このブログは基本的に愉快なことを中心に書きたいブログではあるのですが、生きているといろいろなことがあり、そして私は何かがあったときに「とりあえずなんか書く」というやり方でしか己の気持ちを慰める(紛らわす)ことができないので、以下は自分の気持ちの整理だけのために書く文章なので、知人友人で読んでしんどくなりそうな人は読まなくてぜんぜんよいのでね。けどなんか、自分しか見ない日記に書くのも違う感じがして、馴れ親しんだブログに書くことにしました。一応、ネットに書いてもいいかなって思うことしか書かないことにします。また、本人が読むことがないと思うと知らず知らず格好つけたことや盛ったことを書いてしまいそうだから、本人に読まれても構わないように……と思って書こうと思います。
友達が亡くなったことを知ってから、一週間になります。不慮のことでした。一週間経てば気持ちも落ち着くかと思っていましたが、ひょっこり戻ってこーへんかな、と思う気持ちは増すばかり。
毎日顔を合わせるような間柄であればまた違ったんでしょうけれど日常的に会う距離ではなかったしなんならここ二、三年会っていないからいなくなっても生活は変わらなくて、とはいえ電子上では毎日のようにやりとりしてたし変なものとかひどいネタとか見つけるたびに「おっ、これは好きそう」「これは教えねば」と思っていたから変なものやひどいネタたちが宛先を失ってしまったよ。不謹慎ネタが好物の彼女であるから、ウボォーさん聞こえますかを元ネタにきんたま蹴り大会でも開催したらウケてくれただろうな、とか思ってみても伝えることもできないしそもそも私は理由なく他人の睾丸蹴ったりしないし実はH×H読んでないし。
とても淋しく悲しいです。
あれはもう15、6年も前のことになるのか、SNSでフォローされた謎アカウント、年齢も性別もまるで分からない無機質なアイコンだったけどなんか呟きの波長が合って気になっていたら突然消えてしまって、でも半年後にハンドルを変えて戻ってきたんだよね。あのときは嬉しかったな。ネットの薄いつながりってネット上から消えるとそれっきりだから。それからちょっとずつ交流が生じて、好きそうなもの贈り合ったりして、実際会って一緒にライブ行ったり家に泊まったりして、変な仇名で呼び合うようになり(もともと仇名のようなものだったがそれを更に変形させた謎呼称で呼び合うようになり)、だいぶ歳下のはずだけどタメ口で喋ってくれるようになって嬉しかったんすよね、私は人との距離を縮めるんが苦手なんで。
コロナ禍の頃に一緒に旅行して感染対策で入湯人数が制限された風呂に入り「ネットで知り合って今や一緒に風呂に入るまでになるとは」とお互い言い合ったのだ。その夜は互いにスマホを貸し合って、それぞれが登録してるサービスの漫画読んだり映像観たりして「スマホ貸し合うって友達でもなかなかやらんよね」みたいなことを彼女が言いたしかにそうやなと自分らでも感心しました。これは偶然なのだがわれわれは背格好がほぼ同じで顔と喋り方も似ているらしく、共通の友人には「ドッペルゲンガーかと思った」と驚かれたし一緒に行ったいかがわしいパフェ屋のおかあさんにも「本当に姉妹じゃないの?」と言われたのでした。そのせいなのか一緒にいると次第に自他境界が曖昧になり(彼女談)、われわれはそんな自分らを「自他境界オワ太郎」と呼んでいた。
彼女が私の顔を見ながら「ワイも40歳になったらこんな感じになるんだな~」(大意)的なことを言っていたこともありましたっけ(※当時私が40歳だった)。「自他境界オワ太郎の台詞や」と笑い合ったけど、ほんまに40になった姿見て答え合わせがしたかったな。
あーなんか自分が悲しいとか淋しいとかいう自分の気持ちばかり書いてしまいます。そりゃ言葉は生者のものだものな、だからいつも寸足らず。ほんとうは本人が一番無念であろうに。
いや、われわれはどちらかに危機的なことがあってもいつも「やばw」「乙」「まあそのうちぽんよりしようぜ」「おう、絶対ぽんよりしような」みたいな感じであったから、今回もそんな感じなのだろうか。あの世があると仮定してあの世通信があるとすれば。まあそんなものはないんだけれど。
しかしこうして親しい人があっちの世界にいってしまうと、一気に死が身近なものになってしまいますね。自分だっていつか死ぬよ、と分かっていながら多くの人は自分だけは死なないと思っているものだけれど、まるで、別世界のように思っていた難関の学校に親しい先輩が合格してあれ自分でも受験できるんじゃないかな……? と思えるときみたいに、別世界のようだった死が急にすぐそばにあるものになる。別に進んで死ぬつもりはないけれど。でも死ぬときに「ああ、みんなもこうだったのか~」と思えるとしたら、それは唯一の死のメリットなのかもしれません。
祖父(おぢい)が死んだときに、手紙を書いて棺に入れて、これは何をしてるんだろうなって思いました。
人の死後の儀式はすべて生きてる側の気持ちを納得させるためのもので、追悼の言葉は生き残った者同士のパフォーマンス、と思ってきたけれど、私は今日もここ(ブログ)だけではなくて、自分しか見ないところにも友達に宛てた言葉を書いている。人はどうして亡くなった人に手紙を書くのかな。魂の実在を信じているわけでなくても、心のどっかで少しだけ、故人がほんとうに読んでいるのだと感じているのかもしれません。言葉は生者のものと書いたけれど、いや言葉はそもそも死者に届けるためのものだった。リトル・リル、ジャラマドーラ(岡本君)、姫野先輩聞こえるか、だよ。
自分は祖父母みたいに80や90まで生きるかもしれない、或いは何かあって今日にでも死んでしまうかもしれない(避ける努力はするけど)、どれくらいの期間か分からないけれど、ともあれこの先ずっときみが不在なのだと思うと、途轍もなく長い時間に感じるよ。(この先も生き続けるならば)私は年をとるけれどその人の時は止まったってことが、まだ理解し難いです。昨日、台風クラブが例の映画の試写をやるって報を見て、おおっと思ってRTして「ああ、そうだ、いないんだった!」と早速不在を思い知った。この先ずっと不在を思い知り続けることになるんかね? 彼女がいたら「わっほわっほ!」とめちゃ盛り上がったことでしょう。

この看板は、「見たら絶対に喜ぶだろうな」と思って撮ったんだよ。「歯」の中身が無になることでホワイトニングを体現しておりかつホワイトニングのはずが微妙に汚れてるー!! つって喜んでくれたことでしょう。この歯科は中を覗くとなぜか米国国旗があったよ。「なぜー」「わからじの森」「森が深い」。

すみすみの新キャラも教えてあげたかったよ。「えびふらいのしっぽ・いぬ風」とは……って共にわからじの森の中に迷い込みたかったものだよ。

絶対好きそうなお店を見つけたよ。以前地元を案内してくれたとき似たテイストのお店に案内してくれたのだった。あのお店は最高でした。近くにあったら通ったのに!って思った。もっと近かったら気軽に会えたのにねえと思うけれど、おかげで遠方の土地を知れた面もあるな。京都ももっと案内したかったです。
このひと月、音沙汰がないな、どうしたんだろうな、と思いつつ、以前にもそんなふうにしばらく音信が途絶えたことがあって、そのとき私は心配して騒ぎすぎて迷惑かけたので、心配しすぎはよくないな、と思って確認せずにいたのでした。
その一方で、世界で酷いことが起きているニュースに「ああ、この世を去った人はこれを見なくて済むのだな」と思ったとき、ふっとなんとなく彼女の安らかな様子が浮んだのでした。だからどこかでは察知していたのかもしれません。
「私を構成する9冊」って好きな本9冊選ぶやつ、SNSで流行ってたからこないだやってみたんですよ。そのときはまだ知らなかったから、後で彼女も見てくれるかな~とちょっと思いつつ。んで、好きな漫画を考えてたら、最近読んだやつってほとんど彼女が薦めてくれたやつだったんですよね。『チェンソーマン』も『なるたる』も(ひどいのばっかり薦めてきたな)。そういやチェンソーマン2、最終回らしいよ。読まずに行ってしまうなんてなあ。蟹ヌテラ武器庫、絶対好きだろうな~!と思ってたけど、蟹ヌテラ武器庫も聴いてないんだね。なんか大変そうだったとき送ったギフト、ヤポポポポポイハービモラの本歌取りでメッセージを添えたらバナナのハミガキ粉の本歌取りでお礼の返歌が返ってきた。ずーーーっとああいうしょうもないやりとりを永遠にやってたかったなあ。あ、不謹慎や最悪ネタが好きな人ではあるけれど、自分の中できちんとラインがあって、ありえない何かとか差別とかにはちゃんと怒ってる人やった。そこも信頼できた。とあるくだらない流行について、「あれは最悪です」と言い切っていたの良かったな。私はそういうときけっこう「まあいろんな意見があるよね…」みたいに濁してしまうので。似てる似てると言われるけれどそういうときは、「私にない美点のある人やな」って思っていたよ。そういえば同時に再読し始めた小説、「豊年だ豊年だ」まで行き着きましたか? 私は途中になっています。
20年前、ある方が亡くなったとき、仲間のライターさんが書いた追悼文を今でもまだ覚えています。ウゴウゴルーガの歌を引用して、君が死んじゃってつまんない、つまんない、つまんないなー、つまんない、つまんない、つまんないなー、って。禿同。
なんもできないので、また時々何か書こうと思います。「リトル・リル」の気分です。
こんなに波長や見た目が似てる人でも、インターネットがなければ出遭うことはなかったと思うので、その点は本当によかったです。
友達の安否を案じ始めた際、深夜に相談に乗ってくれた知人に感謝します。混乱する中、LINEや電話で話してくれた共通の友人にも感謝します。知らなければ「どこかで元気に生きてるだろう」と思い続けることもできたけれど、いや、ちゃんと知っておいてあげなくてはかわいそうだよね、って、みんなと話す中で考えが変わりました。実感が湧いて本格的に淋しくなるのはまだこの後だと思います。