『黄昏めもりい』と私のプレサンチマン
子供の頃、カセットテープで聴いていた、丸山圭子『黄昏めもりい』をCDで買い直してみました。
「めもりい」、この表記がいかにも当時のオサレですね。1976年のアルバムです。
丸山圭子、どんな方かはよく知らぬのですが、調べてみると今も活躍されているのですね! 当時は、第2のユーミン的なポジションで話題になっていたようです。
このアルバムは、私が「最初に意識的に音楽を聴くということをした」アルバムなので思い出深いです。
小学5年生くらいだったでしょうか、風邪か何かで学校を休んで暇だったときに、「そういえば大人は音楽を聴くということをするよなあ」と思い、親がたまに聴いていたカセットテープを、ラジカセに入れて聴いてみたのでした。
手持無沙汰なときや、何か淋しいとき、気怠いときに、「音楽を聴く」ということがあるのに気付いて、大人になった気がしました。
そうでした、「わけもなく淋しい」とか「気怠い」とかいう感覚を知ったのが、ちょうど同じときだったのでした。
この人の曲は、長調なのにせつないメロディや(ヒット曲「どうぞこのまま」は歌謡曲的マイナー調ですが)、甘いけれど甘すぎない声などが、当時、思春期の入り口の、だるくて重ったるい身体感覚によく合ったのでした。
「ラプソディ・イン・ブルー」とか「夕焼け人形」とか、半音のところできゅんとする、日曜の朝のような気怠いメロディには、ノスタルジーを感じてぽわんとしたものです。
そうそう、「ノスタルジー」という言葉も、この頃に知ったのでした。(「のすたるじい」と書くべきであろうか。)
おかしいですよね、10年くらいしか生きておらず郷愁を感じる対象などそんなにないはずなのに、「ノスタルジー」という言葉を知って、「あ、最近の私の気分にぴったりの言葉や」と思ったのでした。
二度と戻れない子供時代から、すごい勢いで心身ともに引き離されていく思春期とは、最もノスタルジーを感じる時代なのかもしれませんね。
歌詞も、ユーミンチックなシティな恋愛模様を描いており、「私も大人になったら男の人が誘ってきたり、お酒を飲んで失恋を忘れようとしたりするのかな」 とわくわくしたり(若干わくわくするポイントがおかしい気もするが)、「遊び上手な男の人を本気にさせたい」なんて、そんな男の人周囲にいないのに「分かる分かる!」と共感したりしたのでした。
軽快なメロディの「スカイラウンジ」という曲は、海岸のスカイラウンジというのが何ものかよく分からんけど素敵だな、素敵だな、と気に入っていました(今思えば、そのとき思い浮かべた「スカイラウンジ」なるもののイメージは、池袋ミルキーウェイに体現されていました)。
「怖かったけど熱い心が許したの♪」「ママには内緒って言ったら♪」(そう、「お母さん」じゃなくて「ママ」でなくてはならないのです)なんて、何を「許す」のか、何が「内緒」なのかよく分からないながら、大人の世界に触れたようでどきりとしました。
森茉莉いうところの、「プレサンチマン」を感じさせてくれたのが、彼女の歌だったのだと思います。
(ちなみに、一年くらい経ったときに、親に「最初に聴いたときは何を『内緒』にするんか分からんかった」と言うと、「今は分かるんか?」と突っ込まれました。「分かる気がする」と答えると大爆笑になったのですが、このときは、こう答えると大人に受けるぞ、と思って答えたのを覚えています。)
今聴いても、よくできた曲ばっかりだなあ!と思います。
「私の風来坊」は、ちょっと毛色の違う曲だなと思ってましたが、仲井戸麗市作曲なんですね。知らなかったー。
他にも山下達郎が参加していたり、豪華です。
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思えば子供の頃は、他にも、気怠くて切なくて大人っぽい歌が好きだったみたいです。
最初に好きになった歌謡曲は、小林明子の「恋におちて」でした。母と一緒にラジカセをTVの前に置いて録音していました。
当時は、不倫の歌だとか、土日は会えないんだとか分かりませんでしたが、「吐息を白いバラに変えて」というフレーズに、「すごい!!」と思っていました。
あと、「fall in love」は「ホールインワン」だと思っていました。当時『プロゴルファー猿』が放映されていたので、その影響と思われます。恋におちた様子をゴルフに喩えてるんやと思ってました。
他、気怠い系では、『誘惑』というドラマの主題歌だった山下達郎の曲も好きでした。
ドラマは、筋はよく分かりませんでしたが(夜10時からの放映だったので眠かった)、篠ひろ子らが出ていて、どろりとした色っぽいドラマだった記憶。
最終回、シャワーを浴びる篠ひろ子の足元に、サアッと鮮血が流れ、それがオチだったと思います。当時は「ああ、生理が始まらはったんや」と理解していたのですが、今思えばそんなはずない気がします。どんな筋だったのでしょうか。