前篇:
後編:
前回までのあらすじ: 雨の中、今治から尾道を目指ししまなみ海道をママチャリで走り始めたわれわれ。大三島の宿で、翌朝の天気を信じて一泊するも、起きると雨はより激しくなっていた。しかし、なんとかかんとかその中を寝巻で突破しついに多々羅大橋を渡り県境を越える。閉店力に見舞われつつも昼食を得たわれわれは、気になる寺「耕三寺」へ向かった――。
■ 耕三寺
さて、耕三寺です。耕三寺は浄土真宗の寺院。もともとは鋼管溶接という分野の技術者であり実業家であった初代住職・耕三寺耕三が、母の菩提寺として建てたといいます。(どうでもいいが三隅二不二を思い出させるお名前…。)
譜面があるの珍しいな。「音源ボタン」も。
お寺にもサイクリスト用ロッカーが完備されているのが、さすがしまなみ海道。
門を入ると一面の蓮の花が雨に濡れて美しい。
「耕三寺」でなく「耕三寺博物館」としての見学になるらしく(どういうわけでそうなっているのか不明ですが)、拝観料でなく入館料を払います。ちなみに、中学生以下の子どもを伴っていると「孝養割引」の料金で入れます。孝養割引って初めて聞いた!! 普通にある言葉なのかな? と検索してみましたが耕三寺しか出てこなかったので、ここ独自の用語なのでしょうか。そもそも母のために建てられた寺であるから、「母への感謝」がこの寺のテーマらしいです。
「世の母は皆観世音花の春」、初代住職による句です。
別のところには「父はみな勢至菩薩よ秋の月」がありました。
「大慈母塔」。室生寺の五重塔をモデルにし、耕三寺耕三の鋼管の技術も用いたという建築。
「孝養門」。日光東照宮陽明門を模したもの。
説明板では、この建物が出来上がった経緯が熱っぽく解説されています。
これは……普通に地元の観光地として紹介されているけれど、パラダイス(※桂小枝的意味で)なのでは?? 他に適切な語がないのでパラダイスというバラエティ番組由来の語を使っておりますが、これ、バカにしてるわけでなく、パラダイスの条件とは、ひとりの作者(パラダイサー)が己の内的な主題・信念・嗜好に沿って、独自の情熱と(極力)独自の技術・工夫(と時には財力)によって事物を体系的(他人には体系的に見えなくても)に配置し、己の世界をひとところに現出せしめる点であると思うのですが、このお寺はその条件を備えているのでは? と感じました。
後で見てみると、珍寺大道場さんが1997年にレポを書いておられて、「やはり!」と思いました。耕三寺 (chindera.com)
なんかすごい樹。
上の珍寺大道場さんのレポの時点では建設中だったようですが、エレベータで登ったところには「未来心(しん)の丘 巍々園」が広がっています。彫刻家・杭谷一東によりイタリア産の大理石で制作された大規模環境造形作品とのこと。ガイドブックではインスタ映えスポットとして紹介されており、寺のインスタアカウントでもここで映え写真を撮る人たちの様子が宣伝されていますが、寺の一角にいきなりこのスペースが広がっている様子とこの物量はやはりパラダイス的であります。
上は「光明の塔」、下は「天猫」。雨で石がツルンツルンでした。
それぞれの石にコンセプトがあるようです。
海が見晴らせます。晴れていたらば海の青に白い造形物が映えて美しかったのでしょう。
耕三寺には、空と海に面する「未来心の丘」がある一方で、地中に作られた「千佛洞」があります。これは! 私の好きなやつでは!!
洞窟の両側にびっしりと生える(生える?)石仏たちに迎えられ、細い洞窟に入っていくと……
地獄だ!! ワワーイ!!
私は……地獄が大好きだから……。
しまなみ海道まで来ても地獄に来てしまうよ……。
亡者の肌の色が緑。「肌の色が緑の亡者」って地獄系でよく見かける気がします。
ハニベ岩窟院も台湾金剛宮もそうでしたが、こういうところは、六道めぐりの中でも極楽はあまり面白くなくてやっぱり地獄が面白いです。人間の、地獄の表現にかける情熱が好きです。ペグレス(仮)とも「やっぱり地獄だよね」と言い合いました。しかし一方で、地獄絵に馴れすぎてしまったのか、以前ほど地獄に心を動かされなくなってしまっている自分もいます。血の池や針の山を見てもかつてのような心震えるような感じがない……(なくていいのだが)。そんな中で、ここの独自性を感じたのは、各絵に添えられた俳句です。
最も多く採られているのが松野自得という人の句で、これによってこの俳人を知りました。僧侶でもあり画家でもあり、耕三寺の「銀龍閣」の天井画を描いているのもこの人だというので、耕三寺耕三と親交があったのでしょうか。「蛇死せり子等のリンチの烈しさに」「泥中の屍臭地獄の蠅むらがり」「髑髏唄へり露の甘さの切なさを」「窟奥よりつかみかゝれり春の暗」「産む望み女は棄てず紅うつぎ」……陰惨な中にあはれがあったりその逆だったり、強烈なイメージを喚起する句が多く、気になりました。
洞を進むと、頭上にまでびっしりと仏たちが層を成しており圧倒されます。
地上に出てきたところで、巨大観音像(法隆寺救世観音の模倣)に救われる……という寸法。
■ 生口橋へ――雨止み
しまなみ海道走行の記録だったはずが、ついつい耕三寺のレポになってしまいました。
さて、耕三寺を出たところで15時半頃。われわれには、19時までに尾道のレンタサイクル屋にチャリを返却する、というミッションがあります。まだ、因島・向島というふたつの島を越えねばなりません。先へ急ぎます。有難いことに、耕三寺を見ている間に雨がかなり小降りになりました。ここからはレインコートを脱いで走ります。ありがとう、300均のレインコートよ。蒸されて汗だくになったのでもはや内側もじっとりしていて雨を防げていたのかよく分からないけれど……。
生口島の柑橘たちとレインコートを脱いだ私
「瀬戸内レモン」ってよく聞くし、その名が冠されている商品も買うけれども、実際産地に来ると「ここで作られているのか」と実感が湧いていいなあ。
海辺に出ました
何だこれは?!
通称「瀬戸田モスラ」というオブジェで、岡本敦生による彫刻作品らしいです(正式なタイトルは「地殻」)。生口島は「島ごと美術館」と謳い各所にこうしたアート作品があるらしいです。今回は雨の中走るので精一杯で見逃したものも多かったので、次回もっと気をつけて見てみたいなア。
そして、次の橋!! ここで完全に雨がやみました!
「雨がやんだ~~!!」という喜びの写真なのでありますが、この数分後には、ヘルメットをかぶっているせいで熱のこもった頭部が火照りだし、「雨がほしい!!」と思ってしまったのでした。人間とはなんと勝手なものでしょう。しかし、思いのほか起伏の激しいしまなみ海道、暑くなり始めた六月末、晴天だったらば体力を奪われ逆に走り切れなかったかもしれません。雨でよかったのかも……。
■ 因島~因島大橋
因島に上陸ッッ! はっさくが有名な島です。この島は起伏が激しく山中を走るので、平坦だった生口島の後ではしんどかった……! そして上陸時点で16時半。19:00のリミットに間に合うやろか……という不安が出てきます。安全運転をキープしつつも急ぎ足(急ぎ車輪)に。とはいえ道中いろいろな光景との出遭いは愉しみました。
この旅唯一の基督看板+マルフク。
元気はつらつ、我が郷土
路傍にそっとお地蔵さんがあり……「重井村四国八十八ヶ所」とあります。
「根香寺」は香川県のお寺ですが、因島内に、四国八十八ヶ所に擬したスポットが作られていたのですね(「村四国」って名称が面白い)。「摂津国八十八ヶ所」とか、そういうものは各地にあったんですかね。
因島は本因坊の里でもあり、除虫菊が名産であったことも初めて知りました。日本全国、知らんことばっかりや~~。
そして! しんどい登りで出遭った可愛い犬さん!! 頼んでお写真を撮らせてもらいました。
「これから尾道まで?」と訊かれ、ハイと答えました(犬でなく飼い主さんに・念の為)。ここを散歩していると日々、好きこのんでしんどいことをしているサイクリストたちと会わはるのやろなア……と思いました。そして、この坂を上り切ると今度は気持ちのよい農道が拓けていて、「人生山あり谷ありやなあ……」という超超月並みな文句をこの二日間で十回くらい口にしました。
因島ではどこにも寄らず、最短コース10kmほどを時速10kmで走り、因島大橋へ!
因島大橋は、車道の下を走るのでこんな感じです。
雨が降ってるときにコレならよかったんやが……。これはこれで面白いですが、ちょっと閉塞感ありますね。また、ここは原付道と自転車道が分離されていないので、後ろからやってくる原付に要注意でありました。
左側は歩行者道です。全長1270mの長い橋ですが、歩いている人もちらほら見かけました。
■ 向島
橋を抜けたーーー!!外に出てきた! 時間は17時半。
いよいよ最後の島、向島でございます。絶景ポイント(曇天)で写真を撮ります。
海に光が差してる~~~!!
綺麗!
「これだよこれ!」。やっと「ガイドブックとかで見るしまなみ海道」っぽさの片鱗を見ることができました。「本来みんなはこういう景色を見にくるんやな……」としみじみするペグレス(仮)。そう、雨に打たれて修行しにくるところじゃねえんだよ! しかし、昔は、旅先に来て雨だとガッカリしていたものですが、最近は、それもまたそのときその場所でしか体験することができぬリアルなのであるなあ、と思うようになりました。ガイドブックや映え写真では見ることができないそれぞれの土地の刻々の姿を見ることこそが旅ではないですか。まあ雨で滑って怪我したり風邪ひいたりしなかったんで言えることですが……。
かっこええ岩
かっこええ橋
ふたつならんだ仲良し岩。海はおだやか。
よう走った……ここまでほんまによう走った………。「商魂こめて」を歌ったり、ときには「商魂こめて」を歌ったり、主に「商魂こめて」を歌ったりしながら……。あと本日は、走り始めから両者ともにうっすら片膝を傷めていたのですが、ここまで来るとかなり痛い!! でも尾道までもうちょっと!
浮きに水鳥が停まっていました。
■ 尾道へ
海岸を走り続けると、やがて市街地に出ました。民家や商店が並ぶ中をサイクリングロードは続いてゆきます。ところが、おかしい……。そろそろ次の橋が見えてくるはずなのに、橋の登り口的なものはいつまで経っても現れません。最初からずっと「尾道まで○km」という標識が立ち続けていましたがそれもなくなり、「尾道へ」という手書きのような表示がぽつぽつと貼られているのみ。あれ~~?? と思ったらば、向島-尾道間は橋ではなくフェリーで渡るんですねえ。
この時点で18時過ぎ。うわあああ~~~!! と焦りましたが、フェリーは15分に1回出ているそうで安心。フェリー乗り場には、通勤や通学らしき人々が集っていて、そこに自転車を押して並びます。海なし市に育った者にはフェリーというだけで非日常なのですが、このへんの人々には普通に日常の足なんですね。
鳥も見ています。
地元の人たちの中でしばし待つとフェリーがやってきました。
渡しのおじさんが「疲れただろ?」と労ってくれてほっこり。普段はもっとサイクリストがいるのかもですが、この便はわれわれだけでした。
運ばれるチャリ
向島から尾道へは、たった5分ほど。フェリーが動き始めてすぐに、尾道の美しい街並みが対岸に見えてきます。
時間は18時半。ぼんやり雲の中から差した夕刻の陽が、海を照らしております。因島で雨が上がったときに、「これで最後尾道に渡る橋の上で夕陽が見えたりしたら最高やな!」と言うてたのですが、ちょっと違うけどだいたいその通りになった~~!! 長旅の終わりに相応しい光景でありました。
尾道着! 宿のみなさん、フェリーの人、すれ違った人、犬、そしてママチャリ、あとなんかいろいろ有難う~~!!
尾道の港!きれい!
尾道のホテルから見える海! めちゃいい!
尾道ラーメン!背脂うまい!
辿り着いた尾道ではちょうど七夕まつり、浴衣姿の子どもたちが犇めいて夢幻のような光景。無事、19時前ギリギリに自転車も返却することができました。レンタサイクル屋の人によると、雨の日は貸出数が通常の20分の1程度とのことでした。ここで完走記念写真も撮ってもらいました。
今回の走行は、ストラバで記録しておりました。
1日目:
2日目:
2日目は、表示されている通り、これまでの最長距離だったようです(ちなみに2位は京都市-大阪市)。しかし、この記録を見て「よう走ったな!」と労ってくれた父が、翌日54kmを走っていました。対抗してきたに違いありません。また、尾道到着時には完全に膝を傷め、「明日は一日ゆっくり街歩きでもしよう……」と決めたのでしたが、翌日にはなぜか傷んだ膝で尾道の石段を登りまくり2万5千歩歩くという新たな修行をしてしまったのでした。なぜ人は修行してしまうのか??