今年は京都の西のほうと東のほうでささやかに秋を愛でることができました。お裾分けします。
■西のほう
毎年激混みの高雄への道を抜けて、(細木数子の家の前も通って、)小野郷へ。両親と参りました。一面黄色い神社がありました。
その名も岩戸落葉神社。
岩戸社と落葉社が合体した神社で、落葉社は、この地に住んだ(ことになっている)源氏物語の落葉宮を祀っているのだとか。
市街地からはずいぶん離れた山の中です。京都市を離れて以来、京都市の主役はむしろ山間部であるなと感じるようになりました。
神社の傍らで地元の方が御札を売ってはりました。もう盛りは過ぎましたと言うてはりましたが、まだ充分きれいでした。
記念撮影
屋根の上にも黄色が積もってきれい。奥、左側が岩戸社で右側が落葉社だそうです。
祠の背後の岩がすごい。
とにかく一面銀杏の黄金色。母は「全部に黄色いのがふりかけてあるわ~」とふりかけみたいに言うてました。母は紅葉の葉と枝切れを拾っていました(なぜ)。
足元。父は同じ構図でいんすたばえ的な写真を撮っておりました。
誰なんか?と調べてみたら、北山の林業組合の人が出てきました。エッ、最近の人なの? それとも同姓同名の他人またはご先祖の碑?
風雅な空間で存在感を放つハチ激取れ。
こちらは京北の吊り橋。
この日は人はいませんでしたが、ちょっと前にテレビドラマ?の舞台に使われて人が増えたスポットだそうです。老朽化していた部分も補強されたそう。周辺にはいくつか民家がありました。生活にも使われている橋なのかな?
橋の上から。お水が綺麗でした。
橋のたもとの紅葉。この日はずっと曇りでしたが、ここで少し日が射して、やはり日が射すと紅葉はひときわ良いです。
好きなタイプの看板もあり(「ゴミ袋」と書かれた自己言及ゴミ袋)。
■東のほう
紅葉も終わりかけの12月の初め、用があって吉田へ。
ついでに、岡崎~吉田南を散策することとしました。
秋の黒谷を見たいなア……とちょうど思っていたのでよかった。
黒谷さんには会津墓地があります。今年は春に会津に行けたことがよかったことのひとつ。会津行きを経ての黒谷はよりいっそう感慨深いです。
ちょうど山門の公開をしていました(しばらくコロナで無かったのかな?)。山門の前は、枯木の中にまだ少し紅葉あり。でもここは、秋でも春でも夏でも冬でも好きです。
黒谷は子ども時代の遊び場であるので、ここに立つと、いとこらとヤンチャしたことや、木の実でママゴトするのが好きやったことや、いとこと夏休みの宿題のスケッチをしているとおぢいがヤクルトを持ってやってきた姿などが思い出されます。
石段を上がり例の手水舎へ。あひるちゃんたちは健在。
前回訪れたときは紫陽花でしたが、秋仕様になってました。
カメ新撰組も変わらず。
愉しげな絵が置かれていました。作者は不明でしたが、描いた人の愉しそうさが伝わってくるような絵で、ええなと思いました。
瑞泉院の前を西に抜け、吉田方面へ行きました。
このあたりは、観光地ではあるけれどそれほど人は多くないし、にぎやかな通りでもないけれど、歩いていると何かしら心が清浄になります。最近の言い方で言えば「岡崎~吉田の散策でしか得られない栄養素がある」って感じです。神楽坂と吉田東通に挟まれた細い道の入り組んだ一帯は、大学時代の思い出の地でもあり子供時代の思い出の地でもあり、己の各時代の記憶が重層的に堆積しているのがふしぎな感じであります。その細い道の一角にかつて市場があり、幼い頃しばしばおばあの買い物に連れられたものでした。今回、久々に市場跡を歩いてみよ、と思うたのですが、なんとどの道だったか忘れてしまっていました。仕方なしに東通に出ますと、子供の頃幾度となく訪れた雑貨屋さんがまだ営業されていて、超久しぶり(20余年ぶり?もっと?)に入ってみたらばお店のマダムとお話することができて、
「うちは細々と続けてますけれど、このあたりも変わりました、西福の市場もなくなって」
とおっしゃるので、市場があった場所を改めて教えてもらい、お店を出たあと行ってみたのでした。普通の住宅が並んでいました。