前篇は、節分祭の思い出というか酒の思い出でしたが――それもまた祭の姿なのでしょうが――最近はちょっと落ち着いて、祭そのものの情緒や、吉田神社という神社も楽しむようになりました。(そういえば、講談社メチエの『吉田神道の四百年』、だいぶ前に読んだので内容をちゃんと覚えていませんが、面白かったです。)
また、かつてのメンバーとはもう日常的に集まることもなくなりましたが、年一の節分祭が同窓会のような役割を果たすようになりました。
■ 2011年
吉田神社節分祭といえば、なんといっても「福豆授与」です。
福豆は、毎年、本殿前で売られています。
私はだいたい2袋買います(1袋では年の数に足りないため)。この福豆には抽選券がついていて、地元商店や企業からの豪華賞品が当たる……のですが、当たったためしはありません。
大元宮の写真がいい感じで撮れました。
大元宮は、全国各地の八百万の神様が集められており、ここに参れば日本中の神様にお参りしたことになるというチート神社です。こんなふうに祠が並んでおり、自分の出身の国(私は山城)、あるいは好きな国や思い入れある国の祠にお賽銭を置きます。
山頂近くでどて焼きを頼み食べながら飲むのも、すっかり恒例となりました。
「ベーコンエッグたい焼き」の写真を誇らしげに撮っています。
1月にえべっさんで食べ損ねたので、ここでゲットできて嬉しかったのでした。「えべっさんで食べ損ねて吉田で食べる」パターンはけっこうあります。
こっちはじゃがバタならぬじゃがマーガリン。
■ 2012年
薄く暮れ始めの参道入口です。
鳥居の向こうに白い月が見えています。
家にあったお札を奉納しました。最後にこれを焚き上げるのですが、バイトの人(たぶん)が渡された紙の束や供養するもののを巨大籠にどしどし投げ入れてゆくのが壮観なのです。
毎年同じ写真を撮っていますね……年越そば。
これも毎年おなじどて焼き。
変わったところでぷよ玉すくい。
いちごのシートが可愛いいちご大福屋。
青いチョコバナナを買って帰ったのでした。
吉田神社の夜店の活気はすごくて、人の多い時間帯はぎうぎうで歩けないほどです。そんな中、いろんなお店が口々に呼び込みの口上を述べています。この年は、「本マグロだよ、本物のマグロ、本物の本マグロだよ」とか「神戸牛、本物の神戸牛」とか、「本物」をアピールする呼び込みが流行って(?)いて面白かったです。
菓祖神社でもらったお菓子。この年は辰年だったのでした。
■ 2013年
節分祭は毎年2月2日から4日までの期間行われ(例外あり)、うち2日間夜店が出るのですが、この年は週末とかぶってしまいすごい人出でした。本殿までの道で人に揉まれまくり、いつもさほど人のいない菓祖神社も行列で入れず、福豆も売り切れていました。
毎年「吉田神社の夜店のあてもん屋で流行を知る」みたいなところがありますがこの頃はなめこ全盛期。私もせっせと抜いていた頃です。今年夜店が出ていたらば鬼滅一色だったんでしょうね。節分にぴったりだし……。
吉田神社の夜店は、「新しい食べ物」と出会える場所でもありますが(実際ケバブは吉田で初めて食べました)、この年は「たいやきパフェ」インパクトの年でもありました。
衝撃的なビジュアル。当時、衝撃のあまり 当ブログに記事を書いております(なぜかときどきアクセスがあります)。
大元宮の屋根にもポッキーが刺さっているように見えたのでした。
この年は、例のどて焼き屋で飲みながら、人の研究の話を聴いたり、それまでまったく接点のなかった別コミュニティの知人同士が突然仲良くなったりと、愉快な節分祭でありました。一年に一度のことですが、冬の山で旧交をあたためたり新たな交流が芽生えたり。(毎年そんな舞台になってくれるどて焼き屋には感謝です)
ずいぶん遅くまでどて焼き屋にいたので、山を降りるとき珍しく、ちょうど火炉祭に出会うことができました。この行事は毎年3日の23時から行われます。小さく舞う火の粉は、速水御舟のあの絵のようでした。
これ以降火炉祭は見ておりませんので(今調べて知りましたが、2015・2016年は焼却灰の処理の問題で中止になっていたそうです)、今のところこれが最後の火炉祭です。いろいろと思い出深い年です。大きな火が青くなるまで見ていました。
■ 2014年
この年はあまり写真を撮っていなかったようです。
ウマのお菓子。
これは節分祭の写真でなく、その後移動した飲み屋での写真です。
中年に差し掛かり始めたわれわれは、寒い中山頂で飲み続けるのがそろそろしんどくなり、「早めに暖かい店に移動する」行動パターンを身に着けたのでした。
ちなみにこの店はわれわれの行きつけで、以前別ブログにその思い出を書きました。
この年面白かったやりとり:
幼馴染(唐突に):「王錫ってラテン語で何ていうか誰か知りません?」
博識な先輩 :「ああ、王錫はね、」
訊く方も訊く方だが答える方も答える方だと思いました。
■ 2016年
2015年は参加できずであったので2016年。
本殿へ向かう石段は灯篭が幻想的でわくわくします。でもいつも上手く撮れません。
吉田神社本殿ですが、奉納された日本酒に山極壽一の文字があります。この2年前に京大総長が、松本から山極さんに代わったのでした。
菓祖神社のせんべいが可愛かったので撮りました。豆茶を入れる器がそれまでの湯呑みから紙コップに変わっていました。
何回も同じような写真を撮っている年越そばですが、650円に値上がりしていました(それまでは600円だったはず)。
■ 2017年
この頃開催していた読書会メンバーなど、久々に大所帯でゾロゾロしました。前日まで風邪で寝込んでいた幼馴染Mは、熱をおしてやってきて、節分祭に対するその情熱は一体……と驚きました。今だと「熱があるのに人ごみに来る」なんてちょっとできませんね。
しばらく会っていなかった仲間が、結婚し父親になって現れた回でもありました。居酒屋で旧交をあたためすぎて午前3時に帰りました。「深夜の京都をチャリで帰る」なんてのももう長らくしていないなア。
何を撮りたかったのかよく分かりませんが、たぶんどて焼き屋の周辺。「なぜ真冬の夜にこんな山の中で酒を飲んでるんだ」と我に返って撮ったのだと思います。
■ 2018年
前年熱を出しつつもやってきた幼馴染Mは、この年も熱を出しつつやってきました。節分祭の何がわれわれをそうさせるのか?
例年より早い出発で一気に大元宮まで。薄紫の空がきれい(人々の頭部が写り込んでいますが…)。
東一条に来たついでに撮った、京大構内の好きな建物です。吉田南構内の正門を入ったところの衛所で、有形文化財にも指定されています。この写真ではくすんだ色に写っていますが薄いミント色がなんとも可愛いので、昔から好きです。
■ 2019年
けっこうな雨が降っていたので、みんなどうするのかな~と思いつつ待ち合わせ場所に向かったらば、「雨だけどどうします?」みたいな相談も特になく、「じゃあいこうか」と一同ふつうに吉田山を登り始めたので流石だと思いました。
雨のため、人出が少なく、夜店もあまり売れていないと見えて、いつもの土手焼き、蕎麦、その他もろもろ、すべて例年に比べ微妙に大盛で得をしました。
京大正門前。ゴミ箱と間違われて参拝客のゴミを突っ込まれまくっているかわいそうな京大新聞ボックス。ひどい。
■ 2020年
去年、この時期はギリギリ祭ができていたのですねえ。
福豆が100円も値上がりしていました。菓祖神社は、和菓子がつかみどり形式から配布式に変わっていました。
観光ブームですっかり人が増えたせいか、大元宮は行列で入れず。しかし「ちゃんとお参りしないと」と言うのは一名のみで、他の一同は「外から祈っておけばいい、まずはいつものどて焼き屋へ行こう」とどて焼きのことしか頭になくて最高でした。
どて焼き屋では、10年ぶりの知人に会うことができました。また、話題が、身体の不調やそれぞれのしがらみなど、すっかり中年の話題になりました。
久しぶりに、鬼やらいの行列も見ることができました!
吉田節分祭というと、母がしょっちゅう、「子供の頃あんたは鬼を見て大泣きした」という話をするのですがよく覚えていません。怖すぎて抑圧したのかもしれません……。
目の沢山あるこちらは方相氏。かっこいいです。
こちらは赤鬼。
今年は豆を投げられなくて、鬼もほっとしているのか、淋しがっているのか。