老犬看取り之記(5)


巷の犬映画や犬小説、犬エッセイを見たり読んだりすると、だいたい最後は犬の死で終わる(当たり前だが)のがいやだよう、とずっと思っておりまして、なので今、犬の死について書いているのは、そのイヤなフォーマット(というかそもそも死が生のフォーマットに備わってるので仕方ないのだが)の仲間入りのようで悔しいのではありますが、しかし犬が死んで分かったことは、(人間の死もおそらくそうであるように)犬の死は犬の生の日常の延長線上にあるもので何ら特別なことではなく、また、死んだとて、犬の可愛さや犬への愛情は少しも減ずるものではなく、愛犬は永遠に可愛い愛犬であるのだ、ということです。



さてそれは家族にとっても同じであるようで、我が家では未だ、話題の中心はまめ子です。
我が家はもともとあまり仲の良い家庭ではありませんでした。犬一匹の投入でここまで家族力動が変化しうるのか、ということが、ここ十年で最も驚いたことかもしれません。
当ブログではまるで、私がまめ看病の中心であったかのような書き方になっていますが、勿論そんなことはなく、人手(家族)が多かったことは本当に有難かったことのひとつです。むしろ、私(気が利かない・不器用)一人だけであれば、まめ子はもっと早くにこの世からいなくなっていたことでしょう。


まめ子が逝く日の数日前から、夜、私と妹がまめ子の隣に布団を敷いて寝るという体制になりました。
まめ子が頻繁に吐くようになったからです。最期の頃には2時間おきに吐くようになり、その度に起きねばなりませんでした。
それでも妹の言うには、私は数回、 「飛び起きて『まめー!まめー!』と叫んだ直後に突っ伏してぐうぐういびきをかいていた」 とのこと、とほほほほ。犬を想う気持ちが完全に睡魔に負けておるではないか……。
対して妹は、まめ子が吐くごとに背をさすってやり吐瀉物の始末をしており、たいしたものだと思いました。妹に、「なんで吐くのん分かったん?」と訊くと、「一晩中まめと手をつないで寝てた、まめはイヤやったやろけど」との返事で、更にたいしたものだと思いました。
妹とは別に普段は仲良くないんですが、私は犬のことに関しては妹を全面的に信頼しているので、家にこういう人物がいてよかったなと思います。


なお、私は、「まめ子の可愛いところを可愛く写真に収める」ことに関しては自信がありますが、妹は「まめ子のひどいところを可愛く撮る」天才でした。妹撮影によるひどい写真ギャラリーの一部をご覧ください。↓







(それにしても最後の数年は寝てばっかりでしたな……。)




最期のときに居合わせたのは、私と、この妹でした。
意外に冷たい野郎やな、と思われるかもしれませんが、私は特に、自分は犬の最期に居合わせなくてもいいや、と思うておりました。
何ができるわけでもないし、悲しいし、私がいたところでまめ子が嬉しいかも分からないからです。しかし今となっては、立ち会うことができてよかったな、と思っています。それ以上に、妹がいるときでよかったな、と思います。まめ子はそもそも妹が拾ってきた犬でしたし、妹とはほんとうの姉妹のようだったので。

その瞬間は、悲しさよりも、(「添い遂げた」ならぬ)「飼い遂げた」んやなー、という思いと、不慮の事故などでなくよくぞ寿命を全うしてくれた、という感謝と、最後までがんばったまめ子の生命に対する畏敬の思いでいっぱいでした。
家族が全員休みの日のお昼に逝ったことも、まるで空気を読んだかのようでした。
まめ子はマイペースであると同時に、妙に空気を読む犬でもありましたが、最後までそんなところを発揮するなんて。
おかげで、家族で送ってやることができました。

その日のうちに火葬にするのは少し慌ただしくはありましたが、皆で見送れる日のほうがよいと考え、そうしました。私は火葬にも、立ち会っても立ち会わなくてもどちらでもいいと思っていたのですが、これも今思えば、立ち会ってよかったなあと思います。
焼くときにまめ子をくるんでいたシーツは、妹たちが赤ちゃんの頃に使っていたシーツ、火葬場は、われわれが生まれた病院の近くであり、縁ってふしぎやなとしみじみ感じました。当初は町内をうろうろしてるだけの犬だったのになア……。
火葬場へ向かう道で、ずっと無言だった妹が「今日何の日か知ってる?」と口を開いたので何を言うかと思ったら、
「いい肉の日やで、ええ日に逝ったな」
たしかに、食いしん坊のまめ子らしい日でありました。

悪徳業者もあると聞いていたのでびびっていましたが、われわれの選んだ業者は割にきちんとした印象でした。見送る前に、まめ子の遺体を、好きだったおやつや服やお花、もうひとりの妹が折った色とりどりの折鶴で、可愛く飾ってくれました。
母と妹は「納豆も一緒に棺に入れる」と主張したのですが、流石にそれはおもろくなってまうやろー!と思い、止めました。(結局、納豆パックは発泡スチロールなのでダメということでした……よかった。)
ペット火葬場というところには初めて来ましたが、「遺骨入りグッズ」とか「クリスタルアート位牌」とか「ペット名入り法要のぼり」 とか諸々の課金アイテムがあって感心しました。


供えたお花は、たまたま家に咲いていたベゴニアの花でしたが、そういえばまめ子が来た年の年賀状(戌年)にも、まめ子がこのお花と写っている写真を使ったのでした。似合っていると思いませんか?




人間の葬儀と同じようにみんなでお骨拾いをしたのですが、焼き上がったまめ骨を見て母が、「か、かわいい〜〜!」と叫びました。しっぽっぽのお骨が、ちょろん として可愛らしかったのです。
前に書いた通り、まめ子のしっぽは中途ハンパに短い、ぴこん としたしっぽなのです。



この後、ネットのニュースで、いい肉の日の3日前に長渕剛も愛犬・レオを亡くしていたということを知りました。長渕には特になんの思い入れもありませんが、彼が「レオを焼く焼き場に一緒に入りたかった」と語っているのを見て、初めて長渕に共感を覚えましたよ。
レオ、天国でまめ子と仲良くしてやってね、とかなんとか言いたいところですが、記事によるとレオは死亡時の体重が43kgもあったということですし、なんというても長渕の愛犬ですので、まめ子なぞひとたまりもないでしょうな。