京都市といえば祇園、舞妓はん、というのがそのイメージでしょうが、実際は京都市はその多くを山間部が占めています。ということを意識するようになったのも、実は私もわりと最近だったりします。いや勿論知ってはいても、市街地に住みチャリと徒歩でうごうごする生活であるとなかなか山のほうへ行く機会もなく。昨今徐々に「もっと京都全体を知りたい」という思いが芽生え、花脊のことを調べるなどし、「京都バスの終点、広河原! 行ってみたい!」と思っていたところ(最近こういう「終点まで行きたい」欲がよく発生する)、車を出してもらう機会があり、花脊峠~美山間を走ることができたのでした。
花脊は実は少しゆかりがあり、何度か家族に連れられ訪れたことがあるのです。はるばるナンバー君の収集に行ったこともありました。しかしそのときは「とにかく山の中」としか認識しておらず、別所、大布施、八桝、などの地名や「どこどこの集落には何姓が多い」などの話は聞くものの、それがどこなのか断片的にしか分からず。今回地図を見ながら走ったことで、各地域のだいたいの配置が分かり、そしてまた、花脊とひと口に言うものの、思った以上に広大! ということが分かりました。また、途中会えた親族から村の由来を聞かされるなどしてよかったです。最近は、芸術家など、新たに定住する若い人も増えているそうです。
花脊峠からの写真です。この写真では分かりにくいですが、盆地の底に沈んだ市街地が見えます。天気の良い日は大阪の建物も。
京都の山間部は未だに、今年の雨や去年の台風の被害が生々しく、あちこちに倒木があり作業中のトラックが停まっていました。峠も以前はもっと樹がこんもりしていたそうです。地元の人によると、「前より街がよく見えるようになった」そうで。
花脊峠は、道が狭く難所のようです。トンネル化を望む看板が立っていました。父が「子供の頃、旧花脊峠の雪の上を滑った」と話していました。
これは別所のあたり。無人販売がところどころにありました。
ここではキク芋が売られていました。
この日はお天気がよく、小さな川がきらきらとして綺麗でした。
川のほとりにネコちゃんたちが祀られて?いました。
八桝にある「交流の森」に寄りました。山菜の入った丼を食べました。
小さな鳥が窓に激突して庭に落ち、動かなくなったのでしたが、丼を食べ終わって出る頃には立ち上がり飛んでいったのでよかったです。気絶していただけのようでした。
花脊は市街地よりだいぶ涼しく、ところどころ葉がもう色づいていました。
あまりきれいに撮れませんでしたが、「松上げ」の台を見ることができました。
松上げは、夏の奇祭として有名だそうで、我が家も何度か誘われたことがあるのですが、まだ見たことがありません。京都の盆といえば大文字、と思っていましたが、花脊ではまた違う行事で盆が彩られているのですね。
交流の森から更に奥へ、車だと10分、20分程度だったでしょうか、京都バス終着駅、広河原に到着しました。うおおお! 他に誰もいないがテンション上がる私。
京都市お馴染み地図板。スキー場も近くにあることが分かります。
バス停と小屋。
なお、バスは、出町柳-広河原を往復しており、片道料金は1100円。時刻表によると、広河原発は日に4本でした。鞍馬~広河原間は自由乗降区間で、広河原発のバスは「グリーンスリーブス」を流しながら走るそうですが、こんな季節の夕暮れに山道で出遭うグリーンスリーブスは寂寞とした気持ちになりそう……毎日聴いてると馴れるのかな(この日は残念ながらバスには会えずでした)。
ネットで検索すると、「広河原まで行くために広河原まで行った」系の、バス好きの人や酷道好きの人や終点好きの人のブログなんかも出てきて面白いです。
尾花谷川。
川のほとり。
ひと気がないところであるから、飛ばし過ぎてしまうのでしょうか、事故多発の看板がありました。
父のいうには「昔はここから先は道(整備された道路)はなかった」とのことですが、今はふつーに走っている道路をさらに抜けると南丹市へ。
父曰く「俺が若いときからある」石室。廃村・灰野への道標もありました。
ここまでくると、京大芦生演習林も近くなんですね。が、寄り道はきりがないのでこのまま美山へ抜けました。