続きです。
熊を怖れて松平家墓所を後にしたわれわれは、「会津武家屋敷」へ向かいました。
ここはTHE観光スポット!という感じで、観光バスが何台か停められそうな駐車場があり、修学旅行生が数組いました。
幕末の家老・西郷頼母邸を復元したという家老屋敷はめちゃくちゃ広くて立派!(いわゆる「小並感」ですな…)
藩主や重役が通される間、家臣の間、家族の生活の間、使用人の間、といくつかの空間に分かれており、それぞれに部屋がたくさんあります。子供の頃、寺の子(京都では同級生にひとりは「寺の子」がおり広大な屋敷に住んでいる)の家を探索したときのことを思い出しました。
わたくしめを漬けることができるでかい醤油樽。
でかい虫
入口の案内板には、お屋敷復元の実現にかけた思いが熱く記されていました。これはこの日訪れた飯盛山でも鶴ヶ城(後述)でも思ったことですが、会津では、やはり一度奪われ破壊された体験のゆえか、資料や古いものを集めよう、後に残そう、とする情念を強く感じました。
ここにも、復元お屋敷だけではなく、資料館が二つもあります。
「ならぬことはならぬものです」に関する資料。昭和18年に柴五郎が書き残しているのが初出の資料らしいです。
資料館の中でもひときわ力を入れられていたのが、一族自刃の場面の再現模型でした。
屏風を逆さに立て、白装束に身を包み、次々自害してゆく頼母の妻と娘たち。妻は、まだ幼い娘を抱いてその息の根を止めたうえで、自らも自刃します。人形の前には彼女らの辞世の歌が展示されています。
この場面の前ではずっとナレーションのテープが流されており、その語りによると、右の男性は敵方・西軍の兵士。屋敷に斬り込みこの場面に遭遇した彼は、息絶えようとしながらも「そなたは敵か味方か?」と問う娘の姿に感銘を受け、「味方だ」と応えて介錯してやった、との由。
実際に起こった壮絶な悲劇、ではありますが、一方、白虎隊の物語と同様どこか耽美なものとしてのその再現・受容の仕方が窺えてなんともふしぎな気もちになります。ナレーションは情感たっぷりの語り物風でしたし、西軍兵士人形はなんかちょっとビジュアル系のイケメンですしね。
敗けた側が被る悲劇を思うとともに、誇り高い彼女らを悲劇に追いやったのは敵方だけでなく「生きて辱めを受けず」的な倫理でもあるわけで、かつそれは単なる150年前の昔話でなく、こないだの戦争においても再生産されたわけで、さらには未だにそんな倫理を唱えるやつもあるわけで、それを美しいとする感覚は一般的にも無いわけではなく(『快感フレーズ』の愛音ちゃんも「咲也以外の人に抱かれるよりは……」って自害しようとしましたからね……いや『快感フレーズ』が既に古いのか)、そしてそうした場合の倫理は単なる倫理というよりロマンティシズムとともに唱えられることもあるわけで……とまあいろいろ考えますね(雑なまとめ)。
この資料館の後に、お屋敷の中を見ると、さっき死んでた子たちが可愛らしい姿で元気に遊んでいてなんともいえん気分になりました……。
パンフレットのマップ、カジュアルなイラストで示される「自刃の場」。
観光気分で見たらええのか厳粛な気持ちになったらええのか分からん! それにしても朝から「自刃」という言葉を見過ぎて、自刃がゲシュタルト崩壊してきました。
他にも、赤べこ絵付け体験など体験型施設もあり。飲食店もありましたが、われわれの訪れた15時台にはもう閉まっていました。出口付近には広い土産物屋があり、母はなぜかここでゆべしを6箱買いました。重いやん! そんなんどこでも売ってるんやしホテルの近くでええやん! と思うたが、「せっかくやから名所で買うたほうが……」と謎のこだわり。よってこの日はこれ以降、ゆべしの重さに悩まされながらの観光となります
私は桃ジュースを買いました。この日は五月半ばであるのに気温が30℃近くあったので美味けれ!
***おまけ****
喫煙所シリーズです。会津武家屋敷の喫煙所、かっこええ。これは一服するのが気持ちよいことでしょう。
喫煙所の隣に咲いていたお花。きれい。
旅先でいろんなお花を見るのが好きなので、色とりどりの季節に来られてよかったです。「これが終わったら紫陽花やな」と母が言いました。