そんなこんなで3泊4日の滞在の、今日は帰る日でございます。ここまでずっと快晴の夏日でしたが、この日は曇りときどき小雨。少し寂しげな会津の街です。
最終日は、ホテルのモーニングを頼みました。
前日、あね(会津に関する師)から「そういえば会津地鶏の卵がちょう美味いので食べてみてくれ!」とのお言葉をいただきまして、卵~~と思っていたところ、ちょうど地鶏の卵があって卵かけごはんをしました。たしかに美味い!
ところで「ホテルのモーニングの写真」って、「旅行のたびに一応撮るけど後から見返さない写真」の代表だと思うのですが(その他見返さないシリーズとしては「飛行機の窓から撮った雲の写真」がある)、この写真はこぼしちゃんが可愛くてニヤニヤしながら見返してしまいます。こぼしちゃんは甘い何かでした(中に餡が入ってた)。牛乳は「会津のべこの乳」でした!
昼頃の電車に乗る予定であり、それまでそのへん散策することとしました。母は昨日までで力尽きたらしく「おれは部屋でデロンとする!」と宣言するので、デロンとする母を残してひとりお散歩へ。
- 蚕養國(こがいくに)神社
まずは、白虎通り近くにあって気になっていた蚕養國神社へ行ってみました。
養蚕を守護する神社らしいので、蚕さま狛犬(狛蚕)とかあるかな~~と期待しましたが、それはありませんでした。樹齢千年!という「峰張桜」がありました。
養蚕家からの玉垣が並んでいました。写っている「旭田村」は今はもうない自治体ですが、今でも養蚕がさかんなのかしらん。
神社から道路へ出た傍らの小さな祠。何か分かりませんが、こういうものに惹かれます。
その向かいの郵便局。「はやくきてくたされ、はやくきてくたされ」(野口シカ)ですね。
- 博労町近辺
城下町らしい地名、「博労町」の名をもつ通りを歩いてみることとしました。
急に膀胱が危機を迎えたのでコープあいづ博労町通店でトイレお借りしました……助かった。ふつうのスーパーでしたが、その駐車場の傍らにカッコイイ一角が。江戸時代からの酒蔵だそうです。
博労町通からは、まっすぐ南方向に鶴ヶ城の天守閣が見える……らしいのですが、この日は曇天のためか私のしょぼい視力のせいか、よく分かりませんでした。
現役の造り酒屋さんやろか?
なんか斬新なデザインの建物。
見たことのない牛乳の看板を見るとテンション上がります……が、名糖はべつに福島の会社じゃないんすね(長野の会社らしい)。
城下町風のマンション……。こういう「むりやり観光地感」物件も好きです。
自在院。猪苗代兼載がいた寺で句碑がある、ってことを後から知りました。
この古そうな建物は、旧・会津庶民銀行。今は何かに使われてるのかな?
会津は、街なかにさりげなく古いものが残っててええなと思いました。諸資料館を回ったとき、戊辰戦争で失われ奪われた体験があるだけに資料を集めよう残そうとする情熱を感じた、と書きましたが、現在の街並みの保存というところにも、そうした精神が生きているのでしょうか?
これは、別に名所でもなさそうな、住宅の横や道路の片隅で見つけて「?」と思った碑。
さしあたりネットで調べたところによると、かつて会津で特にさかんだった古峯信仰の講によるものらしいと分かりました。こういうのが残ってるのも面白いです。
- 西軍墓地
南へ歩いて市役所前の通りに出たところで西に折れ、エエ感じにレトロな飲み屋ビルなどを見ながら「野口英世青春通り」まで歩き、再び北へ折れると、西軍墓地のあるお寺があります。
戊辰戦争の際に、若松付近で亡くなった西軍の兵士――会津にとっては敵方であるわけですが――を弔った墓地です。薩摩、長州、大垣、肥州……各土地の兵士が戦死者として葬られています。
西軍墓地のある東明寺は、なんだか渋い感じのお寺でした。
なぜこのお寺が西軍墓地を管理することになったのか、観光案内等にも書かれておらずよく解らなかったのですが、検索していたら、白木屋漆器店さんのブログに、法要の様子とともに経緯が少し書かれているのを見つけました。
記事の最後に書かれているように、敵味方ともに多くの人々が時代の中で命を落としたのであるなあと解るとともに、戦後すぐに葬られ靖国に祀られた西軍の人々と、会津のあちこちで出遭った「東軍は遺体の埋葬も許されなかった」という話との不均衡を思ってしまいます。
よく「日本人は死んだら皆平等だと考える」というように日本人の死生観が語られますが(たとえば「死者を悪く言ってはいけない」というような文脈で)、全然そんなことないじゃんね、と思います。今回は、「埋葬すること」について考えるアンティゴネー的旅でもありました。少し前の論文のようですが、この文章が詳しくて興味深かったです。
国事殉難戦没者,とくに反政府軍戦死者の慰霊実態(調査報告) : 1982-11|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
そして、上のブログによると、そんな西軍墓地も戦後は長く荒れていたのですね。
墓地の隣には公園があり、小さな女の子と若いお父さんが遊んでいました。
京都の耳塚公園に雰囲気が似ていると感じました。耳塚公園は耳塚(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に殺した人々の耳や鼻を供養したものとされている)に隣接している公園であり、別に地元の者にとってはふつーの児童公園ですが、隣に辛い歴史をもつ慰霊の施設があるという点で。
- 甲賀町など
西軍墓地をみた後、お向かいの会津町方伝承館を覗き、再び東へ歩いて甲賀町あたりをぷらぷらしながらホテルへ戻りました。
このあたりはまったく観光地感はないんですが、先にも書いた通り、私はそういう街をぷらぷらするのが一番愉しいので……。貼り紙とかパイロンとか地元にないちょっとしたものとか歴史の片鱗とかを見つけたりするだけで充分愉快なので……。取り立てて目立つスポットがあるわけではなく「歴史あるふつうの街」って感じだな、と思い、いや、世界のほとんどの場所はそうだよな、と思い直しました。
なんかいた。
街角に突然掲示される城下町図。
基督看板はこの旅で3件採取することができました。
何だったか分からないがおそらく良い感じの絵が描かれた塔。
猫ちゃん、その他動物さんがアピールされていた写真屋さん。
水路大好き。
2時間ほど散歩してホテルへ帰ると、母は、私が出たときと同じ格好でデロンとしていました。
ホテルのカフェでお茶してチェックアウトすることとしました。ホテルのカフェの割引券をもらっていたのですが、オープン時間が午後15時まで。つかうタイミングないわ!と思うていたのですが、やっと使えました。
ちょいレトロな看板が子供の頃(80年代)の「憧れの喫茶店」て感じでいい。
ホテルのフロントには、「神獣べこ」なるものが飾られていました。これらはガチャで出せる(※上段のもふもふ以外)らしいので、われらもガチャに挑むことに!
フロントで100円玉に両替してもらい、いざガチャに挑むと、……詰まった!!
私はなぜか「ガチャ詰まらせ力」を持っており、これまで多数のガチャを詰まらせてきましたが、旅先でも発揮されるとは……。ガチャの詰まりでスタッフさんを呼びに行く中高年母娘……。
スタッフさんのおかげで無事回すことができ、母もチャレンジ。母は初ガチャだったのではないでしょうか。二人とも「ペガサスべこ」を出しました。
それにしても最初はなんとも思うてなかった赤べこですが、4日間会津にいるうちに次第になんともかわいく見えてきたのがふしぎなことでした。本格べこはそこそこのお値段であり買うのを耐えておりましたが、プラスチックのガチャべこは300円でちょうどお手頃。首の可動性が低いですが、可愛いやつです。
駅のべこと記念写真を撮り、お昼の電車で会津を去りました。
帰る間際に小雨から本降りになり、帰りの磐越西線の車窓は行きの快晴と打って変わってずっと雨の磐梯山でした。