ブルーハーツを聴き始めた頃の話(未)

以前、別ブログに、THE BLUE HEARTS のアルバム『PAN』を聴いたときの微妙な思い出を書いたのですが(アルバム『PAN』再訪(20年前について) - 採血の牛)、そういえば、ブルーハーツを聴き始めたときのことはあんまり書いたことがないな、と気付いたのでした。
ブルーハーツを聴き始める」というフレーズがもう、あまりにいかにも過ぎて気恥ずかしいのですが(せめてもうちょっと気恥ずかしくないバンド名を付けてくれていれば!)、自分がいわゆるロック音楽というものを聴いた最初がブルーハーツで、そこからいろいろ(パンクロックの存在とか、もっと古い音楽とか、何ならビート文学とか)を知ったので、未だ以て自分史の中ではわりとでかい出来事であるのです。

 

「ロックと出会って自分はこう変わった」みたいなことは、いろんな人が2万字インタビュー(まだあるのかな?)とか脳内2万字インタビューとかで語っていると思います。
自分は、やかましい音楽を聴いていると言うと驚かれるタイプの弱そうな中学生でしたんで、ナメちゃんやMTさん以外にはあんまり音楽の話とかしなかったんですが、そんな私にもそうした変化が多少あったといえばあり、それは主に、「風呂に入るようになったこと」と「多少なりとも学校の勉強をちゃんとやるようになったこと」でした。
「学校もジュクもいらない」と歌うバンドを聴いて学校の勉強をちゃんとやるようになる、というのも意味が分からんかと思いますが、40歳も過ぎた(マジか)ところで、初夏の夜の風にふと1993年の鴨川下流草いきれを思い出したからか、なんとなく、あの頃の感じを振り返って書いてみたいなあ、という気持ちが突然芽生えたので試みてみます。

 

 

これは自慢なのですが、私が彼らの音楽に出会ったのは14歳の誕生日であり、それは、ドラマティックな出来事が一切無い自分の人生において唯一のドラマティックなエピソードといえましょう。まさに「あの日の僕のレコードプレイヤーは♪」なわけですよ。アルバムでいうとちょうど、『STICK OUT』が出た頃でした。(その約2年後彼らは解散するわけですが。)

リンダリンダ」とか「TRAIN-TRAIN」とかがヒットしていたのは、それより何年か前で、私が小学校高学年の頃だったでしょうか。クラスの活発な子やひょうきんな子が、掃除の時間に箒をマイクに見立てて「リンダリンダ~」と飛び跳ねたり、サイン帳(これもまだあるのかな……友達のプロフィールとか書いてもらうやつ)に「好きな音楽:ロック」「好きな歌手:ブルーハーツ」と書いたりしていたので、なんとなくそういうグループがいることは知ってたんですが、そういう活発な子とかひょうきんな子とか運動の得意な人気者たちの聴くような音楽なら、自分には縁のないものだろう、と当時はスルーしていたのですよね。ロックとかなんか怖そうだし……。
ではその頃は何も音楽を聴いていなかったのかというと、そうでもなくて、親が持っていた丸山圭子のカセットテープを経て「音楽を聴いて世界に浸る」という行為に目覚め、中島みゆきにハマり始めていたのでした。
「卒業生を送る会」みたいなやつで「時代」を歌わされることになり、これはふつうにええ歌やなあ、と思っていて、そしたら、よく行く区の図書館に『中島みゆき全歌集』という本があって、「あ、『時代』の人だ」と思って借りてみたのです。
するとびっくり、「時代」みたいな歌ばかり歌ってる人だと思ったのに、「うらみ・ます」という曲があって、「うらみます、うらみます、あたし優しくなんかないもの」というのです。私はそれまで、歌というものは「愛」とか「夢」とかいう言葉が入っていて、あなたが好きとか夢を諦めないでとかそういうことを歌うものだとばかり思っていたので、
「歌って、何を歌ってもいいものやったんや!」
とびっくりしたのでした。
なので、私が「初めて買ったCD」は、中島みゆき『生きていてもいいですか』なのです。デパートに連れてもらったときにおじいちゃんが「なんかほしいもんあるか」と言うので、買ってもらったのでした……。

 

そっちに傾倒している娘に危惧を抱いたのか、母がユーミンのテープをプレゼントしてくれたりもしました。それはそれで嬉しかったんですけど、やはりみゆき派でした。ユーミンでも「翳りゆく部屋」とか、とにかく別れの歌が好きでした。
その後、中島みゆきからの派生で、山崎ハコとか谷山浩子とかを知り、十代序盤は「暗い女性ヴォーカル」にハマって過ごしました。そのちょっと後、テレビドラマの主題歌に使われた森田童子リバイバルもありましたし、一応時代とリンクしてたんですね。

 

 

ブルーハーツを聴いて入浴と勉強をするようになる話に辿りつくまでに、なんか既に自分語りに満足し始めた感があるので、続きは気が向いたら書きます。