お正月に本を読んだよの巻: 『狂うひと』『不機嫌な姫とブルックナー団』


既に2月も過ぎて、今頃年始に読んだ本を書くのかよ、という感じではありますが、ブログに記録しないのももったいない良い本を読んだので、記録しておきます。
今年は、例年通りぱっとしない日々ではあるものの、正月からずっと、良い本や良い創作物にまみれることができ、まみれ生活上では大変幸福を感じております。
年明けのお供としましたのは、ずっと、読まんと、と思うておった、島尾ミホの小説と高原英理さんの小説でした。関連のない2冊ではありますが、今年最初に感銘を受けた本ということで一緒に紹介します。


梯久美子『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)

島尾ミホの評伝、なのですが、タイトルから想像する以上の内容でした。タイトルからは、従来通りの狂女・ミホ像を描いたものかと思ったのですが、それにとどまるものではありませんでした。小説『死の棘』を読んだことのある方は、是非こちらも、と思います。一見分厚い研究書なので、読み切れるかなと怯みましたが、謎解きのような要素もあり、ミステリーを読むかのように一気に読んでしまいました。

島尾敏雄の『死の棘』を初めて読んだのは高校生の頃です。ちょっと脱線してその思い出を書きますと、高3の頃の国語の先生が、夏休み前に「読まずに死ねるか!推薦図書100冊」みたいなアツい冊子を配ってくれたのです(注:こんなタイトルじゃなかったと思うけどこんな感じのテンションだった)。それまで国語の授業は嫌いでしたが、この先生は「国語」というより「文学」を教えてくれるという感じの先生で、慕っていたのです。冊子は、先生が奥さんと共同で作成されたというものでした。推薦本の書名に簡単な紹介がついていたのですが、その中に、

「読むな(夫) 読め(妻)」

とだけ書かれた本があり、それが 『死の棘』 でした。
そのせいで私は、何が悲しうてか、高校生活最後の夏休みを『死の棘』片手に過ごすことになったのでした。

『死の棘』は、簡単に説明すると、「夫の浮気を知った妻・ミホが狂乱してゆくさまを描いた私小説」なのでありますが、その、物語らしい筋立てもなくいつ果てるか分からぬ小説に、出口のない道なき道をゆくような思いで読んだ記憶があります。
さらに高校生時から20年経って昨年、再び通読したのでありますが、高校生時の「凄いけど冗長な小説」という印象が一変して再び(自分内で)『死の棘』ブームが起こり、文体等も含めてやはりこれはすげえ!と思い、また前回読んだときは気になりませんでしたが今読むとミホの診断への疑問なども生じ、そんなときにこの、ミホの評伝が出たと知って、読まねば!となったのでした。(前置きここまで……私の文章はいつも前置きが長すぎるな。)


本書の特徴は、なんといっても膨大な一次資料を基にした記述です。敏雄はほとんど強迫的な記録癖があったらしく、遺された記録の膨大さに圧倒されます。まず頁を開いて、一章の口絵になっている現物の血判書!で思わず「うわああっ」と声が出てしまったのではありますが、本書は、単なるミホの狂気の記録ではありません。

一章では、戦時下の加計呂麻島で出会った二人のやりとりを丹念に追いながら、これまで解説者や批評家によって確立されてきた「まれびと(=島尾隊長)と南島の巫女(=ミホ)」の恋という見方が批判されます。古事記万葉集がふんだんに引用される二人のやりとりは、ミホが古代的巫女などでなく近代的教育を受けた教養ある女性であったからこそのものであったし、また、島尾は、加計呂麻島にとってただ神聖なだけの「まれびと」でなく、国家権力のもと島民の命を左右する使命を負った闖入者でありました。
それにしても、二人の恋愛が最初から「死」の影と、そしてその中で「書くこと」に支配されていた(というかそれそのものが二人の恋愛であった)さまを、資料を通じて浮かび上がらせる筆力が圧倒的で、ロマンティシズムの舞台裏が暴かれてゆくにも関わらず読み手は二人の激しい恋のテンションに巻き込まれてゆきます。
性質は違いますが、書くことと恋愛、といえばカフカの恋人宛書簡を思い出したりもしました。


しかしその神話のように激しい戦時下の恋から一転、戦後、現実の結婚生活が始まると、ミホはかつて「隊長さま」として想い慕った夫に冷遇され、その女性関係や婚家での立場に苦しめられることになります。こうした苦渋はきっと日本の多くの女が共有してきたものでもあり、私は自分の祖母や母のことを思い、苦しい気持ちで読みました。
ミホの場合それだけでなく、夫の実家では奄美出身ゆえの差別を受けることになります。南島出身者への差別の記述に関しては、昨年の大阪府警の愚言と府知事の擁護(なんかうやむやにしやがりましたね)を思い、本土(関西)の人間の差別意識の根強さはまだ終わってないのやなと考えたりもしました。


更にそれだけでなく、ミホは、作家・敏雄の小説の中に、愚かさや醜さをもった女として「書かれる」ことにも耐えねばなりませんでした。この、「書く男−書かれる女」という関係が逆転するのは『死の棘』以降で、これ以降の島尾作品はミホの意向によって大いに制約を受けているといいます。筆者は、これ以降の二人の関係を、「書く」ことにおける主導権争いとして読み解いていきます。
島尾死後に発表された『「死の棘」日記』も、実はかなりミホの手が入っているそうで、筆者は日記原本と異同箇所を照らし合わせていくのですが、実際の日記には無かった文章をミホが挿入している部分さえあるのです。
驚いたのは、『死の棘』もミホが清書していたということ。福満しげゆきの妻が福満しげゆきのアシスタントをしながら怒り狂い始める場面を思い出してしまったよ!(そういえば福満しげゆきの妻が喋る九州弁の効果は、『死の棘』における奄美の言葉の効果と似ていませんか?)


『死の棘』の発端となるのは、ミホが敏雄のノートに見てしまったという「十七文字」です。これを見てしまったことが、ミホの「発狂」の始まりとなります。
この「十七文字」については、敏雄がわざとそれをミホに見えるようにノートを広げておいたという説が唱えられており、なんぼなんでもそれはないやろ!と思うたのでありますが、諸々の取材や状況証拠からは、それがけっして突飛な説ではないことが分かります。
そこから始まる狂乱の日々(つまり『死の棘』に書かれた日々)を敏雄は何度も、自らが受けるべき「審き」という語で表しているのですが、筆者が、ミホからの審判を待つ思いと、戦時の加計呂麻島からの審判を希求する思いを二重重ねにして読み解いてみせるくだりは圧巻でした。ミホ―敏雄の関係には、戦前から戦中の奄美−大和の非対称な関係が終始重ねられています。
また、独り敏雄の側の罪悪感だけでなく、大和の男と一緒になるために父を裏切るような形で奄美の誇り高い家系を捨てたミホの罪悪感が、父を捨てて選んだ島尾との愛を聖化することへの執着に向かったのでないか、ともしており、まったく違うタイプの女性ではありましょうが、森茉莉の「刺」という随筆を思い出しました。茉莉もまた父に溺愛されて育ったお嬢さんでしたが、父を誤解したまま結婚し、それが誤解だと知ったことを伝えられぬまま父と死別した「刺」が、父への負い目でもあり甘美な絆でもあり続けているのだと書いていましたっけ。(茉莉は、ミホのように夫との愛へ向かうのでなく、その後独りになってものを書くほうに向かうわけですが――あ、偶然に「刺」という語が「死の棘」と共通していますね。)


ところでその「発狂」のきっかけとなった「十七文字」ですが、――ミホの言によると「そこに書かれていた一行が目に飛び込んできて、その瞬間、私は気がおかしくなりました。それはたった十七文字の言葉でした。いまも一字たりとも忘れていません」(p.12)と語られる――ここまで壮絶な記述に出遭っては、その十七文字の内容を具体的に知りたいと思うのが人情でありましょう。
しかしなんと、膨大な一次資料の中でこの核心だけが最後まで明かされないのです。
すべての発端となるこの核心だけが決定的に欠けており、それは筆者が意図的に隠しているわけでなく、実際その十七文字が書かれたノートだけが破棄されてしまってもう無いのだそうです。ミホも「十七文字」と言い/書きこそすれ、その具体は生涯明かさなかったといいます。
驚くほど饒舌な記録の中、まるでフロイトの「(外傷の源であるところの)子供時代はそのものとしてはもうない」のだという言葉を地で行くかのように、中心に欠如を抱えたままの形で二人の物語は語られてゆくのです。


もうひとつ欠如といえば、『死の棘』には愛人「あいつ」の実像が欠如しているということは既にしばしば指摘されてきたそうです。
たしかにあの小説を読んでなんといっても気になるのは、あの愛人はその後どうしたのか?という点でありましょう。
そりゃあミホは気が狂うほど傷ついたが、それでも法で守られた妻の立場であり、その後二人の愛は至高の夫婦愛として語られるようになりました。しかし、わけもわからず敏雄に別れを告げられたあの女性は?かつて恋人だった男とその妻に、ほとんど凌辱といってよいような仕打ちを受けて帰され、しかもそのことをかつての恋人に小説に書かれてその後は?
――実は、驚いたことに、あの強烈な「対決」のシーンを、私はこの本を読むまですっかり忘れていたのであります。読んでうわあああっ と思ったものの、でも愛人はなんか敏雄を手玉に取った悪い女らしいし(事実かミホの妄想か分からないような形で書かれてはいるが)、と思わせられて、すっかり忘れていたのでした。これは完全にわたくしめの抑圧(!)でありましょう。
その愛人に関する取材も、本書の素晴らしい業績のひとつだと思います。「川瀬さん(仮名)はあの小説の犠牲者だと私は思っています」「あんな書かれ方をしてどんなに傷ついたか。夫婦してアイツアイツと言うだけで、彼女がどんな人だったのかは一行も書かれていない。あんまりな扱いです」(p.276)という知人の言葉に始まり、しかしその「あいつ」が、その後ミホの書くものの中にひそんで息づいている様子を筆者は発掘していこうとします。
そう、ミホは、自分でも作品を書いており、同じエピソードを敏雄に先んじて書いていたりもするのです。後半では、そのミホの作品が紹介されており、初期作品はどれも面白そうです。実はミホの小説はずっと読みたいと思いつつも未読であるので、今年こそはミホの小説と、そして(ミホの手が入っているという)『「死の棘」日記』を読みたいと思います。












高原英理『不機嫌な姫とブルックナー団』(講談社

タイトルのブルックナーとは作曲家のブルックナーで、私はクラシック音楽の知識がまるで無いもので、分かるかな……?と思いつつ読み始めたんでありますが、ブルックナーを知らなくても面白かった! クラシック好きやブルックナーファンなら更に違う愉しみ方ができるのかもですが。

タイトルから、冒険小説?と思っていたらそうでなくて、ブルックナー団とはブルックナーが大好きでかつその不器用さにシンパシーを抱くブルオタ男たちの集団。その中にひとり混じってしまった主人公が姫。で、ああ「オタサーの姫問題」小説なのだな、と――私もしばしば男女比のいびつなコミュニティの中で女である自分vs非モテ男子の関係にストレスや葛藤や困難や解り合えなさを感じてきて、(たとえば「○○は非モテ男のものだ、女になんか解るか」的な言説であるとかその中にいる自分の自意識とか、)この作品にも最初はそんなテーマがちらりと見えたので――と思ったら、それもちょっと違ったのでした。

たしかに当初、互いを「オタ」視/「姫」視していたりもした彼ら彼女らは、しかしその後、互いに男/女であることはそんなに関係なく(ちょっとは関係あるかな)、それぞれのイケてないところを観察しつつ良いところを認めつつ、という、或る種、ヲタ男と姫、両者のニュートラルで理想的な関係が書かれているかのようで、それがすごく、いいなあ、と思ったのでした。


ブルックナーの伝記(って全然知らなかったんですが、とにかく「嫁帖」が衝撃的……)を軸に、いろんなテーマが鏤められ現れるので、読者によってびびっとくる箇所も多様でありましょう。
私は、アート界やアカデミズム(そして図書館説教じいさん、いるいる!)における「ハンスリック団」批判のくだりでガッと気持ちを掴まれました。
ブルックナーと敵対した批評家の名を冠した「ハンスリック団」とは、主人公曰く「自分は主流側、お前ら『無駄・無価値』って一方的に軽蔑する奴ら」(p.102)です。この作品に登場するブルオタたちは、みんな非力で不格好ででも(それゆえに)そうした価値観になんとか抵抗しようとする側に立っている……のですが、しかし読み進むと、ブルックナー団vsハンスリック(団)という構図もまた揺らいでゆくのであったり。


その中でもうひとつ印象的だったくだりは、主人公が批評家と表現者を比較する言葉です。この小説は、小説を書くことの小説にもなっているのですが、同時に、主人公は批評家に同情を寄せつつこう言うのです。「だけど、歴史は、筋のとおった批評家より、人間性は低いが才能ある表現者の方を重視するし、名前と作品が残るのは結局彼らなのだ」(127頁)。作者は、作家であると同時に評論の著作もある方なので、そんなことが反映されてるんだろうか、と思ったりしました。
ちなみにこれを読んだ翌週に、OASISの記録映画『Supersonic』を観に行ったんですが、ギャラガ―兄弟がもうほんまにクズで、クズで、しかし音楽はとんでもなく美しくて、この一節を思い出しましたよ。



ところで去年は、個人的には、自分がとにかく何をやってもダメだということがよう分かった年であって、まさに「史上最悪なるコンサート」でのブルックナー「センセエ」の姿に自分を重ねて「あわあわわわ、ぎゃあああ、うわうわうわや」と叫んでしまうほど(読みながら本当に叫んだ)ダメだったのですが、今年の年始はなんだか、ダメなのはもう分かったからダメを受け容れて地道にやっていこう、という気持ちになっていたところであり、その気持ちにちょうどぴったりの小説でした。
今年もふた月が過ぎ、その初心も既に忘れつつあるので、ここに記録しておくこととします。
なお、高原氏の本は、これと同じ時期に出た『うさと私』(書肆侃侃房)も、とても美しく可愛らしい本でした(正確には96年に刊行されたものの増補だそうです)。ヴァレンタインやホワイトデーにちょうどプレゼントしたい感じの本でした。ヴァレンタイン過ぎちゃったけど。