広島行、パイロンと乳地蔵とシカの写真以外にもいろいろ撮ったので、まだupしていないものをupします。
■ 厳島神社周辺(ベタ観光)
厳島神社周辺のお土産屋さんは、昔ながらの観光地という感じでよかったです。私はベタベタの観光地育ちであるためか、ベタベタの観光地的なところが好きなのです。人は多くて大変でしたが。
厳島神社には一日だけ訪問するはずだったのが、すっかり宮島を気に入ってしまい次の日も行きました。満潮時の鳥居と干潮時の鳥居を見ることができました。
満潮時にはろかい舟で鳥居をくぐることができました。クスノキでできているという鳥居は、傍に寄るとゴツゴツとして THE樹! という感じでした。
干潮時は、この日は潮位の関係で鳥居に触れるところまでは行けなんだのですが、近くまで歩いていきました。晴れて海が綺麗で、その前でいろんな国から来た人たちが写真を撮り合っていました。
鳥さんが鳥居の前を横切っていきました。
足もとにはヤドカリさんがたくさんいました。
神社の入口のお清めが、物理お清め(?)でなんか面白かったです。
食べ歩きのお店もたくさんありました。ひとつ謎として、厳島神社周辺にはごみ箱がぜんぜんなかったのにゴミがまったく落ちていなかったこと。皆ちゃんと持ち帰っているのやろか?? 驚異のマナーでは。
われわれもいろいろ食べました。一番気に入ったのはこの「ぺったらぽったら」です。
ぺったらぽったら、超好みの食べ物!!!
お店の方も素敵でした。また、店舗で流れていたぺったらぽったらの歌が気になりました。あの歌、音源ないのかな。帰ってググったのですが情報は得られず。御存知の方があれば教えてください。
次にうまかったのは「揚げもみじ」です。ただでさえ重めなもみじまんじゅうを更に揚げる!カロリーの暴力! とわくわくしたのですが、揚げたことで帰ってサックリと食べやすくなっており、Wow! と思いました。
揚げもみじ屋の奥には、揚げもみじグッズ販売機と揚げもみじ神社がありました。揚げもみじ神社にものすごく真剣に手を合わせている人がいました。
これも揚げもみじ屋。超レアな「牡蠣の投棄禁止」のピクトが!! イイ!!!
観光地に来たらばソフトクリームを食べねばなりません。というわけで「鹿ちゃんソフト(みかん味)」も食べました。なかなかのお値段に面喰いましたが、チョコとみかん味のハーモニーが美味しかったです。チョコはもちろん鹿のフンを模しているわけですが。同様のソフトクリームは複数店舗で売られていましたが、私が買った店が元祖と謳われていました。
オリジナル味を主張する色とりどりのとぐろたち
鹿ちゃんソフトを食べている写真を後で見たら、後ろにすごく宮島らしい出で立ちの方が。何か行事があったのでしょうか。
あとは、宮島くんだりまで来て阪神に出遭ったりもしました。
■ 立派ホテル
いつも変ホテルや安ホテルに泊まっているわたくしですが、今回は立派ホテルに泊まりました(というかそもそもここの宿泊券をもらったことから広島に来ることになった)。
といっても、同日は祝日、旅行サイトでは東横インの宿泊料金が5万円台になっているという信じがたい事態が起きていたので、お値段的には東横インに宿泊している人のほうが立派だったと思います。(※これは東横インが悪いのではなく旅行サイトの悪徳だと思われます。)
立派ホテルってやたら室内に水がありますよね。
せっかく立派ホテルに泊まったので、普段あんまりやらない「ホテルで優雅にゆっくり過ごす」をやってみたく思ったのですが、いざゆっくりするとなると難しい!(貧乏性なので旅先でゆっくりできない)
結局「夜中に起き出して部屋のTVでガチャピンとムックの演奏する『深夜高速』を鑑賞する」という過ごし方を以て優雅とすることにしました。
ガチャピンのドラムが凄かった。
ここは今年5月のG7の会場になったホテルでもあり、各首脳のサインがありました。ふーん。
サインの脇には色とりどりの折り紙で作られた「PEACE」のオブジェがあり綺麗でした。
綺麗でしたが、イスラエルの横暴を止めることもしないボンクラどものサインだな、と思いました。大変白々しい気持ちがしました。
売店では岸田土産が売られていました。なぜか基督看板配色でした。
■ 平和公園
帰りは、宮島から直接広島駅に向かってもよかったのですが、やはり初めて広島市に来たのであるから、外観だけでも原爆ドームを見ておこうと思いました。
宮島桟橋から平和公園直通の船があり、それに乗りました。隣席はニュージーランドから来たというご婦人で、少しお話できました。しかし、船の中でもみじ饅頭を2個食べたため、気持ち悪くなり船酔いしてしまいました……。
平和公園の猫ちゃん
猫ちゃん
写真では何度も見たことのある原爆ドーム。実物を目にするのは初めてでした。反対側から見ると内部を補強する黒い柱がよく見えて、こうして修繕しながら保存されてきたのだなと分かりました。
こうした、酷い歴史を伝えるモニュメントには、言葉を失うとともに、これらが「観光地」でもあるという不思議さを思います。観光というのは凄いもので、すべてを娯楽に呑み込んでしまいます。もちろん酷い歴史の跡が観光資源化されているケースは幾らもあり、京都にもたくさんあります。昨年会津に行った際も、自刃の後だの墓地だのを観光として訪ねることの奇怪を終始感じ、その奇怪が滑稽であるのかもっと重苦しい何かであるのか自分でも判別できなかったのでした。酷い歴史であっても、それがある程度現代から切り離して考えることのできる時代のことであり、かつ「おそらくそんなことはもう起こらないであろう」と明確に思える場合は滑稽が勝つのかもしれません。たとえば関ヶ原ウォーランドの「ノーモア関ヶ原合戦」はちょっと笑ってしまうし(人類が争い続けているという点ではまた起こりうるし常に起こっているともいえるが「関ヶ原合戦」という形はおそらくもう起こらない)。だとすると、残念ながら、原爆ドームはその逆です。
ここから爆心地である島病院まで歩きました。原爆ドームから約200メートル。島病院は現在も島病院でした。碑があり、爆撃直後の周辺の写真がありましたが、どの方向が現在のどこに当たるのかも分かりませんでした。再びドーム前に戻ったところで日が暮れ始めました。「フリー・パレスチナ」のフラッグを描く人の姿がありました。
■ 市街地~広島駅
平和公園から広島駅まで、市電に乗ってもよかったのですが街を見たくててくてく歩きました。超疲れました。
マナティがいました。
きれいにライトアップされた橋がありました。
橋の袂にも碑がありました。
広島市内滞在はわずかな間でしたが、そのわずかな間でも、何気ない小学校の花壇に植わった植物の脇に建てられた説明板を見るとそれが「被爆のアオギリ」であったりと、至るところで、被爆の記憶とその記憶を保存しようとするものに出遭いました。かなり以前、広島出身の方と話していて、広島そのうち行きたいですと言った際に「記憶しかない街ですが」というようなことを言われたのがずっと印象に残っていました。今回広島に来て、その言葉を思い出しました。
原爆ドームがその他の名所や名物と一緒に楽しげに並んでいる看板に出遭い、困惑しました。
上に書いたようなこと(観光というものについて)を思うと同時に、そうだよなア、地元では日常の風景の中にあるのだよなあ、と思いました。
さて、駅までは徒歩小一時間くらいだったと思いますが、途中からめっちゃおしっこにいきたくなり、尿意を耐えながら歩いていたので、徒歩終盤は尿意の記憶しかありません。これは「川が綺麗!漏らしても撮る!」「でも水を見たくない!水分を連想したくない!」と言いながら撮った川。
無事排出して駅前。
レインボーのポールが立つ「チェーン店ではなさそうなカラオケ屋」が良い感じでした。