』(1976年上・第75回)
中学生か高校生ぶりの再読。中高生が「タイトルかっこええ!」と思って手を出す小説の定番だったと思うが今でもそうなのかな? んで何が限りなく透明に近いブルーなんだっけ? といえば、作者と同じ名をもつ主人公「リュウ」がなろうとするところの、世界を反射するだけの硝子を指していたのだね。「僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った」という一節の「優しい」という解釈に宿る哀感と能動に、こんな小説やったんか、と。選評からは珍しく選考委員たちの興奮が伝わってくる。「よく分からんけどすごい才能や!」というのと、若き作者がメディアにセンセーショナルに扱われることの影響を心配するコメントが多かった。
余談:しかし私のファースト龍は『トパーズ』やった。中学生頃。おませさんやったんですね。記憶にあるラスト龍は『ラブ&ポップ』である。当時は「風俗来て説教する男」みたいなやつが金を踏み倒した話をええ話みたいにすな!という感想しか抱けなかったが、これも今読むと印象が変わるかな? それにしても76年前後の芥川賞はスター作家が続々って感じですごい!!
■ 中上健次『岬』(1975年下・第74回)
これも再読だが久しぶりに読んだら誰が誰やらすっかり分からなくなっていた。選考委員も口々に「人間関係が複雑をきわめているので、二度読んだ」(吉行淳之介)「人間関係をのみこむのに、多少難渋した」(井上靖)「登場人物の親戚、姻戚関係が錯雑していて、それを呑み込むまで骨が折れた」(永井龍雄)「人物がゴチャゴチャして」(瀧井孝作)と言っており、プロでも同じなんやな~とちょっと笑った。中上論はめっちゃあると思うから今更言うまでもないかもやけど、文体自体はよく読めば淡々としているのにこの激越なエネルギーはなんなんやろか。殺人事件が起こるくだりなど、読んでいて「わっほわっほ!血が流れたぞ!生贄や!」みたいにこちらまで祝祭的に興奮してしまう。その祝祭的野蛮は、秋幸の父の人物像の印象と重なっている。「今読むと和気あいあい大家族の話に見える」というamazonレビューがあってさすがにエエッと思った。人死んでるし!
■ 岡松和夫『志賀島』(1975年下・第74回)
堅実な文体。戦争そのものでなくその訓練で傷害を負った友人、戦後の失望の中で自死した母、混乱する街で殺された友人の母。ちょうど最近の受賞作『荒地の家族』で、震災そのもののせいではないはずだがそれとひと連なりであるような喪失が描かれていたののを思い出し、(一応「~関連死」という用語はあるものの)単線的「エビデンス」的な因果関係で語りにくい微妙で入り組んだ形の歴史の因果を描けるのは、小説という媒体の性質だなあ、と思うなど。後半は住職がいい味出してる。「坊主は人を憎むことなど許されん」から天皇もアメリカも憎んではいない住職。それだけに責任問題について、「これは天皇さんの心の問題じゃ」と言う言葉が重い。
芥川賞で初めて原爆を描いた作品だそうだ。選評は、作品に対して肯定的なものもそうでないものも、その素材を評価しているのが興味深い。作品に肯定的なものとしては「私は、この作家の長崎原爆体験のモチーフと、冴えた筆力と、両方を推奨したい」(瀧井孝作)。どちらでもないものとしては「このような題材の前には、よく書けているも、書けていないもないと思った」(井上靖)、「十四歳の少女だった被爆者が、三十年経って、その体験を小説に結晶させた努力と才能を私は評価したい」(大岡昇平)、「なんとしてもこの主題は、激しくわれわれに迫る」(永井龍男)。否定的なものとしては「私には、事実としての感動は重く大きかったが、それが文学の感動にはならなかった」(安岡章太郎)。
冒頭から、数値がたくさん出てくる。亡くなった人の人数、火の球の直径、閃光の温度、爆心地の風速、など。数値で伝えるしかなくかつ数値では伝えられないことがあることの、パフォーマティブな表現。また紫陽花の色という美しい比喩。経験していない者に伝えるには比喩は有効な手段であるがどこまでいっても比喩でしかなくかつ皮肉な比喩であり、そもそもタイトルが皮肉な比喩だ。
余談:経験した者としていない者の埋めがたい断絶というのは、被爆経験だけでなくトラウマというもの一般にいえることかもしれない。同時収録「曇り日の行進」で描かれる主人公と夫の諍いは、トラウマの当事者とそれを取り巻く人との現場でいつも起こるやりとりであるなあ! と思った。主人公を支えつつも主人公の傷と不安について「君は楽しんでるの」と言ってしまう夫、「あなたも被爆してみるといい」という「私」。「ああ、出来るならそうしたいね」という夫の言葉は単に買い言葉でなく、彼我の断絶自体が罪として感じられるときそう答えるしかないし私もそんなふうに答えてしまったことがあるなあ、とつらい思いになった。
■ 日野啓三『あの夕陽』(1974年下・第72回)
古びた木造下宿屋の電球、窓からの光、移り行く午後の陽の色、銭湯帰りの駅前……と陽の移り変わりの描写が印象的な作品。しかしまず、「こんな夫はイヤだ」ポイントばかりに気を取られてしまった! 住む家も単身赴任も勝手に決める、妻の話を聞こうともしない、重い生理痛に苦しむ妻に腹を立てる、洗濯機も掃除機も嫌いだから買わない(ほなお前が家事をやれ)、あげく妻に愛人の写真を見せる……そら離婚するわ! が、この作品の本題は夫婦関係ではなくて、他の作品も読むと、この作家のテーマが「ここにいなかった可能性もある自分はなぜここにいるのか?」感であるのやなと分かる。それは普遍的なふしぎではあるが、この作品においては(あるいはこの作者においては)「私」の(あるいは作者の)引揚げ体験に由来しているだろう。「私」の故郷は植民者の子として滞在していた微妙な故郷であり、戦後にソウルへ行ってもかつてそこに住んでいたとは公言できない。一方妻は戦後零落したとはいえ東京の派手な家の子で、「私」が妻の思い出話を聞きたがらない理由はそこにあるし、ソウルで出逢った愛人は「私」にとって特別な意味をもつのだろう。
■ 阪田寛夫『土の器』(1974年下・第72回)
自分向きの作品やった! 親族といういろんな歴史や各人の思惑が交錯する場で起こる滑稽が、力の抜けた文体で書かれてるんがよかった。私も親族のことを書くのが好き(っていうかついつい書いてしまう)なので。母の最期とそれをとりまく親族たちのお話なのだが、何かの終末期になってそれまで伏在していたものが堰を切って顕在化するときのドタバタが好きで、その渦中にいつつそれを観察して書くことには、温かさと意地悪さの両方が要ると思う。終盤の、すべてが浄化されるような美しい一幕。多くの読者はここで泣いてしまうと思うが、その後にまだドタバタが続くのがリアルやった!
余談:母の「言葉遣いがおかしく」なって家族にも慇懃な敬語で話始めるところが、うちの母方祖母の晩年とまるで同じでびっくりした! よくある(?)症状だったのか。祖母は普通の京都のおばちゃんの言葉遣いやったのが、急に「~でございますのよ、オホホホ」みたいになったのだった。
■ 野呂邦暢『草のつるぎ』(1973年下・第70回)
他の作品を読んだことがないが選評では前の作品と全然違うとか気の利いたものも書けるのに不器用に書いてるとか書かれているので、わざと素朴に書いた作品なのだろうか? 自衛隊の飯の悪口で始まるので、自衛隊という共同体の中での違和を描く作品かなと思いきや、むしろ集団の中の一員になっていくことがテーマ。実際に作者は自衛隊におりその頃の生活を書いたとあとがきで述べている。自衛隊入隊は57年、本作の受賞は73年、その後80年に亡くなっている。水害のエピソードが印象的だった。
■ 森敦『月山』(1973年下・第70回)
文章が綺麗でうっとり。出だしの山々の雄大な描写から、雪に閉ざされた世界が精巧な工作のように美しい文章で作られており円熟の語りという感じ。「たまゆらの」なんていう形容、自分が使いこなせる気がしないなあとか思った。森敦は若い頃横光利一に師事していたそうだ。62歳、最年長の芥川賞受賞者だったらしい(黒田夏子の受賞まで)。
余談:文庫版の解説(小島信夫)ではやはり『楢山節考』と比較されている! 「いわゆる土俗的な世界を描いた作品はとりあえず『楢山節考』と比較されるの法則」(上述)が発動している?
■ 三木卓『砲撃のあとで』(1973年上・第69回)
これはすごく好きな作品。改めて、文章がめちゃ上手い。作家の文章に対してしょうもなくおこがましい感想かもだが……しかし文章の上手さとはなんだろう? 過酷な引き揚げ体験が題材であるが、自分が同じ体験をしてもそれをこのように書けるかといえば書けないだろう。つらい内容なのに読んでいて気持ちいいのは、「なるほど!それをそう表現するか!」みたいな文章の連続であるからで、たとえば、敗戦により自分がその植民地での地位と後ろ盾を失ったことに勘づいた少年は、「自分たちがこの世界の歯車の回転に従って生きる、直接の場に立たされていることを直感した」とあるのだが、この「直接の場」という表現! シンプルなのに思いつかない! 自分もそういうとき(何か危機的なことが今まさに起こっているとき)「ああ、これが~~~これ~~~今~~~マジで!!」という気持ちになるのだが、その「ああ、これが~~(略)!!」をそれ以上言語化できない。また、かつての宗主国の人間が卑屈にふるまうがそれは加害の明確な認識によるものではなく、 「かれらは自分たちが何をして来たのか、そしていまどのような巨大な力がかれらを移動させているのかはよく知らないが、ただ迫り来る危険の可能性については野獣のように敏感だった 」という印象的なくだり。ああ~、それだ~~、野獣の敏感さだよな~~それか~~!となる。「文章が上手い」というのは怖ろしいことだな。
余談: 前回は「さよならセンター試験・国語出典読書祭り」(注:参加者一人)のときに読んだ。センター試験で使われた部分に関しては「なんでそこを出すか!?でもまあ、そこしかないか……」と思った。名作であるのに、マーク式の試験で部分的に出遭ったところで大多数の受験生は「今度読んでみよう!」とかならずに悪問や奇問に翻弄されて嫌になるだけだろうから悲しいものだ。問題冊子の表紙に「センター試験(共通テスト)国語が嫌いになっても文学のことは嫌いにならないでください!!」とか書いておいてほしい。
■ 山本道子『ベティさんの庭』(1972年下・第68回)
米谷ふみ子『過越しの祭』、森禮子『モッキングバードのいる町』と並んで、芥川賞海外日本人妻話。ベティさんの心境に重ねて描かれるオーストラリアの風景や動物が、熱い土地の描写であるのに寒々。ベティさんは本来「柚子」という名をもつが現地ではベティと呼ばれる。ベティさんをベティさんと呼ぶ日本人男性を「ユウコさんいうてください」「ほれ、よういわんでしょう……ベティさんならおくさんに云えるでしょう、ユウコいうて日本の名前だしたら、おくさん心配しはるわ」とベティさんが責めるくだり、なるほど。ところでベティさんは、四国で育ち立川基地で働いたという経歴だが、京阪の方言ぽいものを喋っている。なんでやろ?
■ 郷静子『れくいえむ』(1972年下・第68回)
まさに「水漬く屍、草むす屍」のように、終戦直後に少女はひとりで死にゆく。その様子に始まり回想を挟みその死で終わる。回想の軸になるのは友人との往復ノート。軍国少女の主人公と反戦主義の父をもつ友人は立場は違うが、互いを認め合い友情を育んでいる。空襲の後、これまで自分が賞揚してきたものがなんだったのか、日本人が「支那」で何をしてきたのか、初めて考えが至った少女は友人の言葉を思い出す。歴史に埋もれてしまう戦時下の二人の少女の交友。他にも、娘と月経を心配し合う母や戦後に少女を守ろうとする隣家の主婦など女同士の小さな交流が描かれるのが印象的。少女をとりまくのは女性たちだけではなく青年たちとのほのかな交流も。特に終盤近くで描かれる信州のアカの青年とのやりとりに、そこまで読み進めてきた読者は少女が説得されてくれるよう祈るような気持ちで読むことになるが、このときもう少女の気持ちは決まっている。
■ 畑山博『いつか汽笛を鳴らして』(1972年上・第67回)
タイトルから牧歌的な話かと思っていたら全然違った! 口唇口蓋裂(という用語は使われておらず「左側の鼻唇線のあるべき部分が深くえぐりとられている」と表現される)をもつ青年が語り手。彼から見た人物描写は皆唇の形が強調されるのだが、これ、私も私を語り手にして小説を書いたら他人の身長や歯並びの描写をしつこく入れるだろうからよく分かる(己の低身長と歯並びの悪さゆえ他人の身長と歯並びばかり気になるため)。彼と在日朝鮮人の一家との交流がお話の中心だが、その交流には最初から或る暴力を看過した原罪のようなものがつきまとい、遡ればさらに彼が子供時代に行ったことの記憶が横たわっており、その原罪のようなものはさらには日本の加害とつながっている(というかそのものである)だろう。一家の兄から拒絶されるときの、「何か不快なことが起こりかけるときの、あの空洞になった背骨の中を砂粒がこぼれ落ちるような感触」という比喩が秀逸で、またも、なるほど~~あの感覚をそう表現するのか~~! と思った。
■ 宮原昭夫『誰かが触った』(1972年上・第67回)
ハンセン氏病(作中では「らい病」とされている)の隔離施設の子どもたちの話。既に治療薬も感染力の弱さも明らかになっているのに偏見は根強く、マイノリティである子どもたちの中に更に在日の子がいたり教師たちの労働問題が絡んだりする。特に今でいう非正規女性の不安定さが書かれている! 「たみお」って生徒がいるのはわざと?(作中人物が北条民雄を語るくだりもある) 選評では「技巧的」という評が多く、私は素朴な印象を受けたので意外であった。子どもたちの会話のユーモラスさやどこかあっけらかんとした世界観を素朴と感じたのだと思うけど、改めて隔離政策の深刻さが言われるようになった今日ゆえ、それらが素朴に見えてしまったということなのやろか。
■ 東峰夫『オキナワの少年』(1971年下・第66回)
「~だったよ」「~しているとね、」みたいな軽妙な口語体の語り。しかしこの作品を「読んだ」と言ってええんやろか。というのは、会話文は沖縄の言葉(琉球語というべきか?沖縄方言というべき?)で書かれているから。漢字かな交じりゆえに意味はある程度推測できるが、厳密な意味やニュアンスが分からないので本当にこの作品を味わえているのか分からない。少年の島からの脱出の衝動がやはり軽妙に描かれるけれど、それは実質、土地を取り上げられた沖縄の、米兵相手の「女商売」を営む家からの脱出であることを思えば、それが軽妙な文体や(標準日本語に親しむ者には)分かりにくい言葉で書かれていることはなんだか、「日本人(ヤマト人)」読者への温情のようにも思えてくる。
余談:作者はwikiの略歴を見る限り好きなタイプの人だ。その後のヒット作がないからといってこういう人(生き方が文学みたいな人)を「忘れられた芥川賞作家」みたいに呼ぶのはどうなのかと思ってしまう。表舞台で成功し続けることだけが文学ではないと思いたい。
■ 李恢成『砧を打つ女』(1971年下・第66回)
哀切なのにどこかさわやかな文体が心地よくスイスイと読んだ。祖母の「身勢打鈴」によって語られる亡母の人生が、その伝承者となった「僕」=語り手によって日本語書き言葉として語られているわけで、よって本作の語りには、心地よい日本語文体とその源泉でありかつその中の異物のような異言語の部分がある。語りの内容は朝鮮から樺太へ渡った女性の一生であるが、時代や地域を問わず普遍的な母への思慕を描いたものでもある……とまとめてしまいそうになるや、その人生に「盗人の国」たる己の母国が関与していることに私は気づく。
余談:この頃は、ハンセン氏病の子どもたち、沖縄コザの人々、在日朝鮮人の母、など様々なマイノリティを題材にした作品、かつ軽妙な文体でありながらそこから日本や「日本文学」を照射するような作品が連続して受賞しているのだなあ。1971年下半期に同時受賞の二人はそれぞれ、沖縄出身作家と樺太出身作家。受賞作ではないけれど、『いつか汽笛を鳴らして』に収録されている「はにわの子たち」もよかった。重度障害児施設の職員の話だった。畑山博って今はあまり読まれてない作家なのかな? 今広く読まれればどんなふうに語られるかなと思った。wikiによると作者は、その後宮沢賢治研究に従事して「16匹の動物と暮らし」たそうだ(16匹の内訳が知りたいっ)。
■ 古井由吉『杳子』(1970年下・第64回)
これもやっと読んだ! 濃密な文体での杳子の様子の描写は昆虫の観察日記のよう。というか観察する・される関係自体がテーマのひとつになっている。いろいろ思ったけれど一番気になるのは、この作品がどれだけ「病気女子萌え」的に受容されてきたのか、「病気女子萌え」史にどんな位置を占めるのか、ということかも。細く硬質な杳子の身体像は、かつて自分が憧れた身体像に似ている。若い頃読んだら「杳子になりたい!」と思っていたかもしれない。が、今はそれよりも、杳子の姉の物語を読んでみたいと思った。
これもやっと読んだ~~~!! 吉田知子は一時期周囲でブームになっていて、この機会に読むのを楽しみにしていたのだった。1970年の受賞作なのに古い感じをまったく受けない。収録順に読んでいくとだんだんと作風が変わってゆき、本作は、夢日記のようなシュルレアリスム絵画のような描写が連なる作風。私も夢日記を書くのが好きだがただ夢を書くだけでは作品にはならない。夢のようなものを「作品」にするものは何なのだろう。一読目はとにかく、文章の端正さと表現の巧みさ――「私は自分が手袋を脱ぐときのように、くるりと裏がえしになるのを感じました」とか――に惹かれたけれど、もう一度読みたいな。
■ 古山高麗雄『プレオー8の夜明け』(1970年上・第63回)
戦犯としてベトナムで拘留された旧日本兵たちを描く表題作とその前日譚二作が収録されている。少し拘留されるだけと聞いて来てみればいつまで続くか知れない過酷な日々が、軽みとユーモアある文体で書かれる。人権を剥ぎ取られた者らのむきだしの身体的苦痛・不快・飢えと同時に、その中で歌やら演劇やらを作っては披露する面白エピソードも描かれ、知的な人物らしき主人公が周囲の人物を観察するクールな視線が印象的。しかしどうも読んでいてつらいのは、苦痛の描写のせいだけでなく日本兵である主人公=語り手が繰り返し被占領国の人間に我が身を重ねるくだりのせい。われわれは誰もたまたま殺したり生かされたりする宙ぶらりんを生きている、というのが本作に通底するペーソスで、それは分かるけれど~~! でも突然殺された原住民や慰安婦に「私たちも同じであるはずだ」「拉致されて、屈辱的なことをやらされている点では同じだ」とか、占領国の人間が言います……?と思うてしまう。でも、占領国と被占領国の力関係という「構造」を考えるとたしかに気色悪くて正しくないが、文学とは「個」の思いを描くものであるしなあ、とも思い、でも「個」の思いが歴史の中での差異を無化してしまうなら文学とは……?とも思ったり。ちなみに最も共感したのは「キャーラー」(「敬礼」)のところ。正確な発音はどうでもよくて元気な大声を出さないと怒られるの、やはり中学の部活の謎のコールとかを思い出した!