老犬看取り之記(4)


その、私が高熱を出した翌日、友人夫婦がお見舞いに来てくれました。もちろん私の、でなく、まめ子の、です。
この友人とは、翌週会うことになっていたところをたまたまこの日に変更したのですが、今思えば、この日来てくれてよかったことです。この翌日からまめ子は目に見えて体力を失い、翌週にはもういなくなっていたので……。

家の者だけですとどうにも気が塞ぎがちなので、お客が来てくれるのは有難いことでした。
「まめちゃん、ちょっと痩せた?」と言いつつも、ふつうに 「可愛い〜毛並みイイ〜」 と撫でてくれて、ほっとしました。家族はやはりどうしても「痩せたなぁ、弱ったなぁ、毛づや悪くなったなぁ」と悲しいところばかり目についてしまっていたので。
友人旦那も気さくな人で、「ふわふわや〜」とまめ子をなでてくれました。
二人とも、こういうときに「ちょっと深いイイひと言」みたいのを言おうとしない人らなので有難かったです。
まめ子も久々の他人に反応して、顔を上げるなどしていました。


↓友人夫婦に構われるまめ子



↓構われ続けるまめ子



この友人は、まめ子が我が家に来たばかりの頃にも偶然うちに遊びにきたことがあったので、「あのとき偶然アトリエの先生もいて、『情けない顔の犬やな〜』ってみんなで話したよな」 と10年前の懐かしい思い出話をしました。
アトリエの先生というのは、われわれが絵を習っていた先生なのですが、先生も雑種犬を飼っておられ、先生の犬とまめ子が喧嘩をして互いに傷を負ったこともありました。
自分の作品に自分の愛犬を登場させておられ、羨ましいなあと思ったこともあります。
一度、まめ子の散歩中にばったりお会いし、「絵になるなあ!」 と言われたことがあり、画家に「絵になる」と言われるとは光栄! と嬉しく思ったので、そのことはよく覚えています。


うつぶせに眠るまめ子を見て友人夫婦は、「ティッシュカバーみたい」「ここ(背中)からティッシュがシュッと出てくる」 と意味のわからんことを言い出し、意味わからんかったけどなごみました。
二人が帰った後フォトショでティッシュカバーまめ子のコラ画像を作ろうかと思いましたが、さすがにそんなんしてる場合ではないと思い直し、そのへんの紙に描いたのが先日upしたティッシュ絵です。






友人夫婦が帰ってから、母と散歩へ出ました。
寒いので、去年買うた服を着せてやりました。
今度は私がリードを握っていたので、まめ子は私ヴァージョンのさんぽコースをてとてと歩いていきます。
急な坂はもう登れないようでしたが、だっこして登ってやると、ちょっとたゆんとしたのちまたてとてと歩き出し、お気に入りの場所でおしっこ。更に「公園にいく」と主張し、頼りない足取りではありましたが、いつもの公園までぽてぽて歩いたのでした。
たいした犬や!と感嘆する母娘。

よく転がってひなたぼっこしていたベンチの下へ行き、載りたそうな感じを出していたので、抱いて載せてやりました。
若いときには自分でぴよーんと飛びのっていましたが、年をとってからは乗りたいところのふもとをうろうろして、なんとなくむうっと乗りたい感じを発するのです。



しかし残念ながら、寒いし曇りだしひなたぼっこ日和ではありませんでした。まめ子最期のおさんぽの日々は、曇り空だったのが残念なことでした。
この翌々日、久々にカラッと晴れた晴天になったのでしたが、その日からもう、まめ子はおさんぽしなくなったのでした。


石のベンチにそのまま腰を下ろしては腹が冷たかろう、身体を冷やしてはいけないから、と母が即席で新聞紙を広げクッションを作ってやりました。
しかし、クッションを敷くやいなや、わざわざむくっと立って離れたところに座るまめ子。
衰弱してもこういう性質は変わってへんのか!

そう、家でくつろいでいるときもおさんぽ中にひなたぼっこするときも、いつも、まめ子の横に並んで座ろうとすると、わざわざ立ち上がり最大限われわれから離れたところに座り直す、まめ子はそういう犬だったのでした。
最期までよそよそしさをつらぬく犬、それがまめ子でした。