まめ似犬/映画/銀行を襲うのさ国境へ逃げるんだ

先日、映画館でですね、
ウルルの森の物語』 なる映画の、予告編を観て魂消ました。
さいきんよくある、犬映画(おおかみかも?)らしいのですが、この犬(おおかみ?)、まめ子にそっくりなのです!!
まあ、何も言わず予告編を観てくださいよ。↓
http://www.ululu-movie.jp/index.html

我が家では「似てる!」「ウルルはまめ子だ!」「まめ子、なぜこんなところに!」ということで、見解が一致しました。
ちょっとまめ子より耳が大きく、目がくりくりしてはいますが、それ以外はそっくり。体を洗われているショットや、泳がされているショットがあまりにまめまめしいです。
どうも、映画の内容は、このまめ子的な犬(おおかみ?)と子供たちが交流したりお別れしたりする話らしく、わたしは予告編を観るだけでもう、「まめ子が…まめ子が……!!」と滂沱! でしたので、こんな映画は絶対に観るまいと決めました

ごらんになる方は、わたしの代わりに、ウルルのまめっぷりを確認してきてください。



  


ところで、映画の話。
わたしは普段、映画をほとんど観ません。
理由としては、じっと座っているのが苦手ということと、人の顔がなかなか覚えられないということなどがあります。(映画の中盤を過ぎても登場人物の顔を判別できず、ストーリーが理解できない、ということがしばしば起きる。)
が、先月と今月は例外的に、映画をいくつか観たので、珍しく、観た映画の感想なんぞ書いてみたいとおもひます。
こういうのんって、「ネタバレ注意」とか注記するんが礼儀なんでしたっけ。
よくわかりませんが、ネタバレ注意です。



『新ドイツ零年』@わおん
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11451

ゴダールです。以前から、ドラ症例が引用されていると聞いて気になっていたところ、観る機会があったので観たんですが、ヨク解りませんでした。ゴダールは解らんということがわかりました。知識が無いと色々わからんようですな。
だが、映像は面白く、特に、終盤の、ぱっと画面がまぶしく白くなるところがよかつた。


『なくもんか』@vivi二条
http://nakumonka.jp/index.html

二年前(だっけ?)に『舞妓Haaaan!!!』を観たもので、「これも観ておかねばならんのではないか」的な、よくわからないサブカル少女的義務感で観にゆきました。阿部サダヲはけっこう好きです。すごいなーとおもいます。去勢の去勢ですな。
それにしても男の人ってやはり女装が好きなんですかね。女装が嫌いな男に遭ったことがないのだが。


『空気人形』京都シネマ
http://www.kuuki-ningyo.com/index.html

街で見かけたメイド服姿のペ・ドゥナのポスターがあんまり可愛かったんで、観にゆきました。
ペ・ドゥナは、『リンダリンダリンダ』(2005)がとてもよかったので。




で、ペ・ドゥナは期待を裏切らない可愛さ……だったのですが、映画としてはどーなんでしょう、ペ・ドゥナが可愛く撮れているという以外は(そして板尾が上手すぎて浮いているという以外は)、個人的にはびみょう映画でした。
メルヒェンというには中途ハンパだしリアルというには思わせぶりだし、何がしたいのかようわからん、という印象をもちました。原作があるらしいので、原作を読めばまた印象はちがうのかもしれませんが、色々と「???」とつっこみたくなる箇所もあり。(「なんでそんなふつうなんだ」「なんでそんな高そうなマンションに住んでるんだ」等々。)
さらに、ひとつ強く主張したいのは、
「全裸になるのはやめれ!」
ということです。
本当に愛する人と愛しあうときにはうまれたままの姿で、ということなのかも知れませんが、それでは意味がないではないかっ。せめて、ソックス(白)かヘッドドレスのどちらかは身に付けておいて欲しいものです。なんで…なんで靴下脱ぐんだ………
なお、wikipediaには、「裸靴下」という項目があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E9%9D%B4%E4%B8%8B


とにかく、よくもわるくもペ・ドゥナのための映画だなという感想です。ペ・ドゥナは、かわいくて、脚がきれいで、色んなお洋服が似合って、すてきでした。うらやましいです。
お人形願望をもったことのある人なら、観るとその願望が活性化され、諸々発症するかもしれないので危険です。サブリミナルのように登場する過食症の女性と、お人形であるノゾミ(ペ・ドゥナ)との対比は終始象徴的であり、われわれの写し絵であるところの過食症の女性のつぶやく最後の台詞(「きれい…」)は、われわれ(わたし)の代弁であり、十代の頃に観ておったら確実に拒食トリガーになっていたことでしょうよ。やだやだ。



愛のむきだし京都シネマ
http://www.ai-muki.com/

上映時間4時間(トイレ休憩あり)という大作。
以前、みなみ会館で上映していたときに、あねから薦められてはいたのですが、その大作ぶりに怖れをなして観損ねていたところ、京都シネマで再演されるというので観にいったのでした。

正直、それほど期待しとらんかったのですが、思いの外、よかったのです!
お話は、古典的な、倒錯と神経症の対立といえばいえるんですが。
なんちうても、のっけからのテンション、何がどうということもないのにむやみにわくわくする感じが、イッツエンターテイメン、でした。
全篇なんというフェティッシュの嵐。ベールに覆われたマリア像。スカートに覆われたパンティ(パンツでもショーツでもなくパンティ)。打擲する父。愛の余剰物としての勃起。などなど。血飛沫噴出とヒステリー発作は、映画を観るたのしみのひとつ、ということをよく分かっている映画でもありました。あと、去勢のモチーフ。「愛のむきだし」というタイトルは「愛のコリーダ」へのオマージュなんでしょうかな? 中盤の、妙に少女漫画的な展開(黄金の「親同士が再婚」パタン)はわろた。

何より、ゆらゆら帝国の使い方に吃驚。
ゆらゆら帝国をオサレに使うのは簡単でしょうが、あんなに泥臭く使っているとは予想外でした。「空洞です」の使い方と解釈に不意をつかれました。
キャストも皆、生き生きしており、若い知らない人たちがすごく上手くておどろいた。
べつにすごく感動したとか共感できるワーとかいうわけでもないのに、なんか「すげー」と思わされる、ふしぎな映画でありました。ナメちゃんに薦めておきました。



『Thee Movie』京都シネマ
http://www.thee.asia/move.html

ミッシェルガンエレファントの記録ムービー。ドキュメンタリー映画みたいなんかいなと思っていたら、ほぼ、ライブのフィルムでした。
わたしは、ミッシェルの音楽については、リアルタイムではそんなに熱心に聴いておらんかったのですが(好きではあったが見た目が男前な感じなので敬遠していた)、彼らの曲に対する感謝すべき思い出は、二、三、もっております。
まあそれについては割愛するとして、とかく、あらためて、かっこええ!と思うたのでした。


上映前の館内では、「ゲットアップルーシー」が流れていてそわそわ、予告編が終わると、聴きなれた音が映画館とは思えぬ爆音で、条件反射的ににやにやするわたしたちはパブロフの犬です。
デビュー前の頃の映像や、いかにも伝説のロックバンド然としたエピソードがときおり挿入され、最初と最後になんだかちょっとセンチメンタルな語りが入るほかは、ただただ、淡々と、幕張でのライブの映像。
次々と繰り出されるどの曲もいちいち最高で、そーだ、いい音楽いいパフォーマンスは、聴く(観る)とハッピーにさせられるんであった、という、ちょう当たり前のことを思い出した次第。


しかし、映画館でライブを観る、というのは、なんぞ不思議なものです。
おもろいなと思ったのは、フイルムとはいえ此処がライブハウスであれば、踊りだす奴やスクリーンに向かって叫ぶ奴がいたことでしょうが、映画館では、小刻みに揺れこそすれ、誰も叫んだり立ち上がって拳を振り上げたりせず、当然ダイブしたりもせず、なんちうか、「場」ということについて考えさせられました。
だがまあ、そんなことはどうでもよいのであって、とにかく、かっこよかったのです。


シートに座ってゆらゆらしてると、次第にじぶんと音だけになってゆく。それはどこで聴こうが変わらないのです。無重力というのは、一人称の消失。一人称が失われて、単に単に、ぎゅっとなる。17歳の感じというか。そのぎゅっとなることは、きれいなもので、それだけがきれいなものであり、こんなきれいなものが世界にあってよかったよ、ほんとよかったよ、と心から思った次第。(だがそのきれいなものを散文で説明しようとすると、どうしても一人称を使わざるを得ないのであり、音楽に比べ文章とは因果なものであることよ。)



幕張の会場は広いから、後ろの客のために、ステージ上の様子が会場のスクリーンに映し出されているのですが、それをわたしたちは更にスクリーン越しに観るわけです。
スクリーンの中のスクリーンには、仁王立ちでギターを弾くアベフトシの、遠くを見るような目が何度も映されていたのが、印象的でした。
やがてスクリーンの中のライブは終盤になり、客がアンコールを始め、もう一曲、もう一曲、アレが聴きたいんだ、と、スクリーンの中の客と一緒に思う。
果たしてアンコールは、聴かせて欲しかった「世界の終わり」。
スクリーンの中では客がはけてゆき、エンドロールが終わって黒い画面に追悼のテロップが出て、場内が明るくなると、シートに座ったまま立てない人が何人かいて、泣いてる人が何人かいた。
そうだよね、このよにんでの演奏は、もう聴くことが無いのだものな。


  



ところで、映画のどこでだったが忘れたが、夜明けのような夕暮れのような、群青の景色が映っていた場面があったように思うのですが、あれはどの曲のときだったでしょう。
彼らの曲のイメージって、基本的に黒とか眩しい白とかなのですが、たまにその隙間に群青が見えることがあり、おう、あの色だ! と感じたのでしたが。でも捏造記憶かもしれません。その群青自体も、じぶんの過去の具体的な記憶の中にあった色のようでもあり、だがそれも捏造のようでもあり、誰かと実際に見た色であったようでもあり、誰かと見たいと思っただけであったようでもあり、詐欺的群青なのです。


とまれ、映画観て以来、まさに17歳のようなテンションでTMGEばっかリピート再生してますよ。












リボルバージャンキーズ」の「煙が上がる6連発」のとこが好きです。Clash ヴァージョンの「I Fought the Law」で、ドラムがだだだだだだと六連打されるとこが思い出されます。