小川雅章さん個展「Osaka Lonesome Road」を観たよ/南海電鉄汐見橋線に乗ったよ

ちょっと前のことになりますが、4月に、なんばのギャラリー・オソブランコさんにて催されていた、画家・小川雅章さんの個展「Osaka Lonesome Road」に行きました。

つい最近、ネットを通じて作品を知り「わああ~!」となっていたところへ個展が催されることを知りまして、知らないギャラリーとかってちょっと緊張しちゃうのですが、行って良かったです。

 

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小川さんの作品は、どれも、大阪の川沿いの工業地帯や港湾を描いたもので、いわゆる「レトロな」「懐かしい」と形容される光景が描かれています。実際に、少し前の大阪をモデルにされているそうです。「レトロな」「懐かしい」と申しましたが、私のような外から大阪に来た者は、リアルには知らない大阪であります。

 

作品はどれも、曇天だったりときに晴れていたりする空、雑草、石ころ、水面の淀みや輝き、木材、ドラム缶、重機、お舟の屋根の錆び、破れた窓、破れた窓の向こうの空の青……といった有機物と無機物が調和しながら細かに描き込まれていて、ずっと眺めて飽きません。一緒に行ったぺぐれす(仮)は「『夏のぬけがら』的やな!」という感想を述べており、ああ!と思いました(『夏のぬけがら』で歌われるのは多摩川流域の光景でありこれまた自分の知らない土地であるにもかかわらずわれわれの原光景なのです)。そして、どの作品にも、絵の中に一匹の犬がいるのです。犬は、すっくと立ったり、しなやかに歩いていたり、上目遣いに腰を低めていたり。かわいくのびをしている姿も。この犬は、実際に小川さんが飼っておられた四国犬ミックスのテツさんがモデルなのだそうです。

絵の中に籠められた少し前の大阪と、(実際にはそこにいたことはないかもしれないけれど)そのそれぞれの場所にいて生きている犬さんを観ていると、まめ子のことを思い出し、絵画は(芸術は)こういうことができるのだなあ、と思い、泣きそうになりました。

(テツさんは、鉄工所で半ば放し飼いされていた犬が生んだ子の一匹だったそうです。思えばまめ子も、地域の野良犬という今となってはレアな存在でした。知らない場所であるにもかかわらず作品に感じる「懐かしさ」は、未だ野良犬の存在した時代――それがよいか悪いかは別にして――の懐かしさなのでしょう。)

 

 

画集と、作品が装丁に使われている『大阪』(岸政彦・柴崎友香著)を買いました。

 

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画集はオソブランコさんの通販でも入手できるようです。

http://osoblanco.shop-pro.jp/?pid=167455942

どの絵も好きですが、千歳渡船の絵、木津川駅前の絵と線路の絵、海岸通、平林……などが特に好きになりました。

『大阪』も、読みたかった本なのでこの機会に買いました。まだ読み途中でありますが、この本にもやはり「少し前の大阪」のことがたくさん書かれています。大正区出身という柴崎さんの、ミニシアターやエレカシのライブの話は、自分より少し上の世代の青春という感じで、その空気をちょっぴり知っているものとしての懐かしさもありつつ、やはり大阪は都会であるなあと京都盆地との違いを思ったり。岸先生の「淀川の自由」「あそこらへん、あれやろ」(あー、この言い方、自分も何度聴いたことか!)では、われわれが古き良きものとして回想しがちな街の自由さや混沌が、差別やあるいは暴力と表裏である難しさが書かれていたり。いずれも、失われつつある古き良き街について書かれつつ、単に古き良きものを懐かしむ視線だけでは書かれていない文章たちです。

 

***

 

ところで、小川さんの絵を知ったのは、南海電鉄汐見橋線に初めて乗って、汐見橋線のことと木津川駅のことを調べていたときです。検索で、木津川駅の駅舎の前に犬がいる絵を見つけ、「わあ!」となったのでした。

 

(ブログのタイトルは京都ぬるぬるブログのままですが)私はここ数年京都大阪をうごうごする日々を送っておりまして、そんな中分かってきたのは、大阪という街のパブリックイメージからのズレです。

私のようなよそもんによる大阪のイメージは梅田だったり心斎橋だったり繁華街に限られていましたし、一般的にも大阪といえば、グリコの看板、吉本新喜劇、コテコテ、とそんな感じなのでないかと思われますが、実は様々な顔をもつ、歴史と文化の街なのであるなあ、というように印象が変わってきました。一方で、公的には、そうした歴史と文化の部分を削りコテコテの観光的大阪を前面に押したがっているようにも見えて、よそもんの癖にナンですが、勿体なく感じたりします。

そんな大阪のいろんな場所を知りたくて、最近はあちこち知らんところを歩いたりチャリで走ったりしておるのですが、鉄オタの友人が「木津川駅が良い、木津川駅が良い」とずっと言うていたことから、ちょっと前に汐見橋線に初・乗り鉄してみることにしたのでした。「都会の中のローカル線」と呼ばれているらしく、汐見橋駅から岸里玉出駅まで、6駅のみの盲腸線です。

 

 

汐見橋駅から乗りました。なんばから千日前通を西へ。阪神電車桜川駅の横にひっそり建っています。ねこちゃんの壁画が見えるこの角度からは、駅舎には見えませんよね。

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電車の本数が少ないからか、駅構内はのんびりした雰囲気でした。古そうな窓や温度計が残っていてステキです。この「トネ薬局」はもうないのかな? 調べてみると、住所の場所はバエるカフェになっていました。

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線路脇のちっちゃな庭みたいのがかわいいです。

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車内(冬やったんでダウン着てます)。2両だけのかわいい電車でした。

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木津川駅。コロンとしたクリーム色の駅舎。今は「レトロ」ですが、建ったときにはモダンやったんやないかな? 黄色いのはICカード用の何かで、これだけがぺかっとしてました。

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ここは「都会の秘境駅」と呼ばれているそうです。といっても市街地と平面上に接続しているので、山の中の本気の秘境駅とはやっぱ違うよ、とは思いましたが、たしかに周囲にひと気はなく、駅から木津川の間は中規模の工場が並ぶ工業地帯です(平日であればそれらの工場が稼働してにぎやかだったのかもしれません、週末だったためか静かでした)。乗降者数は大阪市内の駅で最少だそうで、そんな路線がちゃんと生き残っているのはええなと思いました(ぺぐれす調べによると、カジノだが万博だかの際に延線を狙って保存されているのでは?とのことでしたが…)。

かつては街の中心部と木津川の水運をつなぐ重要な貨物駅であったそうで、線路には今も貨物船の痕が残っています。(この線路も、小川さんの絵の中で描かれていました。)

 

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年季の入ったベンチ。イイ。

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ところでこうした、いわゆる、都市の中の「辺境」的な場所について調べていると、ネットでは、悪意のある記事に遭遇することがしばしばあります。工業地帯、貧困層の多い地域、差別されてきた(「してきた」というべきなのかもしれません)歴史をもつ地域、そうした地域を歩いてはそれらを奇異のものとして(それらしくいえば「他者」として)、2000年頃によく見たようなセンスの文体で、差別的な表現や意味のない伏せ字を遣い揶揄的に描写しているようなサイト。

そういった文章の書き手たちも、わざわざそうした場所を巡るからには、もともとは、土地土地への興味や、現代にあって画一化されない場所(そうしたロマンティックな見方が妥当かは措くとして)への憧れが根底にあるのであろうから、ふつうにマジメに土地の歴史を勉強するとかしたらええのに、と思ったりします。

一方で、当ブログもまた、各地で見つけた自分の好きなもの(ということは必然的に自分にとって「奇異なもの」ということになる……変なものが好きなものなので)を紹介するという形であるので、ともするとそうしたサイトに接近しちまいかねんな、と危惧することもあります。『VOW』全盛の時代ならそれでもよかったんでしょーが、今や「奇異なもの」(に見えるもの)もちょっと調べるとそうでないこと(少なくともある地域やある文化においてはゆえあるものであること)が分かったりしますしね。今回遭遇したサイトでも、工業地帯から見える水門のことを「なんだあの謎の建造物は」みたいに書いているのんがあり、「いや水門だよ、てか水門に水門って書いてあるやろwww」と思ったのでしたが、当ブログにもそういうのんは今見るとたくさんあるんかもしれません。