Theピーズが好きだという話

今年は、Theピーズが武道館でライブをやるらしく、あのフラカン武道館以上に「大丈夫なのか!?」とビックリしたり、「先行予約お一人様6枚まで」というガバガバな売り方に「売れるゼロやん!」とわろてしもたりなのですが、ピーズはおそらくわたくしが20代に最もよく聴いたバンドで、この機会にひっそりとピーズに関する思い出なんぞ書こうかと思います。そいえば最近ちょっとほんやり温い日があって、「クズんなってGO」が似合う季節になってきたしね。



ピーズ、最初に聴いたのは高校生の頃で、そのときのことはよう覚えてます。

ちなみに高校に入るとき、なぜか私は「高校では友達は作らない!!」というよう分からん決意をしてました。ふつうは「友達たくさん作るぞ!」と決意するもんやと思うけど、人間関係ってごたごたするし、面倒やし、弁当を一人でかっ喰らう暗いやつになろう、誰にも頼らず生きよう……などと思いながら入学式へ向かったので、けったいな子やったと思います。結局、なんやかんやでなんとなく一緒に行動するグループみたいのはできたんですが、そこで自分の好きなものの話、たとえば好きな音楽とか本とかについて話したことは一回もなかったのでした。なんでかそういうのは誰とも共有せず一人でひっそり楽しもう、というこれもまたよう分からん信条をもってたのでした。


脱線したけど、ピーズ初めて聴いたのはそんな感じの時代で(っていうか今もそんな変わってないのだが)、タワレコで 『マスカキザル』 を買ってみたのが最初でした。

当時、カステラ(注:バンド名)はよく聴いてて、カステラのトモがTOMOVSKYとして出したテープもよく聴いてて(注:トモフの話はコチラ)、その双子の兄・ハルがヴォーカルだというので、ピーズも良さそうだな、と気になってたのでしたが、ピーズはカステラに較べてなんだか、女子中高生には近寄りがたい感じがしたのでした。
なんというか、いかがわしい感じ。
アルバムのジャケットも、裸でラクダに乗ってたり安っぽい海賊版みたいだったり、なんだかアングラ感(そして貧乏感)がありました。
男子学生の汚い下宿の感じというか。そーいや、今はあんまなんも思わんくなったけど、昔はライブハウスも、そんな感じを感じる場所やったなーと思います。無駄にベタベタ貼られた変なステッカー、薄暗い隅っこに転がる酒瓶、煙と尿臭、なんかコワい。


そんな中でも 『マスカキザル』 は、タイトルもタイトルだし、最もいかがわしさを醸していたアルバムでした。
ジャケットは白黒コピーみたいだし、インディーズみたい。収録されてる曲の名前も、汚いライブハウスの便所の落書きみたいな感じである。
なんでこのアルバムにしたかといえば、他のアルバムが3000円だったのに対しこれだけ1800円だったからでした。当時は、気軽に試聴できるyoutubeみたいなものもなく、ちょっと気になる程度のものにいきなり3000円とか出せなかったのですよね。しかし、それを未だに聴き続けることになるとは。


私は演奏の細かいテクニックとかは分からんかったのですが、明確に、「このギター、好き!」と思ったのはピーズのアビさんのギターが初めてなのです。「マスカキザル」のギターソロを一聴して「これは!好き!」となったのでした。
同時に、明確に下手だ!と思ったドラムもこのアルバムが初めてです。ピーズはドラマーの入れ替わりが激しいんですが、後から知ったところによると、このアルバムでドラムを叩いてるウガンダは、この時点でほぼドラム初心者であり、「なんか気が合う」というだけの理由でバンドに加入させられた模様(その後脱退)。フニャフニャや!

そして、ハルの詞。
ハルの詞は、双子だけあってトモの詞と通じるものがあったんですが、でもちょっと違う。トモのがダメの肯定だとすると(ちょっと違うかな)、ピーズの詞は、心地よい否定みたいな。
アルバム一曲目の「いいコになんかなるなよ」は、一見いかにもバンドブームの時代ぽいタイトルだけれども、フニャフニャしたリズムのフニャフニャしたサビで

君はカスだよ かなりカスだよ
どうせカスだろ かなりカスだろ


と言い切られるときの、ウワーッ!これうちの歌やん! という感じ。
タイトル曲「マスカキザル」は特にウワーッ!となりました。



かなりケチ
ひととすりへりながら
生きのびるのは とてもたえられやしない
かけばいい
ひとりですむんだよ

好きな娘とは 一緒にいたいけど
さめたブスで遊べばいい つきあいなど疲れるだけ
いい女で出せればいい マスカキザル夢見るだけ
見るのはタダだぜ タダだぜ



こんなにみもふたもないラブソングって……!
この詞がぐっときたのは前述のように、あまり人と関わりたくなかった自分の気質にぴったりきたからということもありましょう。もちろん彼氏もいない高校生であった私は、「ああ、こういう、夢も希望もない人とだったら付き合えるなあ、こういう互いに諦めながらの薄汚れた恋愛ならできるかもしれないなあ」とか思ったもんでした(その後ダメな人生を歩むことになります)。
あと、ハルの超言文一致体みたいな日本語表記も衝撃的でした。「どっかにいこー」とか「オイラのせーで」とか、超言文一致体真似しようと思ったけどぜんぜんできんかった。(最近の詞は更に新しい日本語の域に踏み入ってますよね。)



しかし、身も蓋もない歌だがかっこいいのです。最後、「見るのはタダだぜ」の絶叫の後のちょっとブルースみたいなギターが入るところが好きで、泣いてるみたいで、買ってから何度も聴いたなあ。

そんな感じでその後もちょっとずつアルバムを聴き集めてたんですが、97年頃だったか、ピーズはいったん活動休止したのでした。ドラムは何度か変わりアビさんも脱退し、休止の理由を問うインタビューでハルが、「自分を切り売りして表現するのがいやになった、大草原の小さな家みたいな世界がほしくなった」みたいなことを言っていたのが印象的でした。
私は表現者でもなんでもないんやけど、この頃、文章書いたりお絵描きしたりを趣味としてやってて、趣味なんだけどそれ以上になってて、なんでか「それをやめなきゃ」「こんなことしてたらこっちの自分に侵食されて恋愛とか社会生活とかムリや!でもやめられん!」という強迫を感じていたので、僭越ではあるが、ハルの気持ちが解るような気がしたんでした。んで、「でもこういう人は、もし大草原の小さな家を手に入れたとしてもきっとそれには飽き足らず、また表現に向かうのでないかなあ」とも思ったのを覚えてます。


案の定、その何年か後、ピーズは復活したのでした。
たしか休止が私の浪人時代で、復活が大学院に入った年なので、5年間でしょうか。その間、ハルは調理師としてふつーにアルバイトしていたといいます。八条口のファミレスで、大学の友達のモリタくんに「ピーズ復活するん知ってる?」と言われ、「えー!」とめっちゃテンション上がったんでした。脱退したはずのアビさんも、(別の仕事をしつつも)カムバックでした。嬉しかったです。あと、なぜか急に周囲にピーズファンが増えてて、「ええっ、こんな人気バンドやったん? 高校で誰も知らんかったやん!」と思いました。


ピーズが休止している間、アルバムはだいたい全部聴いていて、私は単純なので、東京行ったとき赤羽行って歩いて荒川まで出て、日が暮れて川を見て橋の上を電車が通ってワーイワーイと喜んだりしてました。








初期の「バカロック」と言われていた頃も、だんだんダークになっていった頃も、復活後のちょっと風通しよくてロケンロールな曲も、どれも好きなんですが、やはり一番思い入れあるのは、90年代の『マスカキザル』『クズんなってGO』『とどめをハデにくれ』の3枚かな。
20代の欝々していた時期、音楽をほとんど聴かなかった時期も、とにかくピーズは聴いていました。これがなければ生き延びられなかったのでは、と思うほどピーズばかり聴いてました。
取り返しのつかない後悔と諦め、「ゴム焼き」は何度聴いたことか。ぬれないや、もうぬれないや。一時期は、ラブソングで共感できるものといえばピーズだけだ、と思っていて、わけても「好きなコはできた」の、「ここで夢のインポのまま 痛い目を見るまで恋だ」 という一節に何度ぶんぶん首を振ったことであろうか。アルバム『クズんなってGO』の、春の日向でどーでもよくなって溶けていきそうな感じ。「パンツなんかわくわく剥ぎ取られるためだけのもの」というどーしようもない歌詞がめっちゃかっこよくメロディにのる「ラブホ」。リビドーのくすぶり、行き場のなさ。今度また会えるのが、分からないいつなのか、もう会えないかもしれない、他人になるかも。カッコイイのにふにゃふにゃといびつ。やりっぱなしでサイナラだ、バイバイ、で、消えていくのをじっと見てる感じ。


ピーズの曲、そんなふうに、これがあればいーや、みたいな感じで聴いてた個人的な記憶と結びついて、ジメジメした部屋の壁の黴みたいな自分の部屋の一部みたいなそんな感じがしてるんですが、ライブで聴くとなんだか、パヤヤーン!とひたすら愉しいだけの音楽になってしまって、それが不思議であります。武道館、でかいステージでどの曲やるのかな、とか、どんな感じやるのかな、とかあれこれ脳内ライブを開催しようとしてみても、上手く想像できず、しかし大草原の小さな家の頃を思うと、なんだか可笑しくて。