老犬看取り之記(2)


まめ子は、食べることとおさんぽが、二大・好きなことでした。(まあ、まめ子に限らずたいていの犬はそうだと思いますが。)
食べることをほぼしなくなったのは、逝く一週間ほど前でした。
鰆(先述)の後は、妹が与えるプリンなどを、少し口にするのみでした。
獣医さんに、「タンパク質を控えて、脂質と炭水化物を摂るのがよい、油で炒めたごはんなどがいい」 と言われたので、私が(珍しく)炒めごはんを作ってやったのですが、ほとんど口をつけず淋しかったです。(写真は、炒めごはんを微妙な面持ちで見つめているところです。)





しかし食べてない状態でも、おさんぽだけは死ぬ3日前までしっかりしていたのだからたいしたものです。
今日は、少し前のおさんぽのことを書きたいと思います。

最後にひなたぼっこしたのは、その前の週の金曜日と土曜日。
それぞれ違うおさんぽコースを、てとてと歩き、ひなたぼっこしました。

行く先々で一休みするので、いろんな人に「もうお年寄りですか?」と訊かれてしまいました。(しかし訊いてくる人たちもなぜかお年寄りでした。)
今思えば、まるで、これまで歩いたいろんなところへゆっくり名残を惜しみに行くかのようなおさんぽであったなあと思います。というのは人間の感傷であり、まめ子的にはおしっこしに行っただけやと思いますが。


博物館の前でひなたぼっこ。京都の犬です。お空もきれいな青でした。




日の当たるところでひなたぼっこ。




よくひなたぼっこしていた石段の前で。



写真の通り、以前に較べてちょっと痩せてしまっていますが(以前が太りすぎていたのですが)、しっかり歩いていました。
ちなみに、獣医さんによると、痩せていたらもっと早くに弱ってしまっていたのでないか、ということ。やや小太りくらいが健康に良いようですよ。ぷよ気味の私には朗報でした。



翌日は、岡山に行くことになっていたのですが、同行者が快く出発を遅らせてくれたので、有難いことに、午前中にゆっくりおさんぽしてから出かけることができました。
じっくりゆっくりまめ子と楽しんで歩くことができて、うれしかったです。


くさむらをふんふん探索したのち、自ら好きな場所にぺったり腰を下ろしはりました。




ベンチの上に、柿が置かれていました(何故)。秋だね。




秋の野、風がさわさわ揺らす草、椅子の上の柿、目を閉じる犬。美しい光景。




まめ子の散歩に初めてひとりで来れるようになったのも、これくらいの季節だったなあと思い出します。(私は犬を飼ったことがなくどちらかというと怖かったので、当初は一人では散歩させられなかったのでした。)
当ブログでも、その頃の、「尿」についての思い出を書いたことがあります。
京都ぬるぬるブログ--世界でいちばん綺麗な尿 http://yaplog.jp/maternise/archive/251


まめ子は落ち葉のかさかさが好きで、元気なときは、わざわざ道の端に積もったかさかさの中を歩いていました。かさかさに埋もれて見えなくなっていた溝に、足がはまって落ちてしまったこともあり……お間抜けでした。
今年は秋が深まるのが遅かったため、かさかさが積もったのはまめ子がいなくなってからであったことが残念です。
でも、赤い綺麗な葉っぱが散っており、ひなたぼっこするまめ子の頭に載せてやりました。




同じ日、母に、まめ子と写真を撮ってもらいました。(私の変なタイツについては気にしないでください。)
渋い顔ではありますが、しっぽはぴこんと立っておりますね。



たまに、カメラを向けるとカメラ目線で微笑むフォトジェニックな犬を見かけますが、まめ子は、カメラを向けると徹底して視線を逸らす犬でした。
最後まで、うかない顔で視線を逸らし続けておりましたよ。