テーマを決めてチェンソの話をする(4)9巻の最悪さ(最高さ)

チェンソーマン』9巻発売から3週間が経過しましたが、各々方、心の傷は癒えましたでしょうか?


発売日前から表紙発表の時点で心が折れる人多数だった模様ですね。単行本で初めて読む人は読み進めて意味が分かったところで「あぁぁぁぁ」となり、本誌で既に読んでいた人は見た瞬間「あぁぁぁぁ」となるという、全方位的に殺傷力の高い最悪(最高)の表紙だったと思います。
発売日の朝からツイッターでは「チェンソーマン」がトレンド入りし、早くも人々の阿鼻叫喚。本屋に行くと開店30分で平積み分が残り少なくなっており、ほんまに人気漫画なんやなぁ……と驚きました。前にも書きましたが、こんな話題作をリアルタイムで読むのが初めてなので、それ自体新鮮でございます。

 

というわけで以下9巻で「すげええ」と思ったところについて書きます。(9巻未読でネタバレがアレな人はお避けください、そして今すぐ9巻を読んでつらくなってください。)
私はつらみ師との合宿で、(何の因果か深夜の温泉宿にて)一度読まされた内容であるわけですが、改めてそのつらみを味わうと同時に、完成度の高さに感服しました。こんなのをリアルタイムで読めて実に幸せ&つらいです!

 

 

↓参考までに……温泉合宿の私の記録です。(9巻を読んでいるときの感情の推移を顔文字で表現してる人がいたんですが、だいたいコレと同じで笑いました。)


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さて9巻は、第71話「お風呂」から始まります。
刺客編が終わったら江ノ島水着回? と予想していた読者の期待のナナメ上を行くかのように、
水着じゃなくていきなり全裸!? 
海じゃなくていきなり一緒にお風呂!?
……なんだけどやってることは、「エッチ」でなく「介護」 やん………! 
相変わらずエッチ方面の期待を全力で裏切ることにかけては安定の手並みです。


とはいえこの回、初読時は、「なんだこれ、同人誌か!」と思ってしまいました。続く第72回のお墓参りエピソードも同様に、登場人物のそれまで見せなかった一面や、キャラクター同士の交流が丁寧に描かれ、相変わらずどこか殺伐としつつも、切なく優しく美しい回です。
が、この、同人誌のような2話は重要で、ここで作品の性質が変わってしまうのですよね。
これまで『チェンソーマン』という作品は、深刻な場面や重大なピンチでも最終的にはおバカな力技で乗り切ってしまう痛快さがその魅力でした。それは主人公、デンジくんが、徹底して持たざるものでありそれゆえに人間的な感傷を欠いている(基本的に心優しい少年ではあるのだが…)からこそだったのですよね。
この後、作中最悪の事態が訪れることとなり、われわれファンはこれまでのように、デンジがいつものおバカな力技で何とかしてくれることに薄い希望をもつのですが、そのときにはもう、その方法は使えなくなっていることを思い知らされるのです。あの2話で、デンジが失うものを持ってしまったこと、もう「光ん力」や「永久機関」で解決できないことに、読者は気づき絶望するのです。なんてよくできた構成なんだ!

 

その最悪の事態が訪れる、第77話「チャイム・チャイム・チャイム」は、読み返すのも苦しいような大名作回ではないですか。音も温度も色もないモノクロの漫画作品のはずなのに、夕暮れ始めた戸外の色や、既に暗い部屋の温度を肌に感じるかのようだし、鳴り響く玄関チャイムと電話のベルの耳障りな音が耳に突き刺さるよう!
そして「嫌な予感」を描く筆致の巧みさ、見事というほかありません。
藤本タツキは勿論、登場人物に「なんか嫌な予感がするぜ」とか言わせたりしません。ただ順繰りに、畳まれた洗濯物、三人分のお皿、猫、そして口角の上がったままこわばった主人公の表情を映して見せます。
あー、これ、この感じ、知ってる! と思いました。これまでショックな知らせを聞く直前、確実に何か不穏なことが起こる直前、たしかに見慣れた部屋があんな風に見えたし、きっと私もあんな表情をしていたでしょう。
たとえば、親族の病気や死の知らせを聞いたとき、動物病院で犬の余命を知らされたとき……。或いは具体的に何がどうというわけでもなく、日常の中で急に根源的な不安のようなものがよぎるとき、子供のとき夜中に目が覚めて突然恐怖を覚えたとき……。


そんな不穏さが胸に迫り、頁をめくるのも嫌なわけですが、開けちゃいけないドアのノブに手をかけるデンジとともにわれわれも頁をめくることになります。ドアの向こうに何があるか読者も主人公も薄々分かっていて、開けてしまえばもう世界が変わってしまうことも分かっていて、開けちゃダメだ!と念じるにも関わらず、読者が頁をめくることで主人公にドアを開けさせてしまうという悪意ある演出! 最悪(最高)です。
そしてドアの向こうに待っていたものを見たときの「うわぁ……!」感よ……。この作品では血しぶきだの臓物だの所謂「グロい」演出は見飽きているはずなのですが、これは、作中でそれまでになくグロテスクな造形に感じられました。
そのグロテスクさというのは、慕わしい者が異質なものに変形してしまったときのグロテスクさです。(こわばった笑顔で話しかけるデンジに、私は、楳図かずおの『洗礼』で、殺人母と化してしまった母親にそれでもさくらちゃんがすがりつくくだりを思い出しました。)そこでわれわれは、あの同人誌のような2回を経て、登場人物たちと彼らが織りなす日常にいつしかすっかり愛着と慕わしさを抱かされていたことに事後的に気づくわけですが、気づいたときにはそれは既に失われているわけで……最悪(最高)です。
(かつ、例の造形、グロテスクであると同時になかなかカッコイイんすよね。スーツ+武器とかめっちゃいいじゃないすか。こんなところで王道少年漫画らしいのもまたつらい! 最悪(最高)!!)

 

そして全読者が爆死したであろう雪合戦。
ほとんどのことはほとんどの人が語っていると思うので私が語ることは何もないですが、1コマ残らず完璧で、なんでこんなことするんだ……ひどいよう……この子らが何したっていうんだ……最悪や……最高や……なんでこんなこと……ひどい……何したって……最悪……最高…… という思いが延々と頭を周り続けます。
それまでのバトル場面ではむしろ三下悪役みたいな台詞ばっか言ってたデンジくんが、終始正統派ヒーローのような台詞しか言いません。かつ、市民たちを守るため夕陽を浴びて立ち上がる、という、本来なら主人公の成長を応援するべきアツいシーンなのですが、それらがすべてただただ悲しくつらくて、読者は混乱させられます(市民たちが「アイツを殺して」とかでなくひたすら「助けて」しか言わない善良さもキツい!)。まあいってみれば「友達同士で闘わねばならない」という、それ自体はいろんな作品によくある悲劇なんですが、藤本タツキの上手いのは、それまで露骨にデンジとアキの友情を強調したりしてないんすよね(言動の端々で感じ取らせはするけれど)。いつのまにかデンジにとってもアキが大きな存在になっていたことに、読者は闘うデンジとともに気づくことになり、気づくと同時にそれを自分の手で壊さねばならないという……最悪(最高)です。
あと深夜の温泉旅館でこれを読まされた私の気持ちも想像してほしいです。3時まで眠れませんでしたからね!

 

と、雪合戦の話ばかりしてしまいますが、なんといっても9巻ですごいのは中盤の演出です。これマジで言葉を失いました。せっかく温泉であったまったというのに!(正確には「ううう~ううう~」しかいえなくなりました。)
ここで初めて作中の時代設定が明かされるのもゾクッとするし、「おもちモグモグじゃねえよ!」と思うし、もう頁をめくってもめくっても言葉を失う凄い画が続きます。映画だと立ち上がって「ブラボー!」です(迷惑客)。(また楳図なんですが、)『14歳』を読んだときの感覚を思い出しました。
この演出に、現実の事件や災害を思い出した人もいるかと思います。私も、藤本タツキ氏は20代後半らしいから、あの事件のときは〇歳、あの災害のときは〇歳くらいか、などと考えながら読んでしまいました。実際作者が何を意識して描いたかは分かりませんが、人々のトラウマのようなこんな絵をこんなブラボーなエンターテイメントとして描いてみせることができるのは、「昇華」という言葉を使っていいかは分からないけれど、創作する人の特権であるなあ、と思ったりしました。

 

9巻、他にもブラボーなところや好きなところや最高(最悪)なところを挙げていくとキリがないんすが、文章長太郎になってもアレなのでこれくらいにしておきます。最最悪なシーンとしては「宗教画のようなひどい見開き」でしょうか……。また、数少ない笑えるシーンを挙げると、「暴力とサメ呼ばわり」「天使くんの輪っか」あたりでしょう。あと、冷え冷えとした海の描写に、『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』を思い出すなどしました(まさに、パーティーは終わりにしたんだ!)。あと10年早かったらアニメ化の際の主題歌はミッシェルガンエレファントだったと勝手に思ってるんですが、どーですかね? レゼ編は「キラービーチ」が合うと思います! では!皆様引き続き良い雪合戦を。

 

 

「モヤシとソーセージと卵と醤油を炒め続けたヤツ」(隠し味抜き)

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