疫病の風景(2)

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昔、オウム事件のとき、ナンシー関がこんなふうに書いていました。

「ある週刊誌から『最近、オウム真理教がはやってますけど、どうしてだと思いますか』という質問をされた。『これ、はやってるってことじゃないでしょう』と言って断ったのだが、いまや『オウム、はやってる』は、あながち間違いとは言えない状態だ」(『ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」』朝日新聞社、2003. 205頁)。

この言い方に倣えば、マスクや消毒液も、「はやってる」ってのがあながち間違いとはいえないような状態といえましょう。インターネットにより趣味の細分化が進み、国民的流行歌や国民的スターといった皆共通の話題が持ちにくくなった、と言われる現代ですが、マスクや消毒液騒ぎは久々に国民的話題って感じがします。コロナとその影響は勿論困るのだけどその一方で、私ごときはぐれ者も、マスクを装着し「どうですか最近薬局にありますか」「いやあ早く収束するといいですねえ」とか言っておけば世間話に参加できる感を味わっております。

 

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化粧品サンプルも自粛。こうなってみるとこれまで多数の人が触れるものをフツーに肌につけてたのが不思議に思えてきます。

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ひと気のない都会は何かに似てるなと思ったら、小学生の頃、無機質な音声で光化学スモッグのアナウンスが流れ、いつも通りの空の下を何か不穏な思いで下校するときのあの感じ。

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こういうときに何考えてたかみたいなことは、のちのち資料的価値が出る(自分にとって)かもしれないので、後から見ればウーンと思うこともあるかもですが、最近感じていることをいくつか記しておきます。

 

・今後どれだけ「コロナ以前/以後」みたいに分けられる感じになるんかならんのか、収束してみんと(収束するとして)分かりませんけれど、個人的には今回の騒ぎのおかげでラクになった面もあり、それは素直に有難いところです。具体的には、「職場の飲みニケーションに強いやつが偉い」みたいなんがいったん停止になったのは非常に嬉しいことであります。また私は子供の頃「ウチで本読んだり絵描いたりばかりしてんと外に出て遊べ」と怒られ続けていましたが(今思えばなんでそんなことで怒られなあかんのか)、今やインドア派がもてはやされてて俺の時代って感じです。「生き物は多様性が重要、(たまたま今の環境に適応できている)強者だけでは、環境が変わったときに滅びてしまう」とかいう話がありますが、こういうことやってんやなって感じです。

・しかしまあ、そうした「新しい価値観」や「よりラクな働き方」がこれをきっかけに浸透するかといえば、そういう面もあるかもだけど、おそらくネガティブな面のほうが(経済的実害なども含め)多いのでしょう。特に、最近の自粛しないやつ叩きブームには、本来「感染予防」という医学的言説だったはずのものの、「楽しむこと=悪」みたいな従来の道徳や罪悪感との合体を感じます。「自分は既に感染していると思って行動しろ」とかも、医学的言説っていうよりもはや罪悪感持たせ装置として働いてる感があり(一方で仕事には行ってるわけで、本気で自分は既に感染していると思って行動するならまず仕事を休むべきなのですが、そこは「二重見当識」みたいな世界を生きることが要請されるわけです)。経済的分断も、コロナ以前よりますます深まりそう・深まっていて(これは意図的なのか非意図的なのかお上の対策の鈍さが大きな要因なのでしょうが)、そんな中でヒャッハーな感じの経営者が「他が潰れてる今がビジネスチャンス!」とかSNSで言うてたりして、経営者としては正しいんでしょうがそれ言う?お前終わってんな、て思います。まあ人間的に終わってても金持ってるほうが勝ちなんでしょうけど!

・あと、これはまああまりにもフロイト的主体である私だけかもしれませんが、「うかつに故郷の高齢の親に会うと感染させてしまうかもしれませんよ」という注意喚起も、単なる医学的注意を越えて、伝統的なエディプス幻想みたいなものを刺激してきますよね。故郷に帰ることで知らず知らず親を殺してしまう、ギリシャ悲劇の主人公になったような……。病ってすべて隠喩としての病であるのだなあなどと思います。

 

・ところで「コロナ以前/コロナ以後」て書きましたけど、一方でそういう言説に、何をいまさらのこの騒ぎ、と思うところもないではありません。コロナ以前から、いろんな理由で人は死んでいたし、コロナ以前から、家の外に出られない人たちや、手を洗い続けずにいられない人たちや、マスク無しでは外出できない人たちはいたわけだしなあ。

 

 

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