師走に磔磔でフラカンを観るのが恒例となってずいぶん経ちますが、今年の磔磔は「いろはにほの字」からの「落ち葉」が名演でした。「いろはにほの字」は好きな曲だがあんまりライブで聴いたことなくて、今回大変気持ち良かった。温かなアンサンブルが木造の磔磔によう合ってたなあ。「落ち葉」は若い頃に作られた曲だけれど今演奏されてもすごく良い。どちらも(このバンドには珍しい)ラブソングであるけれど、聴いていると、犬を思い出す曲です。
「いろはにほの字」、犬のおしりを見ながら死にたいという曲なのですが(※筆者による要約)、死にーたいー、死にーたいー、とリフレインされるのが、もし幸福な希死というものがあるとすればこんな感じやろうなあ、と思われて、それが(ピリッとしつつも)やわらかな演奏とあいまって、犬と過ごした「甘い犬の部屋」の多幸感が思い出されます。
「落ち葉」は、以前メンバー自ら「俺らの曲で唯一結婚式で歌ってもいい曲」と言っていた通り、サビに向けて盛り上がる美しいメロディが若い恋愛の高揚感をぴったり表していて、とても幸せな曲。でも歌詞をちゃんと見ると、幸せなはずの時間の中の、どこか不安に揺れる気持ちや冬の夜の寂しさが歌われていて、そこがフラカンらしいのです。そのせいか、これはべつに歌詞に犬のことなんか出てこないのに、犬との日々を思い出します。犬との日々もまた、多幸と高揚に満ちたものでありつつ、常にせつない匂いのするものでした。
まめ子は落ち葉を踏みながら歩くのが好きで、冬の道はいつも、わざわざ落ち葉の溜まっている道の隅を選んで歩くのでした。樹々の植わった川べりの道などは大好物でした。かさかさという音が愉しかったのか、感触が好きだったのか。一度、可笑しかったのは、道の端の側溝の上に落ち葉が積もっていて、道の中央に戻そう戻そうとしても端を歩こうとして、ついには側溝の蓋の穴にズボッと足を滑らせたことです。まめ子は側溝の蓋を怖がる犬でしたが、落ち葉で覆われていたから気づかなかったんですね。犬もそんな失敗するのかと笑うてしまいました。私はまめ子を飼う前、犬は機敏で元気なので苦手でしたが、まめ子は犬でありながら自分に似たところのある犬で良かったと思います。メリークリスマス。