会津旅記(7)鶴ヶ城/会津の食いろいろ

さて、会津武家屋敷からまたも「あかべぇ」に乗り、鶴ヶ城へ向かいます。一日で主要な名所を巡る欲張りセットです。街なか周遊バスは、一周が約40分程度なので、上手く予定を組めば一日で市内一周が可能なのです(ただし終バスが早い)。

鶴ヶ城入口」で下車。「鶴ヶ城三の丸口」と「鶴ヶ城北口」もあるので、どこで降りたものか戸惑いましたが、運転手さんが親切に教えてくれました。運転手さん、他にも、ちょっと面倒な要望を言ってきたお客さんにも快く対応していてすごく親切。市バスが「死バス」と呼ばれる街から来たわれわれには夢のよう(死バスも最近良くなったと聞きますが……)。というか、道を訊いた人やホテルの人も含め、この旅行で出遭った男性は皆親切でした。「なんや男の人が優しい土地柄なんやろか?」と呟くと、「そやな、什の掟があるからや」とか適当なことを言う母。(実際の什の掟には、戸外で婦女と喋るなとか書かれてます。)

 

 

お城のお濠に着きました。周囲が緑で、それが水面に映り、とてもきれい。

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はるばる東北まで行くとなるとなかなか予定も立ちづらく、また前後にいろいろあったりしてどうしようかねえと言うていた旅行でしたが、「この季節にしてよかったなあ」と言い合いました。

お濠の写真を撮ってると、やたらファンキーな男性が「シャッター押しましょうか?」「きれいなところですからね!」と声かけてくれました。この「観光客同士で写真を撮り合う文化」はなかなかいいものだと思うので、自撮り棒の普及に負けないでほしいものです。

 

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天守閣の中は資料館になっています。入場は16:30まで。16:00頃に着いたのでぎりセーフでありました。

 

暑い日でしたが一歩中に入るとひんやりして気持ちよけれ。天然の涼しさだそうです。これを利用した当時の塩蔵が再現されていました。


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諸々の注意書きの貼り紙がなんかよい。


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天守閣内部は五層になっており、一層から四層までは、テーマ別に展示がされています。

・1階: 鶴ヶ城の歴史と会津の遺産

・2階:領主の変遷と国づくり

・3階:幕末の動乱と会津

・4階:会津ゆかりの先人たち

 

幕末以前の会津の歴史ってよく知らぬので(ていうか幕末のこともほとんど知らないが…)、2階は勉強になりました。刀や銃など武具の展示が印象的でした。なんといっても殺傷力の強いやつが出てくるとさらに殺傷力の強いやつが開発されるのが。解説には、「矛盾」の故事を引きつつ「このように、強い武器が開発されたらそれを防ぐためにより強い武器が開発されてしまう、それでは戦いが終わることがない」というような文章が書かれていて、武具の展示って下手すると かっこえ~ というて終わってしまいそうなので、こういうものの展示はかくあるべしやなと思いました。

刀剣は美しく、たしかにこれに魅せられる人がいるのは分かるなあと思いましたが、人を斬った後の刃毀れの跡や柱の刀傷の深さがきちんと分かるように展示されており、ちゃんと コワ~! となりました。ちなみに母の感想は「へー、長いもんやなあ」

 

3階の戊辰戦争についての展示が、やはり最も人気のようでした。

母が「今日、何回容保の顔見たやろ……」と言うてましたが、たしかに、行く先々で戊辰関連の資料を見ているので(ネパール博物館以外)、何度も見ている資料が増えてきました。(まあそういうところを選んで行っているわけですが。)

展示は分かりやすくてよかったです。戊辰戦争後に斗南藩に落ち延びていく(流されていく)人たちの哀しい絵は他のところでも見ましたが、武士階級のことだけでなく、戊辰戦争の後に庶民らがどうなったかということにも触れられていました。

砲撃を受けた後の鶴ヶ城の痛々しい写真も、他で何度か見たものですが、ここではそのキャプションに取り壊しの顛末も書かれていました。曰く、当初鶴ヶ城は陸軍のものとされることになったが、その修理費を地元民に負担させることとしたため、やがて地元の者も取り壊しを望むようになったとのこと。

 

この解説を読んだときは、金と誇りを天秤にかけさせられ誇りに思うものを取り壊すことを自ら望まざるをえない会津の人々の気持ちに思いを馳せたのでしたが、こないだ紹介した論文など読んでるうちに、実際どないやったんやろかな~と思い始めました。戊辰戦争はそもそも地域民衆の犠牲の上に行われたのであり、地元の庶民にとっては案外、城なんてどうでもええものやったんでしょうか。(上記論文で参照されているこの本がそのへんに触れてて面白そうです、読んでみたい。:明治維新史研究―明治維新の地域と民衆』吉川弘文館、1996

なんかそないなことが気になるのんは、最近、「古いものを残すこと」「伝統を伝えること」みたいなことについてよく考えるからですかね。卑近な例を挙げると、地方の商店街とかどんどん個人商店がなくなってイオンばっかできていくのを見ると「ああ、勿体ない」と嘆きたくもなるのですが、一方で自分ちの店のことを思い出すと、それって勝手な感傷やなあとも思ったり。実家はかつて古い商店を営んでおり、店がなくなるとき周囲の人は残念がってくれたんですが、家族はスッキリしたもんでした。店の古い看板を下ろした後、置くとこないので物干しの隅っこに置いてまして、普通に踏んだり雨風に晒したりしてまして、それは見る人が見れば痛々しい姿やったと思います。観光客に写真を撮られるような古くからのものでしたし、今思えば私もちょっともったいないなと思うんですが、しかし家族には抑圧の象徴のようなものでもあったんでした。家族経営の小さな商店って、家の中で立場の弱い者(具体的には嫁とか)には諸々つらい面もでかかったのです。

かといってそうした古い商店が滅んで、イオンばっかになったら救われるのかといえばそうとも思えんし。こういう抑圧・非抑圧関係って重層的で難しいすよね。そしてそうした重層性の中で、「抑圧から解放してあげる」というのが侵略を正当化するロジックとして使われることもあり――。

………大幅に話が逸れたので旅記に戻ります。

 

最上層は展望台になっており、強い風が吹き込んでいました。

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山に囲まれた会津の街が見渡せ、さっき登った飯盛山もよく見えます。南東の方向には、小田山も見えました。戊辰戦争の際、ここに設置された砲台から、鶴ヶ城は砲撃を受けました。

 

天守閣を出たところには、月見櫓、「荒城の月」碑などがあります。


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「荒城の月」って、「音楽の教科書に絶対載ってる暗い曲」くらいにしか思っていませんでしたが、今日何度か見たあの写真、砲撃を受けた後の鶴ヶ城の写真を思い出せば、ああそういう歌だったのかとよく解りました。

そしてふと、そういえば戦地にいるときに、戦友がある夜ハモニカで「荒城の月」を吹いていて、それを聴いていたら淋しくなってきたという話を母方祖父がしていたな……と思い出し、しみじみしました。しかし後でよく思い出したところ、ハモニカのエピソードはたしかに祖父から聴いた話でしたが、ハモニカで「荒城の月」を吹くというのは楳図かずお『半魚人』のラストでした。こうして記憶は捏造されていくのでしょう。祖父の戦友が吹いていた曲がなんだったのかは、分かりません。

 

 

お茶室の屋根。この時間はもう閉まっていました。

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そういえばお城の全景を撮っていなかったので撮りました。夕刻の空がきれい。

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お城の前には赤べこ灯籠がありました。とにかくどこに行っても赤べこがあります。

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城を後にし、市役所へ続く通りを歩きます。通りには、「泣血氈の誓い」の札がありました。


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会津敗北後の降伏式の図であり、これもこの日何度も見た絵です。この通りがその地なのでした。新政府側には板垣退助らがいます。

母「偉そうにしとるわぁ」

 

「板垣って結局死んだんやっけ? 死なへんのやっけ?」「死なへんのは自由だけやろ?」「ほな板垣は死んだんか?」などなど言い合いながら晩飯を探し歩くことしばし。(注:板垣退助は大正まで生きてました)

 

 

市役所

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観光地に来ると写真を撮ってしまうアレ
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アレ2
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基督看板2件目発見。
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市役所付近は中心地ではありますが、なかなか一見が入りやすそうな店は見当たらず、ネットで検索した結果「わっぱ飯」というのが名物ぽいのでそこへ行くことに。

こんなエエ感じの路地の奥にひっそりあるお店でした。


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一番安い「鮭わっぱ飯」を頼んだのですが、充分美味しい!! ごはんがもちもちしておる!

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更に名物らしき「揚げ饅頭」も。カロリーの権化のような食べ物やな……と思ったのですが、あんこと塩味と出汁の風味が調和して予想以上に美味しく、なんぼでも食べられそうでした。

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さらにホテル帰ってアイスを食べました。会津のべこの乳」、名称、ロゴ、全てが良い……。


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側面には会津磐梯山が描かれており、これもすごく良いです。

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このなんともレトロな女の子のマーク、たまらんな~ と思い、会津中央乳業株式会社のサイトを見てみたところ、思いもよらぬエピソードが。戦後、シベリアから引き揚げてきた社長の、亡き姉への思いが詰まったデザインであったことが分かりました。

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