チバ

去年の夏さーもんさん(仮)と金沢で The Birthday を観たんですよ。

「乱シリーズ」ってイベントで、日程んとこがわざわざ「合戦」になってんのが可笑しくて撮ったポスター。

 

出演者のコロナ感染で振替延期になって振替の日も休みでよかったよ~~て感じやったんですけど、合戦なのに振替になってるのもシュールで可笑しい。合戦って振替とかあんの??

 

The Birthday はしばらく聴いてなかったから知らない曲ばかりで、正直最近の曲はあまりピンと来なかったんですが、とにかくあの声が衰えてない、やっぱすげえ、観てよかった、みたいな感想を言い合いましたっけ。

ツイッター登録したときがちょうどミッシェルばっか聴いてた頃なので(私はミッシェルど真ん中世代なのですがリアルタイムでは好きな曲がいくつかある程度で、ちょっとかっこよすぎるイメージがあったんで敬遠してたのでした、で、THEE MOVIE をきっかけにちゃんと聴き出したのでした)、それ関係でフォローした人が多くて、さーもんさんもそのひとりだったんですが、知り合って10年余りが経ち水を吐くフグの話をしたりささやき女将の話をしたりチェンソーマン雪合戦回を無理やり読まされたりと最早何つながりなのかよくわかんなくなっていたところに、一緒にチバとキュウちゃんの姿を観て、なんか原点に還ったみたいであるねえ、と。

その後、深夜の高速を走りながら、「『夢のマイアミ』は留年ソング」「留年してる人は信用できる、留年してる人ばかり好きになる」みたいなよくわかんない話をしましたっけ。さーもんさんは「brand new stone」大好きの人。わたくしもまた、そりゃミッシェルはどの曲も好きだけれど、とりわけ初期の、くすぶりながら水たまりを眺めるようなささやかな虚無を湛えた雰囲気を偏愛しておるのです。あと、Factory でのチバの「死ね!」が好きで、「あの死ねは良い死ねだ」と言い合ったりとか、「ラストライブの最後の曲は Baby, Please go home にすればよかったのに~~」って話をしたりとか。目的地に着いたの深夜2時頃で、そんな時間まで友達とどうでもええ話をするって大学界隈離れてから長らくなかったから、なんかよかったです。

 

別にもともと他人であるからどうも実感がなくて、でも今は曲を聴く気にはなれないな、聴いたら泣いてしまうかもな、と思ってたら食後に家人がおもむろに『cult grass stars』回し始めてアチャーと思ったのも束の間、「トカゲ」のあのイントロが流れるや、それは確固として、あの何度も聴き馴れたいつもの切なくも圧倒的にハッピーな音として一気に部屋を支配し始め、あの何度もそうなり馴れたいつものパッカーン!かっこええ~~!という感じになり、作品てすごいな、人は儚いが人が溝に刻んだものは強いな、とかアホみたいなことを思うたのでした。

2009年、清志郎が死んだ少し後、実家の二階で採点のバイトをしながら「トランジスタ・ラジオ」を流していたときのことを思い出しました。この曲、当時、RCの有名な曲の中ではさほど好きなわけでありませんでした(今はすごい好きです)。でもそのとき不意に、音がキラキラと光って目の前を流れてゆくのがみえて、それは美しくハッピーなもので、物干しからの陽は五月の温さで、急に涙がダーッと流れたのでした。

 

今書けることってそんな感じかな。

またなんか書くかも。あれが好きとかこれが好きとか。

昔立派な人とか有名人とか死ぬと、おじいちゃんとかがよく「この世がまたつまらんくなる」的な言い方をしていて何言うてんやと思いましたが、今回はその感じがちょっとだけ分かってしまって、そんなこと言うのんは辛気臭いし、まだまだ新しく出てくる若い人や凄い人がいっぱいいるのも分かってるんですけど、だんだんあっちの世界のほうに馴染みある人が増えていく、ってのは、そういう年齢になってきたんやなあ。

SNSではしばらく音楽の話してなかった人たちも、皆でどの曲が好きとかあのライブがよかったとかあれこれ言い合うて、中には「えーこの人も好きだったんだ」みたいな人もいてそういうのは嬉しいしそうして喪失を分かちあえるのはネット時代の良さだけれども、でもこういう日が来るのはもっと先だと思ってたな、チバ。