切支丹遺蹟博物館など

そんなわけで先日名古屋出張だったんですが、東別院あたりの地図を見ているとふと、「切支丹遺蹟博物館」との文字が目に入り、調べてみるとお寺の中にあるというので、「なぜ寺にキリシタン?」と気になって行ってみました。

 

このあたりは東別院・西別院を中心にたくさんのお寺があり、ちょっと故郷を思わせてホッとします。

そんな中のひとつ、栄国寺というお寺の中にその博物館はありました。

 

 

栄国寺の門。幼稚園もあってなんか可愛らしい。

 

f:id:kamemochi:20210203134248j:image

 

 

門を入ったところ 


f:id:kamemochi:20210203134801j:image

 

 

解説によると、このあたりはもとは刑場であり、1664年に隠れキリシタンたちが処刑され、その菩提を弔うため建てられた、という由来だそうです。


f:id:kamemochi:20210203134232j:image

 

 

境内に入り、奥まった通路を抜けたところに「切支丹塚」があります。

関係ないんですがこの看板の字体メッチャ好きです。境内、この字体の解説看板がたくさんありました。


f:id:kamemochi:20210203134440j:image

 

 

ケースに入れられた墓石、明治とあるので殉教キリシタンのものではないのでしょうか、十字架が刻まれています。後ろにはお地蔵さんが並んでいますが、お寺の解説によると、地蔵=ジーゾースの隠し名であり、地蔵にイエスが仮託されていた(!)とのことです。 

f:id:kamemochi:20210203134447j:image

 

 

カトリック名古屋教区長の名での顕彰碑です。寺内に「カトリック」の文字があるのはなんとも不思議な感じ。


f:id:kamemochi:20210203134435j:image

 

ライオン像もいましたが由来は分からずでした。


f:id:kamemochi:20210203134229j:image

 

こちらも解説がなく、由緒は分かりませんでしたが、「平和塔」と書かれた碑です。

この近くに「平和」という地名がありますが、関係があるのでしょうか。


f:id:kamemochi:20210203134236j:image

 

 

お庭の中に、博物館入口がありました。

「佐藤銈一コレクション」とあります。この人は地元の古美術収集家で、その寄贈から博物館が始まったのだそうです。


f:id:kamemochi:20210203134244j:image

 

ちなみに「火消文化資料室」というのも併設されています。切支丹と火消、どないな組み合わせやねん、と思いましたが、ここの本尊の阿弥陀さんが「火伏」の御利益をもつとされていることによるようです。

 

f:id:kamemochi:20210203134240j:image

f:id:kamemochi:20210203134443j:image

 

 

 

……そしていざ、庭を抜け、切支丹(+火消)博物館入口へ向かうと、博物館というか、これ、「おうちの一角」じゃないですか! どうもお寺の方の住居らしき建物があり、インターホンを鳴らして入れてもらう式。

ドキドキしながらピンポンを鳴らしたところ……返事が無い。

ああ~またも閉館力を発揮してしまった~、またの機会に来よう…… と帰りかけたのですが、いやしかしこのあたりに来ることなど滅多にないしなア、と、ダメモトでお寺に電話をしてみました。電話には幼稚園の方が出られ、「お寺の人は今出かけているがすぐ帰ってきます」とのこと。数十分そのあたりをウロウロし、戻ってくると、無事開けてもらうことができました! 電話してよかった!

 

中に入ると、本当に住居の一角を博物館として解放しておられる形でした。玄関で靴を脱いで上がります。入館料は100円。たしかに小さな博物館だけれど、お安い! 

その一室にひしめきあうように、私には初めて見るような展示物がたくさんありました。これは来てよかった……!

 

 

隠れキリシタンの不動版画だそうです。

梵字のように見える部分にJESUSのJやSが隠されています。

f:id:kamemochi:20210203134744j:image

 

マリア観音! 複数のものがありました。

f:id:kamemochi:20210203134722j:image

 

他にも、切支丹禁制を掲げる高札や真鍮の「踏絵」など、歴史の教科書でしか見たことのないものがありました。

踏絵は、当初紙製だったのが、踏むと破れるということで同になり真鍮になった……そうですが、踏ませるものにそんな手間をかけていたのはふしぎな感じがします。

また、分からないように十字架をあしらった武具や諸々の小物、また近世に西洋から渡来したものや西洋の影響を受けた絵……などなど。

 

  

司馬江漢が絵付けした湯飲み。ローマ字でサインが入っていました。

後ろの綺麗な瓶は阿蘭陀渡来のギヤマンだそうです。

f:id:kamemochi:20210203134807j:image

 

 

新聞記事が貼られていました。遠藤周作の小説「男の一生」にこのお寺のことが出てくるのだそうです。


f:id:kamemochi:20210203134736j:image

 

 

博物館は本堂の奥とつながっていて、入館料の100円で本堂も見せてもらうことができます。

この日は、私以外に人もおらず、がらんと静かな本堂に、少しだけ日が差して、風の音に混じり隣の幼稚園の声が聞こえ、良き時間でした。本尊の火伏の阿弥陀さんの他、体内に五臓六腑が収納されているという仏像や、(どこにあるのか分かりませんでしたが)円空仏もあるそうです。円空が殉教切支丹の慰霊のための仏像を彫った、という話を初めて知りました。本尊の周囲の装飾が、「デロリ」的な派手な色合いで素敵でした。

 また、そうした貴重なものの他に、ちょっとした小物や置物が端々に飾られているのもよかったです。博物館から本堂に続く通路、仏具にかけられた可愛い布たちは、本堂の装飾と通じるような色合いでしたが、もしやお寺の方のお手製パッチワークなのでしょうか。あちこちに貼られた手書きの説明文含め、私の好きなタイプの、手作り感あふれる空間でした。


f:id:kamemochi:20210203134729j:image

 

帰るときはもう一度インターフォンを鳴らして戸を閉めてもらう形。パンフレットを一部買って出ました。

 

お庭にある灯篭は「切支丹灯篭」。たしかに柱の部分が言われてみれば十字っぽくなっています。

f:id:kamemochi:20210203134713j:image

解説によると、古田織部が考案した形であることから織部灯篭とも呼ばれるそうですが、これは、森鴎外の別邸にあったものだそうです! おかげで、そういえば未読のまま気になっている『鴎外の降誕祭』(クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト著、NTT出版)を読まねば!と思い出しました。

 

こちらもお庭の植物に無造作に埋もれていますが、十字の形が浮き彫りにされています。


f:id:kamemochi:20210203134719j:image

 博物館に置かれていた来館者用のノートを見ると、キリスト教関係の方が団体で訪れることも多いようでした。キリスト教界隈では有名なお寺なのかもしれませんが、私はすべて初めて見るものばかりで、来てよかったです。

脈絡は分からないが境内のあちこちに置かれたオブジェや、ちょっとレトロな説明看板も好みで、スッカリ好きなお寺になりました。


f:id:kamemochi:20210203134733j:image

 

 

***

 

以下は、この前後に近くをぶらぶらして見つけた諸々です。

 

 

栄国寺から歩いてしばらくのある公園にあった立札。「おためし場腑分けの跡」。


f:id:kamemochi:20210203134751j:image

 

「おためし場」って一見愉快な響きですが、近くに刑場があったことによるのでしょう。腑分けの頃には刑場は他へ移されていたようですが、やはり刑死者の遺体が使われたのでしょうか。

 

大須の方に歩くと、「豊川陀枳尼天」の旗を掲げる寺あり。長福寺という小さなお寺でした。

f:id:kamemochi:20210203134741j:image


f:id:kamemochi:20210203134754j:image

 

f:id:kamemochi:20210203134726j:image

以前に訪れた名古屋大仏もそうでしたが、名古屋の寺社は、なんとなくデロリの色合いが強い気がします。

 

 

こちらは神社。金山と東別院の間にあった神明社

f:id:kamemochi:20210203134747j:image

 

灯篭に貼られた「みかん」が気になります。


f:id:kamemochi:20210203134709j:image

 

 

 

郊外の街並みの中に現れた、コメダ平和店で一休みして帰りました。地名がいいですね。

f:id:kamemochi:20210203135249j:image

 

店主さんらしき人とお客さんが会話していて、「全国チェーン化以前の姿」という感じのコメダでした。

f:id:kamemochi:20210203135253j:image

f:id:kamemochi:20210203135259j:image

 

中区のまなざしちゃん数種

出張で名古屋へまいりまして、こんなご時世なのでたいした観光はできなかったのですが、名古屋東別院近辺をうろうろし、まなざしちゃんを多数採取することができ幸せでした。

こういう「なんでもない道をうろうろして貼り紙とか見つける」時間が、自分は最も幸せであるなア……と思う昨今です。

 

 

まず、最もインパクトあったのがコレ。

「警察署長」という個人を前面に出すまなざしちゃんは初めて見ました。

f:id:kamemochi:20210201193608j:image

 

警察署長、実際こんな人なのかしら……と検索してみたら、中村隆則署長の目をイメージして作られたという新聞記事がヒットしました。似てる……のか? わからん!

mainichi.jp

 

 

 

よくあるタイプのまなざしちゃん。

f:id:kamemochi:20210201193605j:image

 

傍らにいるキャラは愛知県警のマスコット「コノハけいぶ」らしいです。家族がいることが分かりました。

www.pref.aichi.jp

 

 

「よくいるやつ」と中警察署長(別ver)のコラボ技!

f:id:kamemochi:20210201193611j:image

 

 

 

こりゃあいい!

よくいるまなざしちゃんかと思いきや、目の中にカメラが!! 改造人間まなざしちゃんやん! 最高です。

眉間の皺も最高。監視しすぎて真っ赤に充血しています。

f:id:kamemochi:20210201193614j:image

しゃちほこ犬

名古屋の犬糞ステッカーです。

ずいぶん自由な姿態の犬であるなア……と思ったけど、しゃちほこってこと!? さすが名古屋。

 

f:id:kamemochi:20210201193930j:image

 

 

犬のむっちり感とミルクティー色のぶちが好みです。「建物周りでさせないで」の文字はおそらくオリジナル。犬にかぶっちゃってるし、切実にお困りなのでしょう。

 

東別院の喫煙所

名古屋、東別院です。

 

f:id:kamemochi:20210203134949j:image

 

 

本殿の傍らに「喫煙所」の看板。

写真では分かりにくいですが、白地に堂々たる文字の看板は遠くからよく目立って、まるでこの立派な建物全体が喫煙所のよう。

 

 

近づいてみるとささやかなスペースでした。

しかしたしかに法要やお参りの合間、喫煙所は必要ですよね。

 


f:id:kamemochi:20210203134953j:image

われらの吉田節分祭振り返り(後篇)

前篇は、節分祭の思い出というか酒の思い出でしたが――それもまた祭の姿なのでしょうが――最近はちょっと落ち着いて、祭そのものの情緒や、吉田神社という神社も楽しむようになりました。(そういえば、講談社メチエの『吉田神道の四百年』、だいぶ前に読んだので内容をちゃんと覚えていませんが、面白かったです。)

また、かつてのメンバーとはもう日常的に集まることもなくなりましたが、年一の節分祭が同窓会のような役割を果たすようになりました。

 

 

■ 2011年

吉田神社節分祭といえば、なんといっても「福豆授与」です。

福豆は、毎年、本殿前で売られています。

私はだいたい2袋買います(1袋では年の数に足りないため)。この福豆には抽選券がついていて、地元商店や企業からの豪華賞品が当たる……のですが、当たったためしはありません。

 

f:id:kamemochi:20210201233238j:plain

 

 

大元宮の写真がいい感じで撮れました。

大元宮は、全国各地の八百万の神様が集められており、ここに参れば日本中の神様にお参りしたことになるというチート神社です。こんなふうに祠が並んでおり、自分の出身の国(私は山城)、あるいは好きな国や思い入れある国の祠にお賽銭を置きます。

f:id:kamemochi:20210201233328j:plain

 

 

山頂近くでどて焼きを頼み食べながら飲むのも、すっかり恒例となりました。

f:id:kamemochi:20210201233344j:plain

 

 

「ベーコンエッグたい焼き」の写真を誇らしげに撮っています。

1月にえべっさんで食べ損ねたので、ここでゲットできて嬉しかったのでした。「えべっさんで食べ損ねて吉田で食べる」パターンはけっこうあります。

f:id:kamemochi:20210201233419j:plain

 

こっちはじゃがバタならぬじゃがマーガリン。

f:id:kamemochi:20210201233438j:plain

 

 

■ 2012年

 

薄く暮れ始めの参道入口です。

f:id:kamemochi:20210201233721j:plain

 

 

鳥居の向こうに白い月が見えています。

 f:id:kamemochi:20210201233751j:plain

 

 

家にあったお札を奉納しました。最後にこれを焚き上げるのですが、バイトの人(たぶん)が渡された紙の束や供養するもののを巨大籠にどしどし投げ入れてゆくのが壮観なのです。

f:id:kamemochi:20210201233703j:plain

 

 

毎年同じ写真を撮っていますね……年越そば

f:id:kamemochi:20210201233853j:plain

 

これも毎年おなじどて焼き。

f:id:kamemochi:20210201233908j:plain

 

変わったところでぷよ玉すくい。

f:id:kamemochi:20210201233607j:plain

 

 

いちごのシートが可愛いいちご大福屋。

f:id:kamemochi:20210201233949j:plain

 

 

青いチョコバナナを買って帰ったのでした。

f:id:kamemochi:20210201233838j:plain

 

吉田神社の夜店の活気はすごくて、人の多い時間帯はぎうぎうで歩けないほどです。そんな中、いろんなお店が口々に呼び込みの口上を述べています。この年は、「本マグロだよ、本物のマグロ、本物の本マグロだよ」とか「神戸牛、本物の神戸牛」とか、「本物」をアピールする呼び込みが流行って(?)いて面白かったです。

 

 

菓祖神社でもらったお菓子。この年は辰年だったのでした。

f:id:kamemochi:20210201234003j:plain

 

 

■ 2013年

節分祭は毎年2月2日から4日までの期間行われ(例外あり)、うち2日間夜店が出るのですが、この年は週末とかぶってしまいすごい人出でした。本殿までの道で人に揉まれまくり、いつもさほど人のいない菓祖神社も行列で入れず、福豆も売り切れていました。

 

f:id:kamemochi:20210201234107j:plain

 

毎年「吉田神社の夜店のあてもん屋で流行を知る」みたいなところがありますがこの頃はなめこ全盛期。私もせっせと抜いていた頃です。今年夜店が出ていたらば鬼滅一色だったんでしょうね。節分にぴったりだし……。

f:id:kamemochi:20210201234121j:plain

 

 

吉田神社の夜店は、「新しい食べ物」と出会える場所でもありますが(実際ケバブは吉田で初めて食べました)、この年は「たいやきパフェ」インパクトの年でもありました。

f:id:kamemochi:20210201234144j:plain

 

 

衝撃的なビジュアル。当時、衝撃のあまり 当ブログに記事を書いております(なぜかときどきアクセスがあります)。

f:id:kamemochi:20210201234421j:plain

 

大元宮の屋根にもポッキーが刺さっているように見えたのでした。

f:id:kamemochi:20210201234511j:plain

 

 

この年は、例のどて焼き屋で飲みながら、人の研究の話を聴いたり、それまでまったく接点のなかった別コミュニティの知人同士が突然仲良くなったりと、愉快な節分祭でありました。一年に一度のことですが、冬の山で旧交をあたためたり新たな交流が芽生えたり。(毎年そんな舞台になってくれるどて焼き屋には感謝です)

ずいぶん遅くまでどて焼き屋にいたので、山を降りるとき珍しく、ちょうど火炉祭に出会うことができました。この行事は毎年3日の23時から行われます。小さく舞う火の粉は、速水御舟のあの絵のようでした。

これ以降火炉祭は見ておりませんので(今調べて知りましたが、2015・2016年は焼却灰の処理の問題で中止になっていたそうです)、今のところこれが最後の火炉祭です。いろいろと思い出深い年です。大きな火が青くなるまで見ていました。

 

f:id:kamemochi:20210201234906j:plain

f:id:kamemochi:20210201234943j:plain

f:id:kamemochi:20210201235001j:plain

f:id:kamemochi:20210201235034j:plain

 

 

■ 2014年

 

この年はあまり写真を撮っていなかったようです。

 

ウマのお菓子。 

f:id:kamemochi:20210201235139j:plain

 

 

これは節分祭の写真でなく、その後移動した飲み屋での写真です。

中年に差し掛かり始めたわれわれは、寒い中山頂で飲み続けるのがそろそろしんどくなり、「早めに暖かい店に移動する」行動パターンを身に着けたのでした。

ちなみにこの店はわれわれの行きつけで、以前別ブログにその思い出を書きました

f:id:kamemochi:20210201235150j:plain

 

この年面白かったやりとり:

 幼馴染(唐突に):「王錫ってラテン語で何ていうか誰か知りません?」

 博識な先輩 :「ああ、王錫はね、」

訊く方も訊く方だが答える方も答える方だと思いました。

 

 

■ 2016年

2015年は参加できずであったので2016年。

 

本殿へ向かう石段は灯篭が幻想的でわくわくします。でもいつも上手く撮れません。

f:id:kamemochi:20210202000506j:plain

 

 

吉田神社本殿ですが、奉納された日本酒に山極壽一の文字があります。この2年前に京大総長が、松本から山極さんに代わったのでした。

f:id:kamemochi:20210202000533j:plain

 

 

菓祖神社のせんべいが可愛かったので撮りました。豆茶を入れる器がそれまでの湯呑みから紙コップに変わっていました。

f:id:kamemochi:20210202000610j:plain

 

 

何回も同じような写真を撮っている年越そばですが、650円に値上がりしていました(それまでは600円だったはず)。

f:id:kamemochi:20210202000629j:plain

 

 

 

 

 

 ■ 2017年

この頃開催していた読書会メンバーなど、久々に大所帯でゾロゾロしました。前日まで風邪で寝込んでいた幼馴染Mは、熱をおしてやってきて、節分祭に対するその情熱は一体……と驚きました。今だと「熱があるのに人ごみに来る」なんてちょっとできませんね。

しばらく会っていなかった仲間が、結婚し父親になって現れた回でもありました。居酒屋で旧交をあたためすぎて午前3時に帰りました。「深夜の京都をチャリで帰る」なんてのももう長らくしていないなア。

 

何を撮りたかったのかよく分かりませんが、たぶんどて焼き屋の周辺。「なぜ真冬の夜にこんな山の中で酒を飲んでるんだ」と我に返って撮ったのだと思います。

f:id:kamemochi:20210202000830j:plain

 

 

■ 2018年

 

前年熱を出しつつもやってきた幼馴染Mは、この年も熱を出しつつやってきました。節分祭の何がわれわれをそうさせるのか?

 

例年より早い出発で一気に大元宮まで。薄紫の空がきれい(人々の頭部が写り込んでいますが…)。

f:id:kamemochi:20210202001056j:plain

 

東一条に来たついでに撮った、京大構内の好きな建物です。吉田南構内の正門を入ったところの衛所で、有形文化財にも指定されています。この写真ではくすんだ色に写っていますが薄いミント色がなんとも可愛いので、昔から好きです。

f:id:kamemochi:20210202001118j:plain

 

 

■ 2019年

けっこうな雨が降っていたので、みんなどうするのかな~と思いつつ待ち合わせ場所に向かったらば、「雨だけどどうします?」みたいな相談も特になく、「じゃあいこうか」と一同ふつうに吉田山を登り始めたので流石だと思いました。

f:id:kamemochi:20210202001250j:plain

 

雨のため、人出が少なく、夜店もあまり売れていないと見えて、いつもの土手焼き、蕎麦、その他もろもろ、すべて例年に比べ微妙に大盛で得をしました。

f:id:kamemochi:20210202011235j:plain

 

 

京大正門前。ゴミ箱と間違われて参拝客のゴミを突っ込まれまくっているかわいそうな京大新聞ボックス。ひどい。

f:id:kamemochi:20210202011254j:plain

 

 

■ 2020年

去年、この時期はギリギリ祭ができていたのですねえ。

福豆が100円も値上がりしていました。菓祖神社は、和菓子がつかみどり形式から配布式に変わっていました。

f:id:kamemochi:20210202011749j:plain

 

観光ブームですっかり人が増えたせいか、大元宮は行列で入れず。しかし「ちゃんとお参りしないと」と言うのは一名のみで、他の一同は「外から祈っておけばいい、まずはいつものどて焼き屋へ行こう」とどて焼きのことしか頭になくて最高でした。

どて焼き屋では、10年ぶりの知人に会うことができました。また、話題が、身体の不調やそれぞれのしがらみなど、すっかり中年の話題になりました。

 

f:id:kamemochi:20210202011613j:plain

 

 

f:id:kamemochi:20210202011637j:plain

 

 

久しぶりに、鬼やらいの行列も見ることができました!

吉田節分祭というと、母がしょっちゅう、「子供の頃あんたは鬼を見て大泣きした」という話をするのですがよく覚えていません。怖すぎて抑圧したのかもしれません……。

 

 

目の沢山あるこちらは方相氏。かっこいいです。

f:id:kamemochi:20210202212832j:plain



こちらは赤鬼。

今年は豆を投げられなくて、鬼もほっとしているのか、淋しがっているのか。

 

f:id:kamemochi:20210202011829j:plain

 

 

われらの吉田節分祭振り返り(前篇)

ここ何年か、「日ごろ集わない仲間たちと節分に吉田山に登る」のが年一の恒例行事となっておったのですが、今年はさすがに集わない方向となり、淋しい限りです。

毎年この季節になるとぐっと冷え込む左京の夜に、吉田神社本殿に参り、大元宮まで登り、どて焼きと日本酒を買って山の上で脳が凍りそうになるまで飲み続ける、というクレイジーな集いも流行り病には勝てませんでした。福豆授与等は行われているようですが、追儺式や火炉祭、夜店は中止のようですね。

そのようなわけで、その代りとして今年は、ここ何年かの節分祭の写真を振り返ってみたいと思います。

 

 

■ 2006年

 

……といいつついきなり節分祭の写真ではなくきりたんぽの写真です。

f:id:kamemochi:20210201200032j:plain

 

これは何かといいますと、この年、ナメちゃんと「久々に節分祭に行こう!」と勇んで出かけたのですが、日にちを間違え、吉田神社に着くと既に祭りは終わってしまっており、仕方なくそのへんの居酒屋に入り、きりたんぽ(好物)を見つけて注文したのでした。

 

余程きりたんぽに心慰められたのか、延々きりたんぽを撮っています。

f:id:kamemochi:20210201200706j:plain

f:id:kamemochi:20210201200715j:plain

 

きりたんぽと私。今見ると若くて驚きます。このブログを始めたくらいの頃ですかね。あとナメちゃんが撮る私の写真は、高確率で激しくブレています。

f:id:kamemochi:20210201200123j:plain

 

 

 

■ 2007年

「大学の仲間と節分祭に繰り出す」行事の起源はこの頃だったようです。節分祭から帰ってきた者たちが研究室で酔いつぶれている写真がありますが、ひどいのでupできません。

なお夢日記によると、この年の節分、私はとても節分らしい夢を見ていたようです。

 

 

Oさんに案内され、Sと吉田山に上る。吉田神社は祭礼らしく、色とりどりの火がもやもやとたくさん炊かれており、とてもにぎやか。亡くなった人のたま(魂)を供養する祭礼らしい。
ナメちゃんが死んだということになっており、われわれは、ナメちゃんのたまを供養しようとする。そのほかにも、××さんや××さんや去年亡くなったM君のことを思い出し、供養してもらおうとする。しかし、そんなにたくさんの人を、どうやって供養すればいいのだろう? 薄紫のようなピンクのような綿菓子のようなもやーっとしたものが「たま」らしいが、それは誰のたまだということにすればいいのか。
困っていると、Oさんが、「たまになってしまえば分割できない(みんな溶け合う)から誰のたまだということはない」というような説明をしてくれ、じゃあこれでいいんだ、と思う。

 

Oさんというのは、毎年節分祭で酒をおごってくれるまれびとであり、実際に、たまの話や鬼の話をいつも教えてくれる人であるので、半分現実のような夢ではあるのですが、何かふしぎできれいな夢だったことを覚えています。

 

 

■ 2008年

吉田神社の写真はなく、吉田山で買ってきた酒の写真のみが残っております……。

 

f:id:kamemochi:20210201204919j:plain

 

私はほぼ下戸なのですが、吉田神社の日本酒はなんというか清いお味というのかそんなお味がして、好きです。

 

この年のこととしては、「手づくり飴」の屋台を「子づくり飴」と見間違えてしまい、皆に「子づくり飴っていうのがある!」と大声で教えて恥ずかしかった、というどうでもいい思い出があります(Oさんが「民俗学的に祭とはそういうものだから間違っていない」とフォローしてくれた)。また、幼馴染Mが祭一行にレギュラー参加するようになりました。

 

 

■ 2009年

この年から写真がたくさん残っています。デジカメを変えたことと、記録のため左京区界隈の写真を積極的に撮り始めたことがその理由です。

 

 

この年美味かった夜店の食べ物・ホルモンうどん。

f:id:kamemochi:20210202021804j:plain

 

 

先ほど、「吉田神社本殿に参り大元宮まで登る」と書きましたが、その間に菓祖神社に寄るのがわれわれのコースです。

菓祖神社は、吉田神社末社のひとつでお菓子の神様。京都府菓子卸商業組合の祭神なのだとか。私は毎年「今年も良き菓子が食べられるように」と祈ることとしております。ここにお参りすると毎年、お菓子と豆茶(美味しい、好き!)を貰えるのです。寒い中束の間豆茶でほっこりするのが恒例です。

f:id:kamemochi:20210201205054j:plain

 

 

この年は後輩にはしまきを2本奢らされました。後輩はさらにこの後自分で1本買ったそうです。

f:id:kamemochi:20210201205154j:plain

 

 

物騒な屋台

f:id:kamemochi:20210201205211j:plain

 

 

これも毎年恒例、八つ橋ツリー。吉田神社は聖護院八つ橋の領域なんですな。

f:id:kamemochi:20210201205243j:plain

 

 

雨が降っていたようです。本殿から降りる坂より見下ろした参道。

f:id:kamemochi:20210201205331j:plain

 

この年は、昼も夜も節分祭に行き、昼飯と晩飯を屋台で賄うなど、節分祭大盛り上がり(自分の中で)の年でした。また、「泥酔したまれびとが深夜に山頂で突然姿を消して戻ってこない」という事件があり、残された者たちで山を降りました。(後日ちゃんと会えました。)

 

 

■ 2010年

 

節分祭では例年、河道屋が年越そばの屋台を出すのですが、毎年食べ損ねていたのです。この年やっと食べることができました。

なぜ毎年食べ損ねていたかというと、山頂近くで深夜近くまで酒を飲んでしまうからなのですが、この年やっと、「酒を早めに切り上げればよい」ということにわれわれは気づいたのでしょう。

 

f:id:kamemochi:20210201224219j:plain

 

 

しかし私はこのとき、例の日本酒を飲み過ぎて、山を下ったところで嘔吐事件となりました。あまりに美味く、また気分が良かったので、調子に乗って下戸の癖に許容量を超えたのでした。毎年誰かが倒れ誰かが吐く、それがわれらの節分でした。

 

蕎麦屋で撮った写真もフランシス・ベーコンみたいになっており、手元がもうダメだったことが分かります。

f:id:kamemochi:20210201230639j:plain

 

 

その後、研究室で休んだのですが、誰かが「いろんなものをラップで梱包する」という奇行を始めました。その写真です。酔っていたのは私だけではなかったようです。

f:id:kamemochi:20210201230526j:plain

 

 なんか節分祭の写真というよりは、酔っ払い記録の振り返りみたいになってしまいました。

 

ところで、写真が残っているのはデジカメを入手してからですが、吉田節分祭には幼い頃の思い出もあります。

4、5歳の頃か、両親に連れられたのが最古の記憶だと思います。出がけに、「必要ないから」と普通の靴を履かせようとする親に対し、私は長靴を履いていくと主張して怒られたのです。しかし、京都はよく「通り一本上がると気温が一度下がる」などと言われるように、その日、私の家の付近ではもう溶けていた雪が、それより北の吉田に着くとまだこんもり残っており、「今日はあんたが正解やったな」と言われて得意になったのでした。

当時、まばゆいような夜店がどこまでも並び、普段見ることもないほど大勢の人々が愉しそうに歩いている東一条は、ずいぶんと広大な大通りに見えました。体感としては御池通くらい。成長してNFか何かで京大を訪れたとき、正門前の通りの狭さに「エッ、これがあの東一条!?」と、化かされていた人のような気持ちになりました。

 

 

 

 

f:id:kamemochi:20210201233555j:plain

 

 

 

 

テーマを決めてチェンソの話をする(5)10巻とモルカー

2021年はチェンソーマン10巻で幕を開けましたが、皆さま、ご無事でしょうか。私のもとには、「読んでいた妻が突然号泣嗚咽し始めた」などの情報が入っております。赤が効いた正月っぽい(?)表紙、美しかったですね。ですね……。

 

f:id:kamemochi:20210122203950j:image

 

 

10巻は、中二病心をくすぐる「眷属」の紹介や、ゾクゾクする「租唖」「アーノロン症候群」のくだりも大好物ですし(ここでこれまで「核の悪魔」がいなかった理由も分かり おお~!となりました)、可愛い犬たちが最大にイヤなタイミングで登場する演出も、マキマ部屋のセレブ感も最高なんですが、やはりなんといっても目玉は、みんな大好きファミリーバーガーでしょう。なお、私は例の合宿で、つらみ師により、71話「お風呂」からファミリーバーガーを一気読みさせられ、不眠に陥りました。

 

ここまでの出口のない迷路をゆくような重苦しい展開から、真チェンソーマンの降臨、そしてファミリーバーガーへの流れ、超かっこよくないですか! 急に爽快な音楽が大音量で流れ出したような、雨空を切り裂いて花火が上がったときのような、そんなドライブ感です。本誌で読んだときはカラーページで、虹色の臓物が舞い散っているのも最高でした。

 

9巻は(前に書いた通り)最悪(最高)な名作ではありますが、(疑似)家族の暖かさや尊さ、そしてその崩壊、というのは或る意味ベタな物語でもありました。扉の向こうに抑圧されたデンジの過去も、衝撃的ではあるけれどもフロイト的にベタといえばベタで。ただそれが最高(最悪)な演出で描かれ、その中で読者たちは感情を揺さぶられ涙しつらみまみれになってきたわけですが、ここでは一転、誰も予想できなんだ展開が始まり、そこでファミリーバーガーという(疑似)家族の搾取や暴力性や偽善性や滑稽さが描かれて、かつそれがチェンソーマンにぶった斬られまくるのがたまりません。この回で、「タツキ、信用できる……!!」と思ったのでした。

親のいない(親を殺した)子供たちの物語であるのに、「パパママ大好きファミリーバーガー!」というフレーズも、空虚で皮肉で最高です。このタイミングでのコベニちゃん再登場も!

 

 

ところで、ファミリーバーガー以上に予想できなかった展開として、チェンソ読者たちが軒並みモルカーにはまっている、という謎の現状を記録しておきたく思います。

意味が分かりませんが、(私の観測範囲で)『チェンソーマン』を愛読していた人々が、なぜか今『PUI PUI モルカー』に心乱されているのです。これは令和一興味深い現象ではないでしょうか……一体なぜ……。

ご存知ない方のため注記しておくと、『PUI PUI モルカー』は『きんだーてれび』(テレビ東京、子供向けバラエティ番組)内のパペットアニメで、可愛いモルモット型の車(車型のモルモット?)たちが活躍するお子様向けのお話……のはずなんですが、どうしてなのか、なんというかこう、ファミリーバーガー感があるのです!

またモルカーたちの中で、その車性とモルとしての自我が葛藤してるぽいのもなんか……なんか……。たとえばモルカーは、自らの車性のせいで、見知らぬ人間に乗っ取られて銀行強盗に加担するはめになったりするのですが、それは……それは……すなわち雪合戦じゃあないですか!銃の魔人じゃあないですか!? 心乱れてきたので、チェンソとモルカーの類似性についてのこれ以上の考察は今後の課題としたいと思います。