『熊・クマ・羆』

ここ数年、三毛別羆事件のことを考えたり(あねの影響)、金カムを読んだり(あねの影響)、クマ牧場に行ったりとなんかクマづいていたところ、父が若い頃に買ったというクマ本を貸してくれて、なかなか面白かったです。

 

●『熊・クマ・羆』林克巳 著、十勝毎日新聞社編、時事通信社、1971年刊

 

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カバー折り返しや序には、前防衛庁長官(当時)中曽根康弘による序文もあります。「福岡大学三年生のクマ遭難の如き悲惨な事件を再び繰り返さぬようにとの趣旨からヒグマによる被害の事例を集録した本書は時宜に適した好個の書として推奨する」とのことで、福岡大ワンゲル事件(1970年)の衝撃が新しい時期の本だったことが分かります。


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著者による序文は、「北海道といえば"クマとアイヌ"を即座に連想しがちだが」という言葉で始まっています。今の北海道の(本州での一般的な)イメージはたぶんまた違うものですよね(少なくとも私は、大学で文化人類学の授業をとるまでアイヌについてはほぼ知りませんでした)。この頃には、「クマとアイヌの北海道」像がまだ残っていたのだなあ、と思います。

そして序文によると、その北海道の開拓の歴史は人間対クマの闘争史といっても過言ではない、とのこと。ちなみにタイトルの「クマ・クマ・クマ」は、「トラ・トラ・トラ」が「人間対人間の闘争の導火線」となったのに対し「人間対野獣の闘争史」である、という、分かるような分からないような説明がなされています……。

 

第1章「ヒグマのすべて」はヒグマの基礎知識の章で、ふつーに勉強になります(現在の研究はまた進歩しているのでしょうが)。「オホーツク文化とクマ信仰」の項がよかったです。クマ祭りはアイヌだけでなく、北方のさまざまな民族の信仰であったということで、オロチョン、サンダ、キーリン、ヤクート、オロッコ、ギリヤーク…などの名が挙げられています。全然知らんことばかりやなあ。昔から北方の民族たちは、自然の恵みの中でクマによる恩恵も受けてきたのだということ。クマ=こわい という安直な図式でもないのだと分かります。

 

阿寒湖畔の「大助」の話(射殺のときの線香エピソードがつらい~)や、「登別クマ牧場(1958年開設)を作った人の話も印象的。後者は牧場主・加森勝雄氏の談話がまとめられています。加森氏によると「猛獣で人間に一番近い動作をするのはクマ」なんだとか。「ボスの権三」を知人のように語っています。

 

 

※私が登別で会った、野生失い気味のクマ。

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他にも、土産屋の店頭で子熊を飼わせることを昭和10年頃に普及させた人の話(「吾輩はクマである」と語る「シノダ式剥製法」の信田修治郎氏――ちなみに私の母も若い頃北海道旅行で土産屋のクマを撫でたらしい)や、「笹に差した鮭をかつぐ木彫りクマ」を始めて世に出した人の話など、それの起源はそうだったのか! というエピソードが色々。

 

第2章は、福岡大ワンゲル部事件の話が中心の章。当時におけるこの事件のインパクトの強さが分かります。当該のワンゲル部の機関紙追悼号に寄稿された、被害者の親族や友人の文章も収録されており貴重。(友人の文章はいかにも「この時代の男子学生の文章」という感じで感慨深いです。 今どうしておられるのでしょうか)

ワンゲル部事件以外にもさまざまな熊害の話が集められており、熊害事件マニア(?)には興味深い章でありましょう。三毛別の事件は勿論ですが、観光地で飼い熊に子供が噛み殺されるなどという事件もあったんですな。この事件(1969年)以来、「仔グマの飼育管理はやかましくなった」そうです。「クマ撃ち名人の娘が白昼クマに食われる」という話などは、戦後の話ですが民話のような趣もあり……。

 

第3章「クマ退治にかけた人生」は、道内各地の開拓民やアイヌの中の対クマ猛者列伝。それぞれ何頭仕留めた、とか、熊撃ち歴何年、とかの紹介に始まり、対クマ武勇伝が語られます。現代のセンスで見ると、ちょっと寒いギャグや時代を感じる表現もあったりするんですが、それも含めて語り物の趣きがあります。たとえばこんな感じ。

 

そばの、こん棒で立ち向かおうとしたところへクマがとび降りてきて太モモをガブリ。続けて頭部を。当時茅井さんの表現によると「ガリガリと二回かじられた」ので。ひん死の重傷だった。
気丈な茅井さんは気を失うこともなく「殺すなら殺せ」とクマをにらみ続けた。クマは人間の目がこわい。グルグル周囲をうろついたのち”気合負け”とでもいうのか間もなく立ち去った。

(p.144、「茅井米太郎氏のこと」より)


私の好きなのは「ユーカラの名人、老熊を撃つ」でしょうか。ユーカラの名人でもあったアイヌの老人の話が、山で遭遇したクマにユーカラを歌い聴かせたという話ですが、
「大グマは黙って座って、ユーカラに耳を傾けていた」そうです。そして翌朝……。

 

今朝まで自分のユーカラを聴いてくれた大グマが大木の上に登っており、やがてゆっくりと木からおりた。

そして、ムックと立ち上がった。ひと声ほえて、両手を広げた。飛びかかってくるのかと思うと、そうでもない。「さあ、撃ってもよいぞ」というような形だ。目も優しい。西村エカシは、五間ぐらい前に近づき、クマを狙ったが、別に動こうともしない。
カムイよ、われに恵みを与え給うか……アイヌ語で祈りの言葉を述べながら、やがて銃のひき金をひいた。ズドーンという音とともに大グマは巨木の倒れるようにドサッと倒れた。一発で死んだクマは、苦悶のあともない。(pp.159-160)

 

このクマはユーカラの美声に進んで身をささげたのだ、という話。北の森の中、エカシに向き合って耳を傾けるクマの姿は絵本の挿絵にでもありそうです。

 

第4章「クマと人間の記録」、5章「クマのよもやま話」は、熊害・クマ撃ち話に限らず各種クマエピソード集です。私が好きなのは、クマに尻を噛まれた中学の先生が「クマの食いカス」という(ひどい)あだ名をつけられた話ですかね。放屁でクマを遁走させた看守の話は、あまりに昔話めいてほんまかよ、て感じですがこれも好きですね。金カム鯉登のモデル?と思われる、第七師団「クマ部隊長」鯉登一行の談話もありました!