怒りのタイミング

モトモト怒りっぽいというか些細なことですぐカッとなる性質なのでありますが、きょうは久々に手が震えるほど怒りましたよ。そんな怒るんはまめ子が石を投げられて以来です。形は違うがどちらも立派な暴力だ。


ちうわけで怒りについて。
わたしはだいたいいつも怒っていて、そこらへんで知らん人のおしゃべりを聞いては腹を立て、テレビを見ては新聞を読んでは腹を立てているのであるが、いざじぶんが、誰かに対して怒りを表明しようとすると、瞬発力がないものでこれがなかなか難しく、いつも後から「思い出し怒り」をして、死ね!死ね!ていうかうちが死ね!とか独りミソるはめになるのです。

怒っているときというのは一方でそれが充実であることもあり(怒ると頭に血がのぼって身体的に充実するし、とりわけ自分が正義だと思って怒っているときには一種快感があるので)、「ん、もしやわたしは怒っている自分に酔っているだけではなかろうか」とか内省し始めてしまうとモウダメで、段々じぶんには怒る資格がないような気になり始め、「相手にもいろいろ事情があるだろうしなぁ……」とか相手の事情を慮り始めてしまい、そーしてるうちに完全に怒るタイミングを逸し、また後から独りで、死ね!死ね!うちが死ね! 嗚呼これじゃ、ただの「いつまでも過ぎたことぐちぐち言うてるやつ」だよ。


たとえば若い頃はよう痴漢に遭遇したもんで、痴漢というのはなぜだか人を強烈に不快な気分にさせるものなのでありますが、触られたその瞬間に怒ればよいものを、「いや、待てよ、この人も寂しいっぽいし、乳くらい触りたいよなぁ……」とかしょうもない仏心を出したり、或いは「逆ギレされたらどうしよう」とかびびってるうちに逃げられてしまい、後からまた例の如くです。
未だに数年前に遭った痴漢をその場で追っかけてぼこぼこにする妄想をしたりします。嗚呼あのとき一回しばいておけばこんなことにはならなかったというに。
しかし痴漢たちよ、君らはわたしをエロ妄想の対象にしたかもしれないが、君らはその後数年間にわたってわたしの撲殺妄想の対象になっているということを覚えておくんですな。


と、まあ、怒るタイミングは難しい、という話でして、例によってキレるタイミングを逸した今日も夜道を自転車で走りながらミソっていたのでありますが、ミソりながらふと「FM東京のうた」とかを思い出し、怒るべきときには怒るんだぜ、と怒りながら怒りをエンターテイメントにしてみせた彼はやはり偉大であったなア!と改めて感嘆したのでした。内省とか、相手の事情とか、それはそれとしてしかし怒るときは怒るんだ、というふうに怒れればいいんすけどね。
ところで怒りをエンターテイメントに、といえばこんなお祝い広告もありました。
上のお祝い写真とセットでどうぞ。