心斎橋OPAで、「伊藤ゲン展」を観ました。
フライヤーを見てなんか気になって行ってみたのですが、良かったです。
(※写真撮影可の展示でした)
展示されていたのは、静物や部屋の一部が写実的に描かれたシリーズ。静物はごく日常的で庶民的な食べ物たち、部屋は生活感溢れる(おそらく)一人暮らしのマンションかアパートの部屋。
たとえば、セブンのパスタ!
それが実際置かれていたであろう卓袱台とかテーブルとかから切り離された背景の中に少し厳かに置かれてるのも面白いです。そんで、わっ、セブンのパスタや! と思うてしまうのは、われわれが(私が)セブンのパスタを「わざわざこんなふうに描く題材やない」と思ってしまってるからであり、ポップアートとかなんとかとか経た現代でも、「絵画に描かれるべき題材/そうでない題材」が強固にあるんやな~て気づいて可笑しかったです。
これは笹団子の絵。写真では上手く伝わりませんが、実物は、笹団子がキラキラしていてすごい幸せそうな存在感やった! 単なる草団子のはずやのに、ふしぎ!
私も、日常食べるものとかどうでもいいようなものとかわざわざ写真に撮ることがよくあるんですが、日々のひとつひとつのなんてことないモノを愛でる、という点では似た行為なのかも、と思いつつ、(ちゃんとこだわって撮る写真ならいざ知らず)ポッとてきとうに写真を撮る行為と絵を描くという行為はやっぱ違う行為なんやろな、ってとこから、絵を描くってなんやろな、と考えたりしました。
また、この日、ちょうど心斎橋への電車の中で『草枕』を読んでいて(急に漱石欲に襲われたため)、語り手がただ現実そのままを客観的に表したら詩や絵になるというようなことを言っていてうんうんと思ったところであったので、「まさにこれやな~」と思いました(その部分で例に挙げられているのは「怖いもの」や「凄い事」や「失恋」なのでコンビニ飯や草団子とはちょっと違うのですが)。
イカのお皿、草団子のお皿と同じかな??とかそういう細かいところをあれこれ見るのも楽しい。
パンの種類がいっぱいあったりとか……どれが一番おいしかったんかな、と考えたりとか。
部屋の一部が描かれたシリーズも面白かったです。普通に収納の参考になったりもしましたw
大阪の展示は28日までだそうです!
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ところで上に書いた、描くって何、って話ですが、絵は、現実の写生であっても単なる写実じゃなくて、自分の手でもうひとつ別の現実を作れてそれに命を吹きこむことができるというか、それが描くことの、また描かれたものの面白さなんやろなと思います。私はべつに画家ではないですが、「こういうときは絵やな」と思った思い出がふたつあって、それは祖父が死んだときと犬が死ぬ前です。いずれも、そのときの姿を写真に撮ることはできなかったけれど、スケッチをしました。遺体(や病犬)にカメラを向けるのは一般的な心理としてためらわれるからというのもありますが、描くことで死んだものや死にかけてるものを自分の中で再生させたい、生かしておきたい、みたいな気持ちがあったんかな~ と今、思いました。
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その後、天王寺で用事があったんで、心斎橋から歩きました。
上町台地のへんにある坂の総称で、このへんじっくり歩くことなかなか無いんで、一度歩いてみたいな~と思ってたのでした。七坂全部は歩けなかったけど、清水坂と天神坂を歩いたよ!
このあたりはいわゆるコテコテの大阪のイメージと違うてこんな感じ。大阪って、少し歩くとクルクル表情を変えるのが面白いですね。
これが清水坂。
大阪にも清水寺があるんですね! 大阪の清水寺は四天王寺の支院だそうです。名前はあの清水寺にちなんでいるのだそう。墓地の中に「清水の舞台」もありました。
舞台から見える景色は京都東山の舞台とはぜんぜん違いますが……建物が高い!
境内には「玉出の滝」があり、大阪市内で唯一の天然の滝であるとか。
年季の入った看板がありました。
このでっぱりは何やろ?
これは天神坂。坂に沿って、落ち着いた住宅が並んでいました。昔から井戸の名水で有名だそうで、今でも水が汲めるようになっていました。今は飲めないぽいですが。
メガネの落とし物。
坂のふもとの安居神社。菅原道真を祀っているから天神坂なんですね。
一心寺は、アミューズメント感あって好きなので何回か来ています。今回知りましたが、ここにも会津墓地があるのですね。
墓碑整理がされていました。
茶臼山へ。早咲きの何かが咲いていて、みんな写真を撮っていました。
おじさん二人組が、「こないだ東京行ったんやけど、東京は都会やのに案外と自然があるんや、大阪はここくらいしか無いやろ、それでみんなここで写真撮るんや」と話していました。ここしか無いことはないと思うが……。市立美術館の前を通り、てんしばに出ました。てんしばには有料のレジャー施設が増えてました。