さて塔のへつりから会津若松市街地に帰ってきたわれわれ、七日町駅に下車しました。
七日町駅はとても可愛い駅舎(写真撮るの忘れました)。観光地ですが無人駅なので、乗ってきた電車の運転手さんが精算してくれました。会津鉄道の切符は回収せず、「記念に持っておかれますか」と言うてくれて、この方も大変親切でありました。去っていくとき手もふってくれました。
七日町付近は一日目に来て古本屋以外のお店がほぼ閉まっているという憂き目にあったのでしたが、この日はまだ16時前でもあり、お店が開いていてわわーい! 母「街が生きてる! 安心したわ!」。初日はよほど不安になったようです。
七日町駅に「駅カフェ」というカフェ兼お土産屋さんがあり、ここで従妹たちに会津木綿のブローチを買うなどしました。ついでに色違いで自分用も買いました。
黒いジャケットにつけた。(毛玉が目立つが…)
前回は東から西へと駅に向かって歩きましたが、今回は逆方向に七日町通りを散歩。
ビリケンさん+こぼしさん。
桐の花。母は植物に詳しい。
めちゃ趣きあるスポーツ用品店。「野球工房」と書かれていました。
大正時代に建てられた「塚原呉服店」がそのままスポーツ用品店になったそうです。
こちらは通りを隔てて向かいにある「第二塚原呉服店」。建物には Department Store の文字。
白木屋漆器店。こちらは江戸から続く老舗であり、戊辰戦争後の会津を支えてきたお店でもあるとのこと。
おれたちの京都でも新しいホテルがボコボコ建つ中で古いものはいつしかなくなってゆくので、こうした、古い建物が大事にされてるんを見るとぐっときますなあ。あと単純に、この頃の洋風建築とか看板とかカッコエエです。
「野口英世青春通り」(すげえネーミングや)にあるカフェ、會津壱番館も開いてました! ここも初日はなぜか閉まってたので嬉しい~!!
元・会陽医院を改築したという建物で、1階がカフェ、2階が記念館になっております。野口英世が青年時代に傷の手術を受け、それに感動して医学を志し書生となり住み込んで勉強したというところです。
われわれは通りの見える窓際に座りました。奥の鏡台に置かれているのは赤い薔薇やろか……と思ったら赤べこでした。
ランプが素敵。どれもちょっとずつデザインが違う~~。
珈琲だけ……と思うて入ったのですが、母が「ケーキも食べよかな~」と言い出したんでびっくりしました。大内宿で餅、塔のへつりでソフトクリーム、電車の中でタルト、とさんざん甘いもん食うたのに!? あちこち移動して疲れたんでしょか。この後夕飯も食べるやろしええわ……と思うたのですが、人が食べると言い出すと自分も欲しくなって母に付き合うことに。レアチョコケーキを頼みました。
めっちゃエエ感じのケーキセットが来ました。抹茶アイスもついてきた!
カップも壱番館オリジナルでおしゃれです。英世ともう一人、これは誰? 英世の母? いやそれにしては彫が深すぎる。師? こんな髪型じゃなくね? と言い合い、おそらく妻であろうという結論に。珈琲もケーキもアイスも美味しかったです。
ケーキセットをいただいた後は、二階の記念館を見せてもらいました。靴脱いで細い階段を上がったところのひと部屋だけの記念館ですが、この二階で英世は勉強したのだそうです。「英世は一日3時間しか寝なかった」「初恋の人に手紙書きまくってた」「浪曲が好きで、有名になってからお忍びで浪曲を聴きに入った寄席で英世だということがバレて大変なことになった」などのエピソードを知りました。
関心を惹かれたのは、会陽医院の医師・渡部鼎が「束髪運動」にも力を入れていたというエピソードです。渡部はアメリカに留学経験があり、西洋夫人のコルセット、中国夫人の纏足とともに日本女性の日本髪を「世界夫人の三奇形」とし、女性の地位向上を阻むものとして「夫人束髪会」を結成したのだとか。
『束髪案内』は国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848952
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夕飯までは、七日町通りの裏の通りや南北に逸れた通りをうろうろ散歩しました。観光地感はありませんが、私はこういう「別になんでもない通り」をうろうろするんが一番楽しいのであります……。
超イイ感じのホテル(ホテルなんかな?)。泉鏡花的世界が展開されてそうな。
知らん政治家のポスターとか見ると「遠くへ来たのう」って旅情を感じませんか? 似顔絵がこぼしになってる人がいました。どういう人かは知りませんが……。(検索したら自民党の人のようですわ)
とにかく「ならぬことはならぬ」が街中にある。ちょっとどうなんすかね。
通ったときは閉まっていて中は窺えず、会津先人記念館。ネットで検索してもなぜかぜんぜん情報がでてきません。
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そして夕飯は、七日町駅近くの渋川問屋さんでいただくこととしました。初日は前まで行きながら目の前で看板がしまわれてしまったので、来れてよかったです。
明治期に作られたという大商店で、今は宿泊にも使われています。宿泊できる別館は当時の蔵を利用したもの。二階には、二・二六事件に関わった渋川善助の部屋もあり、三島由紀夫により「憂国の間」と名付けられています。……というすごい由緒ある建物やのに、「大正浪漫」というキャッチフレーズのポスターに炭次郎の着物の柄を使うてたりして、鬼滅の力を確認しました。
こんな座敷に通されました。この時間はもうあまり客はいないのか、われわれがこのお部屋を独り占めでドキドキ…
こんな立派なお屋敷で由緒あるところであったら、「へえ、一見さんどすか」みたいな気取った接客やろかと思いきや、お店の人は気さくでした。怖くなかった!
トイレのドアの把手も立派。
頼んだのは郷土料理の一番お安いコースでしたが超満足でした。御品書きの紙もついててリッチな気分に。
まずは、松前漬、にしん山椒、にしん昆布巻。昨日のお昼(鶴井筒)で食べたのと似たメニューですね。にしんは京都でも食べるので、やはり海のない街はそうだよね~~と仲間意識を感じます。すべて繊細な味付けという感じでした。
棒鱈もまた出てきました。実は棒鱈って京都の名物だとずっと思ってたんですが違ったんですね。汁物は「こつゆ」。会津のめでたい席には欠かせないというもの。麩好きなので小粒の麩が嬉しい。
母はこんにゃく嫌いなので、こんにゃくを私の器に移している図です。
にしんは天婦羅にしたのも出てきました。初めて食べたけれどこれは美味しい。全体的に、お魚中心でお野菜もとれて健康的なお食事でありました。
つまようじ袋もかわいい。
このねずみさん、母方祖父が集めていた干支つまようじ入れと同じだったので、祖父のガラクタ集めの話になりました。母と出かけると、最近はいつも、母方親族のもういない人の話になります。祖父の集めた十二支のうち、兎と犬は我が家で現役です。
舟箪笥の上にはまねき猫とこぼしちゃん。
渋川問屋、入口付近には最近オープンしたらしいカフェスペースもありました。今度行ってみたいなア。
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日の暮れつつある中をホテルへ。「旅先の黄昏時」ってなんか不安になる時間帯ですが、東に山が見えていると、故郷の街を歩いているような錯覚を起こしてしまいます。
この時間になるとバスはもうないので、歩いてホテルへ。今回、fitfitのスニーカー底風のストラップシューズを履いておりまして、これは古着屋でなぜか、新品なのに500円で売られていたものだったのですが、めちゃめちゃ歩きやすい。「これ買うてよかったわ~! 500円やし、サイズもぴったりやし! こんだけ歩いても疲れへん!」と自慢すると、母も「この靴もう何年も履いてるけど、歩きやすいわ~! これ履いてきて正解やったわ!」と自慢。この、両者の靴自慢の流れはこの旅の間10回くらい繰り返されました。
そしてこの日はコンビニで「酪王カフェオレアイスクリーム」を買いホテルで食べました。うまままま!
実は前日、なにげなく酪王カフェオレを買うて飲んだのでしたが、そのうまさに驚いてすっかりファンになってしまったのでした。
よくある甘いカフェオレやろと思って飲んだら、ほどよい甘さでしかもコクがある! そこらへんで売ってると思えぬハイレベルカフェオレ! 私は初めて飲みましたが、さーもんさん(仮)によるとこちらでは定番商品で、グッズも各種出ているほどの人気だとか。関西地方にも輸入されないかな~~!!