鞍馬の火祭りに初めて行ったよの巻

鞍馬の火祭りをいっぺん見てみたい、と母が長年言うておりましたが、その機会がないままでした。

同じ京都市内でありながら、鞍馬は我が家からはなかなか行くことのないエリアです。また、火祭りは時代祭と同じ日、10月22日に催されるのですが、なかなか休みの日に当たってくれず、そんなこんなで長年行きそびれていたのでした。

ここ2年はコロナ禍による中止が続き、3年ぶり開催となった今年、やっと行くことができました。今年は会津といい、母が長年行きたいと言うてたところへ行くことができて大変よかったです。

 

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叡電で鞍馬へ

出町柳から久しぶりの叡電でGO! 叡電嵐電が好きなので乗り場に来るだけでテンション上がります。

こんなファミマみたいな配色の車両あったんだ。

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鞍馬着。とりあえず鞍馬石の上で撮影。(「パワーがみなぎる鞍馬石の上に立って大天狗と一緒に写真を撮ろう!!」と書かれていたのでパワーみなぎってる的なポーズをとっております)

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どうでもいいんですが、鞍馬駅のガチャコーナーがイケてました。桃色の御所車かわいい~~。

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会津でトリコになった「神獣ベコ」のガチャもなぜかここにあって、母と「あーー!!」となりました。

 

 

■ 街道お散歩、祭の準備の様子を見る

 

さて、駅から出て鞍馬街道へ。

駅前のお土産屋さんは既に観光客で賑わっており、家々の前には篝火の準備がされています。見ると周囲のおうちはどこも、家の前に篝火と松明の準備をしています。

 

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われわれが着いたのは14時頃。お祭りの開始は18時頃ですが、準備の様子も面白いと聞いていたので街道沿いをぷらぷら見物することとしました。

 

このあたりは、おうちの脇や川沿いにいろんなお花が咲いているのも心なごみます。

植物好きの母によると、鞍馬や貴船は植生も街なかと違って植物好きには愉快やそうです。

 

秋明菊

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虫さん

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秋海棠? 可愛くて可憐!

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白いお花がのっかってる葉っぱがハート型みたいに見えて可愛い。

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薄紫がかったきれいなお花。傍にいたおじさんに名前を訊いたら、「わしは花の名前はぜんぜん知らんねん、女房は詳しいんやけど」と言うてはりました。

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鞍馬川。鴨川の支流なんですね。

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山がきれいに見えて川の音がきこえてしみじみとよいところ。鞍馬街道は花脊に行く際に車で通り過ぎることがありますが、じっくり歩いたことがなかったのでお散歩できてうれしかったです。父は子供の頃、市街地から花脊へ行くとき、鞍馬まで来ると「えらい田舎に来てしもたなあ」という気持ちになり、逆に花脊から帰るときは、鞍馬まで来ると「えらい都会まで戻ってきたなあ」という気持ちになったそうです。つまり、行きと帰りで鞍馬の印象が全然違ったという話。鞍馬って、山と町を結ぶ要所なんですね。

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街道は細く、お祭りが始まると車が通ることはできません。郵便ポストもこの期間は封鎖されていました。

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大きな火の準備も。

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お散歩している間に、どんどん街道沿いのおうちの様子が変わってゆきます。各家、立派な祭壇のようなものが作られ、そこに松明が祀られています。屏風、鎧、着物、そして縄など、おうちによっていろいろなものが飾られています。それぞれの家の古いもの、家宝的なものなのでしょうか。この後お祭りで使うものが祀られていたのかな。

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いくつかの場所には鉾が祀られていました。鉾は葵や菊の植物、または虎や龍、百足などがあるそうです。「百足」をぜひ見たかったのですが、どこにあるのか分かりませんでした(あるいはどれが百足か分かりませんでした)。

 

これは虎。この飾りと同じものが鉾の先にも着けられているのです。

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蝶。

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葵かな?

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準備を終えたらしきおうちは、皆どこかウキウキした様子で、子どもたちも出てきていて、祭りの前!って感じです。この機会に親族が集まったりするのかなあ。私の町内でもそうした祭があったのでしたが、もう誰も集まらんな、寂れてしもたな、ラクでええけど、って話を母としました。手伝いのバイト?ボランティア?の学生さんと地元の人が「どこの大学なん?」みたいな会話を交わしてたり、地元の人が観光客にいろいろ説明してたりする様子も見えて、京都の祭っぽい風景や~!と思いました。「あちらの家は●●(※忘れた)やから今年は参加しはらへん」と観光客に説明してはる人があり、●●というのは「喪中」の意味らしいのですが、知らない言葉であったので、同じ市内であってもいろいろ違うんやなと感心しました。「このらへんの言い方や」と言うてはりました。

 

松明は、「男の人がいる家で3、4軒寄って作る」とか。大変そう。松明は、巨大なの、中くらいの、小さめの、と大きさもいろいろ。「小さめのは子ども用やろか?」と私、「小さめいうてもだいぶ大きいで、子どもにはムリやで」と母。

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なんかかわいく並んでいる小さい松明ふたつ

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駐車場にぽつんと置かれてたやつ

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女の子の着物を飾っているおうちがあり、華やかで可愛くてきれいでした。「これは何ですか?」と訊くと「子どもらが今日着る着物です」とのこと。以前は、松明を担ぐのは男の子だけで、女の子は決まった役(太鼓?)でしかお祭りには参加できなかったけれど、何年か前から女の子も松明を担げるようになったと教えてもらえました。教えてくれた女の人と母は「ええことやねえ」と言い合うてました。

 

 

■由岐神社、御旅所

火祭りは由岐神社のお祭りです。

京都観光ナビの火祭りの説明によると、

その起源は天慶3(940)年、それまで御所に祀られていた由岐大明神が鞍馬に勧請された時に、村人が地主神である八所明神を神輿に乗せ、無数の松明を持って出迎えたという故事に由来するといわれている。

そういえば鞍馬寺には来たことあっても、由岐神社って入ったことないかもしれません(いつもその手前でケーブルに乗るため)。お参りしてみました。


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あッ鳥居ちゃんや!と思うたら、これは正しい鳥居ちゃんやった。f:id:kamemochi:20221104130016j:image

 

ご神木すごく高い!

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街道から神社へ、少し坂を上ったところが報道用スペースになっていました。新聞やニュースの映像はここから撮られてたんすね。神社には「天狗みくじ」がありました。神社も土産物屋も天狗づくしであります。母が、「会津行ったときみたいに、ここもずっといてたら天狗が可愛くなってくるんやろか」と言うててなんかおもろかったです。会津に行った際われわれは、「最初なんとも思ってなかった赤べこが異様に可愛く感じられ始める」というふしぎ体験をしたのでした。

御旅所のほうにも行ってみました。ここでは過去の祭の映像が上映されており、ベンチや植え込みに人々がぎうぎう座って休んでいました。鞍馬は、座れるようなお店は駅前に数軒しかないですし、早くに来て手持ち無沙汰になった人たちは皆ここで祭りの始まりを待っていたのでした。

御旅所にはお神輿が据えられていました。キラキラして立派。ただし今年はこれらのお出ましはないそうです。

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■開始

母が「なんかお饅頭みたいなもんが食べたい」というので再び駅前へ。駅前はずいぶん人が増え、土産物屋さんが賑わっていました。しかし和菓子屋さんの饅頭は売り切れ。火祭りは、祭といって夜店などは出ていません(そこもまたいい)。商売っけのない祭って感じです。母は持参した菓子で口淋しさをしのいでいました。

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土産物屋を眺めていてふと、そういえば以前このあたりに遠い遠い親戚のお店もあった、ということを思い出しました。祖父を乗せてドライブ中、入った土産物屋の隠居のおばあさんが、祖父と同じ山の中から出てきた人であることが分かり、といってもそれぞれ山から出てきたのは何十年も前。「へえ、こんなとこでお会いするとは」と語らう二人の写真を撮った記憶がありますがそれもずいぶん前のことで、お店が正確にどの場所であったのかもう分かりません。今思い返すとおとぎ話の一場面のようでした。

というような思い出を思い出しているうちに、ようよう日も暮れてきました。人も増え、警察も増えて沿道にパイロンが並べられ、いよいよ祭の雰囲気であります。

 

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ところで祭はどこで見物すればよいのか? 神社の前で待機すればいいのか? ボランティアの人に尋ねると、「タイミング次第なので何とも言えませんねえ」というお返事。「?」となりつつとりあえず駅と神社の間あたりに陣取っていると、警察さんが来て、

「お祭りは止まって観ることはできません! 歩いてください!」

と追い立てられます。なるほど、どうやら見物客は街道沿いを一方通行で回遊魚のように周遊させられ、歩きながら集落全体を見て回り、運が良ければ神社でのなんかレアな場面を見られたりもする、という方式のようです。人も混み合い始め、ドサクサに押されて跨いではあかん何かを跨いでしまったらしき観光客に、地元のおばあさんが「コラッ、それは神さんのや! 跨いだらあかん!」と怒ってはりました。祭開始はまだですが、街道沿いに配置された警察官、櫓の上の警察官の「歩いてください、立ち止まらないで、歩いてください、一方通行ですよ」という怒号が響き、回遊魚と化すわれわれ。風情もへったくれもない……しかしこんな狭い地域に人が殺到するのやから事故防止のためにも仕方ないのでしょう。この「秘境ゆえに有名になって秘境の風情が失われる」のは観光地の宿命であるよなあ。かつ、怒号を浴びても動かん人は動かんし、また警察官は頑なに日本語しか喋らないため日本語の分からない人(外国人観光客らしき人もたくさん来てました)はそもそも指示が分からないので、一定の人(日本語を解さない人&日本語を解すが指示を聞かない人)は一定の場に滞留し続け、その前を、日本語が解しかつ警察の指示を聞く人々のみが追い立てられる羊のように歩き続けるという不思議な図に……。なんとかならんのか、と思うけど何ごともこれくらいのゆるさでええのんかもしれません。この「一定ペースで歩き続ける」という観覧方式、子連れの人や足腰の悪い人にはムリがありますし。

 

回遊している間に、家々の前の篝火が点火されてゆきます。勝手なイメージで、祭の開始を告げる号令のようなものがかかって一斉に火が灯るのかと思うていましたが、それぞれのおうちごとに静かに始まるのですね。

 

 

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燃え始めた篝火。(※写真を撮っていると「立ち止まらないでください!」の声が飛ぶので、母が牛歩しながら撮った写真です。(でもみんな立ち止まってますね))

 

やがて「サイレヤ~サイリョウ~」の掛け声がして、小さな松明が通り過ぎてゆきます。見ると、運んでいるのは小学生と思われる女の子たちでした。さっき小さな松明を見ながら「子ども用かな?」「それにしてもだいぶ大きいで」という会話をしたのでしたが、やはり子どもが担ぐんですね。すごい! 大人が持ち手(離れたところから支えられるように作られている)を掴みサポートしてはいたけれど、子どもたちは見事に運んでいました。

 

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あちこちから断続的に「サイレヤ~ サイリョウ~」が起こり、子どもたちの運ぶ松明が街道を行き来します。中にはやっと歩けるようになった年頃の赤ちゃんも(さすがに松明に触れるのは形だけで、最終的には大人が運んでいましたが)。なるほど、松明行列は一箇所で出てくるわけではなく、各家から同時多発的に始まるんですね。家ごとの順番やどこからどこへ運ぶのかなど、法則はよく分からずでした。

それにしても、私がこの地域に生まれてたらお祭りの日は恐怖やったと思います。なぜなら私は火がこわかったため。理科の授業で「アルコールランプに火をつける」って課題があったんですが、私がいつまで経ってもできないため班全員が昼飯を食べられなかったんでした(班全員ができるまで終われないという指導法、最悪ですよね)。マッチを擦ってアルコールランプに持っていけばいいんですが、マッチに火をつけた時点でパニックになってしまい、火のついたマッチごとどっかに放り投げてしまうのでした。

 

 

子どもの松明が一段落すると、今度はあちこちで大きな松明に点火され始めます。

 

大きな篝火も燃えていました。この時間になると気温も下がってきましたが、一帯は火のおかげで暖か。母が暖をとるためやたら火に接近するんでハラハラしました。

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留学生なのか、若い外国人の集団も多かったです。松明に反応して吠えまくる犬がいて、犬好きっぽい外国人の集団が「カワイイ!」「カワイイ!」と犬の周りに集まり、私も「カワイイ!」と犬の周りに集まり、しばらく祭そっちのけで犬カワイイ国際集団が形成されるなどしました。

外国からの人は聖地巡礼のついでなのか、アニメや漫画のグッズを身に着けている人が多かったです。幽白の飛影のバッジ着けてる人がいてアツかったです(あえて蔵馬じゃないのね)。フランス語を喋っていた女性が、「サイレヤ~、サイリョウ~」とお囃子を真似始めました。

 

 

観音様の鉾。(結局「百足」は見つけることができずでした。)

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篝火と星。

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次々点火されてゆく大松明。
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松明は神社のほうへ運ばれていくもの、神社から運ばれてくるものがあります(何か法則があるんだろうけれどやはり分からず)。大松明は男性三名で担がれ、周囲にそれをサポートする人々がいます。一番後尾をかつぐ人は、頭のすぐ傍で炎が燃え盛り、裸の背に火の粉がパラパラと落ちています。「いや~~ 熱うないんやろか!」と心配する母。いや、絶対熱いやろ。(ここで「一番後ろの人が一番気の毒やな」「ムカデ人間でいえば真ん中みたいなもんやな」というくだらない会話があったことを記録しておきます。)

 

あちこちで篝火も爆ぜ、崩れた炭が路面に落ちて悲鳴が上がります。次第に松明の炎が増え、囃子の声が大きくなり、太鼓や鉦の音がそれに添い、はじめは普通に担がれているだけであった松明が左に右にリズムをつけてゆっさゆっさ揺らされながら運ばれるようになります。祭って感じになってきたーー! 複数の松明行列が街道を行き交いやがて一団を成してゆく。 路上には火の燻るままの赤い炭が点々と落ち、松明の後ろからついて歩く見物人たちの靴底もそれらを踏んでゆく。途中、点火中の大松明が倒れたようで悲鳴が上がったものの、それ以上特に何もなかったようでした。毎年のお祭りなんやから、そんなことには馴れてはるんでしょうな。

 

 

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やがて鉾も登場。一見スマートな見た目に反し、足は四手に広がっており、それぞれの足を持った運び手のひとびとがずん、ずん、と少しずつ歩いてゆくのは巨人の歩みのよう。それだけに幅もとります。「道を開けて!」という声が飛ぶも、この頃になると見物人もにっちもさっちも動けぬ状態になっておりどないせえっちゅうねん、と思うていたら、地元のおっちゃんが警官を押しのけて「あんたらは特別のこっちの軒に入って! こっちのグループはこっち!」と采配してスペースを開け始め、さすが地元の人でした。


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下からの炎に照らされて光る鉾の飾り、見事に電線にひっかからないのもすごい! 普段車で通過するときはひっそりとした鞍馬の里、ここでこんなお祭りをやっていたなんて、こんなエネルギーが秘められていたなんて、ふしぎやなあ、と母と言い合うたのでした。鞍馬の火祭り「京都三大奇祭」のひとつとされていて、たしかに奇祭や~~と思いましたが、しかし「奇祭」の定義ってなんなんでしょか。奇祭って定義あるんかな? まず、中央に近いところで行われるものは奇祭と呼ばれない気がするので、珍しい形態をもち、かつ周縁的な場所で行われるものが「奇祭」と呼ばれるんかな? そして「奇祭」と呼ばれるものにこそ、本来の「祭」の魂やエネルギーが残されているのでしょう。いや、しかしとはいえ、女の子も松明を担ぐようになったと地元の方が教えてくれたように「奇祭」も時代に合わせてその姿を変えているのであるから、周縁的な場所に古来の魂を見出だそうとするのもまた、オリエンタリズム的幻想なのかもしれまへん。とかなんとか考えたのでした。

 

さてさて、この後本来ならお神輿が出て「チョッペンの儀」と呼ばれるものがあるらしいのですが、今年はお神輿は無し。なおチョッペンの儀とは、この年成人を迎える男性が逆さ大の字になって神輿の端に乗るというもの。いつか見てみたいものです。人ごみの中で牛歩を強いられたせいで母の腰が終わってしまったので、迂回路を駅へと向かいました。駅へ向かうときに、一瞬だけ、神社の様子が遠くから見えました。それまで街道を行き来していたであろう松明たちが石段のところに一箇所に集まっていました。報道の写真や映像はこの石段の横から撮られているので、松明とそれを持つ人々の姿が写っていますが、遠目に見たものだから人間の姿は見えなくて、するとまるで大きな人魂たちがひとりでに神社に集まってきたかのように見えて、それがとても、美しかったのでした。この様子は写真には撮っていません。

 

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ずいぶん待たされてやっと乗った帰りの叡電はぎうぎうでしたが、乱入したでかい虫に若い女性が悲鳴を上げ、飛び回る虫を周囲の人が捕らえて連携プレーで車外に放り出す、という一幕がありなごみました。その一部始終を観光客らしき外国人男性がニヤニヤしながらビデオに収めていました。