最近よかった漫画:『泥濘の食卓』

 ずっと好きで読んでいた漫画『泥濘の食卓』が完結して最終巻が出たので感想とか好きなところの紹介とかを書きます!

 一見、田舎町での家族や人間関係のドロドロを描いた暗い話……に見えるのですが、繊細な描写が見事で、ユーモアもあって、「どうなる……!?」とハラハラさせてくれるところもちゃんとあって、最後まで楽しく読みました。

 

伊奈子『泥濘の食卓』1-9巻、新潮社

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ストーリーを簡単に紹介するならこんな感じです。

 

地元のスーパーでパートとして働く女の子・深愛(みあ)は、母親と二人暮らし。二十歳を過ぎても、過干渉な母親の管理下にある。だが、既婚者であるパート先の店長と付き合っていることはまだ母には内緒。深愛は将来、店長と幸せになることを夢見ている。しかし、店長の妻がうつで通院しており、それを理由に店長から別れを告げられる。店長と一緒になるため、店長の力になれないかと思案した深愛は、自分の力で店長の妻を元気にすることを思いつく。

 

 ……この導入だけでもう好きです!

 これだけ読むと、深愛は「サイコ」なヒロインに見えるかもしれませんが(まあそうかもしれんのですが)、私はそうは読みませんでした。というか「深愛ちゃんは私だ!」と思いながら読みました。以下、好きなところを書きますが、盛大な「ネタバレ」もあるのでOKの方だけお読みくだされ。

 

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■ (1) 登場人物たち

 キャラクターが皆良い! いいやつもいけ好かん奴も皆、周囲に本当にいる人のように感じます。 服装とか、姿勢とか、台詞とか、本当にいる人なんじゃないかな? 漫画家ってすげ~~~と思いながら読んだんですが、以下特にヒロイン・店長・ヒロイン母について書きます。

 

 上に書いた通りのヒロインですが、彼女は徹底的に純粋で、徹底的に悪意の無い女の子として描かれます。その人物造形が見事!

 深愛ちゃんの行動原理はただ「みんなで幸せになりたい」「みんなに好かれたい」ということ。彼女にとっての幸せは店長と一緒になることであるので、それと「(店長の家族も含む)みんなで幸せになりたい」は矛盾するはずなのですが、その矛盾に彼女は気づきません。その矛盾する夢に向かって深愛ちゃんは爆進します。

 店長が家庭に悩みを抱えていると知った深愛は、なんとか店長の妻・ふみこさんに接触しようとします。このくだりがめちゃくちゃ面白い。彼女は心理カウンセラーを装ってふみこに接触しその悩みを癒してあげようとするのです。そのために図書館で勉強しまくり自らデザインしたチラシをポスティングし……という行動力がすげえ(あと作中の知恵袋っぽいサイトの回答者もすげえ)。私はここで、この漫画はただの「サイコ不倫もの」とかでなくてスペシャルなやつやっ!と感じ、続きを読むことを決めました。深愛ちゃんは、買い食いするだけで「なんか悪いことしてる気分」になるような女の子。その一方で、カウンセラーを偽っているときの罪悪感の無さ。このアンバランスの描写が見事です。

※ でも実際にカウンセラーって資格無しでも名乗れますもんね。現実にもわけわからん「カウンセラー」が大勢いることを思えばそんなに変でもない(?)のかもしれない……。最初は嘘カウンセラーだったはずなのに、店長の息子にも悩みがありそうと知って「カウンセリングできる時間作れるといいけど」と考えるなど次第にカウンセラーらしくなってゆく過程、その「カウンセリング」によってふみこさんが本当に元気になってゆく過程も面白くて、読みながら思わず私も深愛ちゃんみたいな人に話聴いてほしいな~という気持ちになり、「カウンセリングの本質とは?」みたいなことを考えてしまいました。

 

 そのアンバランスさは、上で述べた通り「サイコなヒロインの暴走!」としてコワ愉しみながら読むこともできるんでしょうが、私はむしろ「われわれあるある」として読みました。われわれも皆……いや一般化したらあかんかな、私も、知らず知らずこうした暴走を生きているのではないでしょうか。たとえば私は思春期の頃、「仏」のふりをして家族に手紙を出そうとしたことがあったのですが、それを思い出しました(事情は長くなるので省略しますが昔エッセイとして書きました:仏からの手紙)。明らかにすぐバレるウソであり、別にもう普通にそこそこの知性も育っている中学生であったのに、なぜか謎の万能感のようなものでそれに気付かない……。仏のフリはまだ善の例(?)ですが、他愛ない動機からウソをついたり物を盗ったりして、なぜかバレないと思い込んでいて、大変なことをしたと思う一方でなぜか全然平静で、そのふたつの自分が矛盾なく同居していて。そしてそういう「前操作期の延長戦」みたいな状態って、思春期のみならず、大人になってもずっと残ってると思うのです(大人になってからの例は考えたくもないので書きませんが)。この感覚がリアルに描かれていて、「すげ~~~!」と思ったのでした。

 

  • 店長

 登場人物、みんな好きなんですが、中でも店長は好きかもしれない。

 別にイケメンでもない中年で、家庭があるのにパートのおとなしい子にばかり手を出すクズ。のはずなんですが、深愛が店長を好きになったのはよく分かるな~という描き方がされています。遅くまで残ってるパートに必ず飲み物を奢ってあげたり、おばさんたちに「お嬢さん方ー」と呼び掛けたり、ああこういう人いるな~~上手いな~と唸りながら読みました。クズではあるが、こういう人のいる職場で働きたいな、とも思う。

 深愛との関係を一度断とうとしながら翻すところとか(読んでいて思わず「何でだよ~!別れろよ!」と声に出てしまいました)、ハルキ(息子)に「じゃ、俺は子どもだな」と言ったときの表情の醜悪さとか、醜悪なんだけど実に人間臭い。こういう人……いる!

 

 深愛の母は所謂「毒親」なんでしょうが、やっぱり単なる平面的な「毒親」ではない描き方になっていて、しかしそのせいで余計にあああ~~となってしまう。娘には早く結婚してほしいけれどひとりになってしまうのは淋しい。娘と同じ墓に入りたい。こうした母の愛って、けっして珍しいものではないのではないでしょうか。私は大森靖子「呪いは水色」を思い出しました。恋愛の歌としてはピンと来なかったのでしたが、どなたかが「娘に対する母の気持ちを歌った歌にきこえる」と評していたのを見てから、よくよく解るようになった曲です。

 深愛のお洋服やら下着やらの可愛さも、この作品の好きなところのひとつなんですが、それらは全部母の選んだものであり、お母さんはどう思いながら深愛ちゃんの服を買ってあげてたんかな、と想像しながら読むのも愉しかったです。お母さん自身は可愛い系の服を着る人ではないっぽいし、娘にはこういうのを着せたい、と思って選んだんかなあ、「毒母」ではあるけれど娘の似合うものをちゃんと分かっている人ではあるんやなあ。

 

 

■ (2)街

 いつの頃からか、「背景」がちゃんとある漫画を好んで読むようになりました。最近だと、阿部共実の諸作品、押見修造『血の轍』など。(そういえばいずれも「地方」の、おそらく作者が愛着のあるであろう街を描いたもので、かつ家族関係や思春期をテーマにしたものですね!)

 本作は名古屋近郊の郊外がモデルなのかな? コンビニの窓から見える暗い田舎町、高台から見える家々、バスの窓から見える農地……読んでいると、まるで自分のよく知った街のように感じます。この風景の中にあってこそ登場人物たちが本当に生活しているかのように感じるし、「それ!よくそんなあるあるに気付けることよ!」と思うようなディティール(※)が生きてくるのだと思います。

※)「変な墓石」とか、シャワーの飛沫が当たるときのしぴしぴいう音とか。たしかにしぴしぴいう! すごい!

 

 

■ (3)食べ物

 タイトルの通り、本作は「食」が全体に通底するモチーフのひとつになっています。母との食事、店長との食事、ひとりで食べるコンビニのジャンクフード、叔母の家で食べるフライドチキン…… さまざまな「食」とともに、さまざまな家庭の姿も描かれます。

 本作で象徴的やなあと思ったのは、髪の毛が混入したチョコレート。漫画的なエピソードではあるんですが、食べ物にはすべて何らかの意味(悪意や善意や善意という悪意や……)が混入しているという意味で、すべての食べ物の象徴のように感じました。

 摂食障害を扱った文学作品ばかり読んでいた頃があり「食」は私もずっとこだわってしまっているテーマです。人間にとっての食は必然的に病理的(というのが言いすぎなら必然的につらみ)やと思いますが、本作はそれだけでなく、それでもなんとか癒えていこうとするあり方が描かれていて元気づけられました。

 深愛とふみこが一緒に料理を作る場面は、それぞれにとってセラピーになっていて、(その関係はかりそめのものと分かっているのでハラハラしつつも)読んでいて幸せな気持ちになりました。そういえば深愛は、食において母に禁じられていることをすべて店長の家族とともに経験しているのですよね。母に禁じられている買い食いをハルキと一緒にして、母に止められている料理をふみこさんと一緒にして――。 

 あと、尻のあるぴよりんが可愛い。(ぴよりん大好き。)

 

■ (4)犬

 ときどき出てくる犬が可愛すぎる。

 

* * *

 

 最終話まで、まったく結末がどうなるのか分からず、もしかしたら深愛ちゃんは本当にカウンセラーになるのかな? ハルキくんとどうにかなるのかな? とドキドキしながら読んだのでしたが、そうか、これは、自己実現のお話でも恋愛のお話でもなくて、ひとりの女の子が自分で自分の好きなものを作って食べられるようになるまでの物語なんだ、と納得しました。それが最初から軽々とできる人にとってはきっとなんてことのないこと。しかし、或る種の者たちにとってそれは、たくさんの代償の末にやっとたどり着ける大事業なのだと思います。私は深愛ちゃんの二倍近い年齢の人間ですが(え、ウソやろ!?)未だ彼女のような内界を生きています。

 最後、「この先ずっとつらい」という結論なのもよかったし、それでいて深愛ちゃんが、店長ができなかったこと(「去る」ということ)をサラッと成し遂げたのも美しかったです。あと深愛の自立の物語であるのと並行して、なぜかちふゆ父の成長物語になっている(たぶん作中一番進化した人物である)のも面白かったです。

 新しい連載『天女様がかえらない』もたのしみに読んでおります。