今日のはべつにどうということのない記事です(いつもどうということのない記事ですが)。
最近やたら清水寺づいていて、清水寺の周辺のいろんなところを歩いたり、清水の舞台をいろんな場所から眺めたりしたので、そのお裾分けどす。
■ 早朝の清水寺とその周辺
1月某日。
早朝お散歩でなんとなく清水寺へやってきました。最近どこも混雑している京都、人の少ないゾーンを歩いて帰る予定だったんですが、清水も朝なら静かなんちゃうかということで。
めっちゃかっこええ鳥いた!

鵜? らしいです。

石段を上って、西門の後ろから京都の街を見ました。山に囲まれた朝の街は掌に収まる箱庭のよう。同郷の作家・綿矢りさの作品に『てのひらの京』というのがありますが、京都人の感覚を上手く言い当てたタイトルやなあといつも思います。


このあたりは子どもの頃、幾度となくスケッチやらなんやらで来ました。思い出の地といってもいいでしょう(子ども時代はろくでもないことばかりやったんでろくでもない思い出も多いですが)。雲がゆっくり流れ街に影を落としている様子をぼんやり眺めます。いつまでも眺め……たいところでしたが、人が増えてきたので場所を譲りました。
王道コースではここから舞台のほうへ進むのですが、舞台は要拝観料ゾーンであるので今日はカット。舞台と反対側のひっそりした坂道へ回ります。
坂道にある石仏群は清水寺で一番好きなスポット。この日は熱心に手を合わせている地元の人がいはりました。


廃仏毀釈のときに市民によってここへ運ばれた石仏たちらしいです。しかし新しいっぽいお地蔵もあります。我が家は祖父母がけっこうガチな地蔵信仰をしておりまして、それに関連して自分の中で地蔵がつら物件やった時期があったんですが(地蔵には罪はないんですが)、冬の朝ここにいると、連綿と続く人々の「思い」みたいなのを感じ、涙が流れてしまいました(感受性豊かすぎんか)。

人が増える前に清水寺を抜け出し、茶わん坂から降りて東大路に出ます。そこから再び、今度は大谷本廟と茶わん坂の間の坂を上ってみることとしました。
「鳥辺野」の解説板がありました。

このあたりからもう少し南にかけての一帯が鳥辺野になるようです。京都三大葬送地のひとつであり、ネットでもよく見かける「ほんとうは怖い京都まとめ」みたいなやつ(なんか……ありますよね)ではおどろおどろスポットとして扱われていたりもしますが、私は好きなエリアなのです。


大谷本廟のよき電話マークあり(電話マークも最近集めてるもののひとつです)。
ここに「御荼毘所」があることをずっと知りませんでした。親鸞の火葬地であるそうです。

この看板からすぐそこなのかなと思い、へーじゃあひとつお参りしようかの、と墓地に踏み入ってみたのですが、墓地の奥深くに延々と進んでゆき、途中違う寺の墓地の敷地も横切って、さらに奥深くへ連れてゆかれます。

ダムの底のようになっているところがあり、長い階段を降り……
階段を降りたところに小さな碑が祀られていました。


ひと気がぜんぜんなくひっそりしています。茶わん坂や清水坂の華やかな賑わいのすぐ近くに、こんなところがあるんですね。地形的にもこのあたりは起伏が激しくて面白いなあ。観光街の華やかさに惑わされてあまり意識することがなかったですが、もともとは山と谷の入り組んだ地形なのだなあ。御荼毘所の裏にも小さな水路が流れていました。
墓地を横切り来た道を戻ります。墓越しに京都タワーが見えます。

水汲場に花びら

更に、通りを隔てて五条通(一号線)に隣接する墓地に分け入りました(墓を通って五条通に出ようと思ったのだが連結してなかった)。

山科へ抜ける高架の下が谷になっており(というかかつて谷だった上に高架が造られ)、高架のすぐ傍まで墓地が広がっています。高架を車で通ると北側にびっしりとお墓たちが見えるのです。

なお、この谷の名称を以前由来不明と書きましたが、その後「牢谷」であることが分かりました。平景清の牢がここにあったという伝説に由来するようですが、同様の伝説は他の土地にもあるようです。
思えば京都で過ごしていたときは、いつも東になだらかな死が聳え、われわれをゆったり包んでくれているような感覚でありました。こうして朝から墓地を歩いていると、東山山麓の学び舎に日々通っていた頃の感じも思い出しました。学校の周囲は墓に囲まれ、青春の学び舎としては最大に辛気臭い雰囲気でしたが私はそれが好きでした、心安らいで。最も墓に近く窓から墓が見渡せる校舎が一番好きでした。休みに図書室に自習しにいった帰りに墓の脇を歩いてひと気のない寺へ出、そこのベンチでひとりで弁当を食べるのが好きでした。ヤンキーが墓で煙草を吸いにいって墓から苦情が入り、先生が墓と学校敷地との間のフェンスの前に立って「墓に入るな!」と怒っていたのも好きでした。東山の緑と墓の中で生命はきらきらとしていた。
■ 清水山墓地から清水寺へ抜ける
同じ日の昼過ぎ、父と出かけることとなりました。
「どこにいこか、朝は東山の墓を歩いたからどっか別のとこに…」と言うたにもかかわらず、東山へ向かいの墓ゾーンに突入する父。どんだけ墓好きやねん。墓好き親子か。

ここは清水山墓地。清水寺の墓地かと思えばそうではなく、市営なのだそうです。市営であるのでいろんな宗教の墓が集まっていて、基督教の墓や神道系新宗教の墓などバリエーション豊かです。神道系のお墓は「奥城」という表現をすることを知りました。市営の墓地ってよいな。
墓の近くの谷にあったお地蔵さんです。

お皿が「なんか京都の家でよく見るやつ」(宮川町のやつ?)だ~! いちごさんのお湯呑みもかわいいな。

清水山墓地は晴れた日は散歩に最適。南側の眺めがきれい。縁者の墓もあるので父はここには思い出があるようです。

スタバのカップをもった中国語を喋る男の子が二人墓地内をうろうろしていて、「スタバ持って墓に来るとはずいぶんニッチな観光やな、日本の墓マニアなんかな? 」とか考えていたらば、「excuse me、ここに行きたいんですが……」と不安そうな顔でスマホを見せられました。清水寺に行こうとして墓に迷い込んでしまったようです。本来は茶わん坂か清水坂から上るはずだったのでしょう。上る道を少し違えただけで墓地に迷い込んでしまったのだから、そりゃあ不安になったことでしょう。
清水山墓地はそのまま山のほうへ行けば山側から清水寺に出られるので、父がその道を教えたのですが、彼らは「本当にここへ着きますか? (スマホで調べた清水寺の写真を見せながら)」と最後まで不安そうでした。そうだよな……。(「絶対間違ってる道に見えると思うけど行けば分かるから大丈夫!」ということを伝えたかったけど英語力も中国語力もなかったので我らは微笑んで頷くだけだった)
しばしば墓を散策した後、われわれも寺へ出る道へ。昔はもっと山道だった記憶があるんですが、舗装されてました。
きのこ発見

急に視界が拓けて子安の塔に出た!

そして対岸に舞台が見えます。

ここは拝観料不要ゾーンだし人も対岸ほど多くないし、ゆっくり景色を眺めることができます。これもあまり意識していなかったけれど、子安の塔と舞台の間ってすごい谷になっていたのだなあ。
南側の坂道をぽよぽよ降りていきます。阿弖流為と母禮の顕彰碑がありました。今まで気づいていなかった!

そうか、清水寺って田村麻呂のゆかりやもんなあ。当時東北にいた人々にとっては敵であり侵略者です。碑の裏側には関西胆江同郷会・阿弖流為を顕彰する会・関西岩手県人会・京都岩手県人会の名がありました。この碑は、1994年、平安遷都1200年の年に建てられたようでした。遷都1200年の年の盛り上がりは覚えていますが、その中でこんな碑も建てられていたんですね。

この後、東大路に出ることにしたのですが、ちゃわん坂でも清水坂でもなく墓地の中を通る道を選んだ父、墓が好きすぎる。

谷にびっしり並ぶお墓。まだ新しい区画が切り拓かれていました。この中に、かつて父ととある縁のあった人の墓もあると聞いていたのですが、「こんだけ墓があったらさっぱり分からんなあ」と言った瞬間、目の前に見知った名前が見えて、まさにその人の墓であったので吃驚しましたね。
朝歩いた「御荼毘所」を父は知らなかったので案内しました。朝の花びらが掃除されてました。

御荼毘所のすぐ近くには、「肉弾三勇士」のお墓もあります。
裏側にはその「偉功」について刻まれています。国家の起こした戦争での死が美化されるのはつらいことです。周囲も戦士した軍人の立派なお墓が並んでいました。
■ 阿弥陀ヶ峯
翌日は妹と出かけ、なぜかまたも東山へ。
京都女子大近くの喫茶店「ぐるんぱ」。
私の子どもの頃から存在していて素晴らしいです。「ぐるんぱ」は「グループコンパ」の略らしい。
少し坂を上ったところが「太閤坦」です。

今は半分以上京都女子大学のバススペース(プリンセスラインスペース)になっていますが、私の子どもの頃はリアル猿とか鶏とかがいた記憶があります(檻があって飼われてた……と思う、でももしかしたら猿というのは秀吉から連想した記憶違いかもという気もしてきた……)。
ここから更に登ったところが豊国廟で、単なる散歩なんで登らず引き返す予定やったんですが、なぜか急に登り欲が出て登ってみようということに。
石段すげーー

でか倒木

登った~~と思ったらまだ続いてた!!


妹撮影私。寒い日やったんですが登りで暑くなりダウンコートを脱いでます。

息切れしながら登り終えると、これが豊国廟。

そっかこれも墓か、また墓に来てしまいました。東山は巨大なお墓です。ここまで登るのかなりしんどいのにちらほら人がいて驚きました。秀吉ファンかな?
そして、木々の隙間から隣のお山に目をやると……清水の舞台、見えた!! 連日なんでこんな清水寺ばかり見てるんだ。

かつてはここからこんなによくは見えなかったはずなのですが、この部分だけ木を伐ったらしく、特等席のような絶景になっていました。清水の舞台、観光写真でよく見る姿以外にも、いろんなところからいろんなふうにその姿が見えるのであるな。ってわけでだからなんだという話ですが、墓やら清水寺が見えるところやらをやたらたくさん散歩したよって記録でした。
