さらば大丸ファミリー食堂/バービー人形とセックス・ピストルズ

京都・四条大丸・8階ファミリー食堂が2月で閉店しました。フロア全体のリニューアルのためだそうです。昨今四条近辺に行く機会も減っていたのですが、閉店の報を聞いて別れを惜しみに行きました。

 

ちょっと前(……でもないか、1年ほど前)に久々に大丸の屋上を訪れ、写真を撮って、ここは健在やなア、なんぞと書いていたのでした。このときは時間がなくて食堂には寄れず、また来たいなあと思っていたのでしたが、こんな形になってしまうとは~!

 

 

大丸ファミリー食堂は、前身を含めると100年以上の歴史があり、今の形になったのは1970年代とのこと。子供の頃はよく買い物の後などに連れられた思い出があり、大人になってからもときどき使うことがありました。

これは10年ほど前、大丸ミュージアムで母と昆虫写真展を観た後にハムサンドを食べたときの写真です。人の顔に修正を入れたら前衛空間みたいになってしまいましたが、お客さんがたくさんいて賑わっている様子がお分かりいただけるかと思います。

 

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先月は京都に行く用が多く、何度か訪れてゆっくり別れを惜しめたのはよかったことでした。

入口横のディスプレイでメニューを選び、カウンターで食券を買うシステムは昔と同じでした。ディスプレイ上部「ファミリー食堂」の書体が好きです。一切浮ついたところのないこのデザインを見てください。

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カウンターにおられた店員さんの接客の雰囲気も昔と変わらず。ずっとおられるベテランの方だったのでしょうか。

感染予防のため席間がかなり広く取られていましたが、基本的な内装も昔のままでした。

 

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壁際に並べられたちっちゃい椅子。この椅子に座らせてもらうのが好きだったな~ とか、小さいころに一度大勢の親戚たちと食事をしたことがあったな~ とか、忘れていた記憶があふれだしました。さすがに当時のものと同じかどうかはわかりませんが……。

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店内+自分で自撮りしようとしましたが、(オフショルダーを着ていたため)裸で食堂にいるみたいなシュール写真になっちまいました。一応upしときます。

背の高い観葉植物はここの特徴ですね。

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年期の入った卓上調味料たち。

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隅っこの手洗いコーナー。なんか好き。「庶民的な高級感」て感じが好きなのです。

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キャンペーン中は、レシートと交換で「かけ箸」というのをもらえました。「大地といのちのかけ箸プロジェクト」というものの一環だそうです。

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袋の内側がおみくじになっていたりしてナゾですが、リニューアル後に持参すると何か特典が受けられるそうで、上手い企画やなあと思いました。リニューアル後の来客促進という点だけでなく、現食堂を惜しむ人々に、今が今後に受け継がれていく感覚を与えて心慰めるための企画なんやろな~と思いました。子供の頃、住み慣れたアパートから引っ越すのが淋しくて、「次にこの部屋に住む人と友達になろう」とあれこれ想像して心を慰めていましたが、ちょっとその感じと似てるなと思いました(伝わりますかね?)。

リニューアル後、どんな感じになるのでしょうねえ。イオンモールみたいな路線になるのか、あるいは高級路線に変わるのか。ファミリー食堂は、その中間の「ちょうどええ感じ」だったんだと思いますが、そうした需要は少なくなってきたんでしょうかね。また「ファミリー食堂」といっても、今やファミリーで百貨店に来る人は減ってしまったのでしょう。

 

 

「ご愛顧感謝メニュー」として大人のお子様ランチなるものができていました。昔を懐かしむのであればふつうのお子様ランチが食べたいところですが、そちらは大人注文不可だったのでこちらを頼みました。

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さすが百貨店のお子様ランチなだけあって豪華、たこさんウインナーにもしっかり出汁っぽいお味がついていました。

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大人なので旗は持ち帰りませんでしたが、子供の頃は、お子様ランチを食べさせてもろたら必ず旗を持ち帰っていました。あの旗たちはどこへ行ったのやろか。

みなさん、お子様ランチには思い出があるようで、この日は老若男女、これを注文してる人が圧倒的に多かったです。食べながら配信している一人客もありました。

 

 

連れが頼んだライスの皿は大丸皿でした。おお!昔から使ってるやつなのかなあ。

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「大」は、私が最初期に覚えた漢字であります。大丸のおかげでした。大丸の包装紙などを見ては「大丸の『大』やで」と教えられたものでした。ところが、当時家のトイレの水洗レバーにも「大」って字が書いてあったのですよね。「これはだいまるの『大』では? トイレとだいまるとどういう関係が?」と人知れず悩んでいたのを覚えています………食堂の話だったのにトイレの話になってしまった、失礼しました。

 

 

 

いちばん最後に訪れたのは閉店1週間ほど前です。最後に揚げそばを食べました。

 

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一番よく来ていた頃に好きだったのがこれでしたが、人気メニューだったとは知りませんでした。母も揚げそばを懐かしがっていたので一緒に来たかったんですが、残念ながら例のワクチンの副反応でダウンしていたので、私一人で。この日は流石に人も多く、少し並びました。皆ファミリー食堂にそれぞれの思い出があるのでしょう。

 

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そしてやってきた揚げそば。これ、めっちゃきれいじゃないですか?

輝くような揚げそば!

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練り物が二種入っていてふわふわで美味しく、お野菜も魚介も豪華で美味しく、蕎麦がしっかり太麺でカリカリ揚げてあって美味しい~~! 味わっていただきました、わがファミリー食堂に悔いなし!

しかし、かつてよく食べたはずなのに、記憶にあったよりもかなり美味しくて驚きました。こんなに麺しっかりしてたっけ? こんなに具が多かったっけ??  復刻されてパワーアップしたのかもしれませんが、もしかしたら、●●飯店の揚げそばの記憶と混じっていたのかもしれません。●●飯店とは、昔に近所にあった大衆食堂でして、私はここでもよく揚げそばを食べていたのです。お子様ランチから卒業しようというときの、ちょっと大人っぽい食べ物が私にとっては揚げそばだったのでした。●●飯店のもそれはそれで美味しかったのでしたが、そちらは地元の食堂の素朴な揚げそばだったと思われます。年をとると記憶の中で隣接しているものたちが次第に混然一体となってゆくのですね、エエ加減なもんです。しかしエエ加減な記憶のおかげで、ファミリー食堂の揚げそばに新たな感動をもって再会できたのである、ということにしておきます。最後に新鮮な感動があってよかったです。

 

 

8階は屋上街でもありますが、今は屋外はお花屋さんと広場のみ。かつては子供向け遊具でにぎやかでしたが、今はベンチで休む人がぽつぽついるだけでのんびりしています。これはこれでイイ感じです。ここもリニューアルされるのでしょうか。


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ハトがいました。
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***

 

ところで、あたかも子供時代の良き思い出であるかのように大丸を語ってしまいましたが、実は私は、百貨店って苦手でした。

百貨店にはときどき、母や祖父に連れていかれました。しかし、おもちゃ売り場に行ってもほしいものはねだれないし(べつに禁じられていたわけではないが性質として)、高そうなものは買ってもらえないし、服は興味がなかったし、大人が自分のものを見ている間は暇だし。買い物のあとで連れられる屋上の遊具と食堂だけが愉しみだったのでした。

少し大きくなってからは、母がバーゲンで闘っている間の妹たちの子守り要員として連れてこられました。当時、母のわずかな愉しみが百貨店のバーゲンだったのでしょう(漫画やドラマで見るような熾烈なワゴン戦が繰り広げられていました)。その間、私はおもちゃ売り場で駄々をこねる妹らに手を焼きながら、母が戻ってくるのを待つのでした。

 

この頃の嫌な思い出として、クリスマスのバービー人形の思い出があります。

妹がサンタさんからバービー人形をもらったのでした。しかしどうやら欲しかったものと違ったらしく、サンタ(母)から大丸で交換してもらうように命じられたのが私でした。我が家の年末はお歳暮業務で忙しかったので、サンタ(母)自らがデパートに出向く暇はなかったのです、私は浮かれたでかい包みを抱えて大丸へ向かいました。

年の瀬の四条通は人が多く、中でも百貨店のおもちゃ売り場は親子連れでぎうぎうでした。今もクリスマスのデパートってあんなに賑わうんでしょうか? イオンモールトイザらスもなかった当時は、京都中の親子連れがあそこに集結していたんでしょう(?)。ごった返すフロアはコートを着ていると汗ばむほどで、べつに自分のものでもないプレゼントの交換を命じられてきた私は一層不愉快になりました。人ごみの中でなんとか店員さんをつかまえ、「これとあれを交換したい」と要望を告げたところ、その年配の女性は、

「あら~、これはワタシがサンタさんにもらったのかな? お父さんお母さんにもらったのかな? ワタシはこれが気に入らないの?」

と猫撫で声で言ったのでした。

当時私は中学生。一番コドモに見られたくねえ時期であります。しかし私はハタチを過ぎるまで中学生に間違われ続けていた人間、リアル中学生の頃は余裕で小学生にしか見えなかったでしょう。人ごみでほてったほっぺもりんごのように赤かったでしょう。幼子に話す口調で応えられ、自分がお人形遊びをするような、サンタからのプレゼントにワガママを言うようなコドモやと思われた! と知ったのは屈辱でありました。精一杯大人ぽい口調で、「いえ、こちらは妹がもらったものでして」とかなんとか説明しましたが、忙しい店員さんはそんなことはどうでもいいので、「ひとりで来れてえらいねえ、ちょっと待っててねえ」と言いながらせかせかと交換の品を取りに行きました。

 

このクリスマス屈辱事件は、セックス・ピストルズの思い出と紐づいてもいます。

(お気づきのように、もはや食堂の話とは何の関係もありません。)

 

この品物交換の直後だったか、詳しい時間関係は思い出せませんが、大丸から四条通を少し西へ歩いたところのJEUGIAで、初めてセックス・ピストルズのアルバムを買ったのでした。クリスマスにピストルズ! (私の人生にしては)ちょっとキマりすぎではないでしょうか。

中2の頃、初めてブルーハーツを聴いてから(以前にそれに至る話を書こうとして途中でやめてしもたのでした……この話はこれの続編ってことで)、ロックと呼ばれる音楽を聴くようになったのでしたが、それでもっていろいろ興味をもって音楽雑誌などをめくってみると、やたら「アナーキー・イン・ザ・UK」という言葉を目にすることに気づいたのでした。ミュージシャンがインタビューの中で「アナーキー・イン・ザ・UKは本当に衝撃的だったよ」と語っていたり、ライターさんが何かを誉めるのに「アナーキー・イン・ザ・UKと同じくらいの衝撃だった」と書いたりしているのです。なんかとにかく衝撃的であるらしい、アナーキー・イン・ザ・UKってやつは何なんや? 当時はグーグルもなくしたがってグーグル検索もないので、とりあえず辞書を引いてみると、「アナーキー無政府主義的」とかなんとか書いてはありましたがよく分からず、いやなんか知りたいことと違う気がする……と思っていました。

しかし気になっていることというのは気にし続けているとなんか知れてくるもので、やがて、それが曲のタイトルで、セックス・ピストルズというイギリスのバンドが演奏してて、それはパンク・ロックで一番有名なやつらしい、とかいうことが分かってきました。そうなると、皆が「衝撃的」と言っているそれを聴いてみたくなります。当時はyoutubeなんてものもないので、とりあえずレコード屋でそれの存在を確認し、といっても小遣いもそんなにないので、買うか買わないか逡巡する日々が続くわけですが、そのしばらく逡巡していた『勝手にしやがれ』を、なんでかこの日買うことにしたんでした。

JEUGIAのグレーと緑のつるつるした袋に入れてもらい、逃げるように四条通から離れました。家に帰るまで微熱があるみたいにフワフワしてました。どぎつい蛍光色のジャケットは脅迫状みたいなデザインでいかにもやばそうだし、そもそも「セックス・ピストルズ」て名前からしてやばそうだし、こんな、小学生に間違われてるようなほっぺの赤いチビが買っていくのはおかしいんじゃないか、補導されてこんなものを持ってると知れたらまずいんじゃないか……。

 

家に帰り、二階に上がって私は、親たちに聴こえないように注意を払いつつCDを再生しました。「アナーキー・イン・ザ・UK」てやつは、どんなに過激でいかがわしいのであろうか。しかし、アレ? どんな凶悪なサウンドかと思ったら、ミドルテンポにメジャー調、わりとポップな演奏です。怒り狂って喚き散らすのでなく、笑い声から始まって終始含み笑いのようなヴォーカルはむしろユーモラスでもあります。エッ、こんな感じなの……。歌詞に出てくるIRAやUDAはなんだか分かりませんでしたが、デストローイてとこがカッコイイ、と思いました。