皿洗いダブルバインドゲームを法的に取り締まってほしいの巻


苦手なことは数々ありますが、今日紹介したい苦手事項は、

「複数人で人の家にお呼ばれしているとき、客が談笑している中その家の奥さんだけが料理なり洗い物なりでキッチンに立っており、客のうち女性だけが頃合いを見て立ち上がり 『あ、手伝いますよ』 と言う適切なタイミングに乗ること」

です。
訪問した時点でライアーゲームのごとく強制参加のこの皿洗いゲームに、参加を免れている(ことが多い)というだけで、男性に生まれたかったとすらと思います。


まず苦手な点は、「適切なタイミング」が要されるという点です。
この皿洗いゲームは、大縄跳びや椅子とりゲームと同じ種類のものなのです。
中学生の頃、大縄跳び大会で、ヤンキー男子に 「おまえがいる限りうちのクラスが勝てることはない、クラスから出ていってほしい」 と主張された私が勝てる由もありません。ヤンキーのくせに大縄跳び大会に必死になってんじゃねえよ。一生大縄跳んでろ。
皿洗いゲームの場合、その「適切なタイミング」を掴めるかどうかで、昨今の語でいうなれば「女子力」とやらが試されるのです。女子力とは運動神経の謂なのでしょう。


さらに、この皿洗いゲームは高度な心理ゲームでもあります。
「手伝いますよ」 の申し出に 「じゃあお願い」 と答えてくれる奥さんならばよいのですが、たいていの奥さんは 「いいんですよ、あちらで座っててください」 と答えます。
この「いいんですよ、あちらで座っててください」が発された途端、ダブルバインドゲームが始まるのです。
ここで、「いいんですよ」を押し切って「いーからいーから」とスポンジを握った人は不戦勝です。が、私は考えてしまうのです。 : 「 この 『いいんですよ』 には2通りの可能性がある……まず、(1)タテマエであって本当は『手伝えよ』と思っているにもかかわらず遠慮してみせている可能性 だが、(2)ひとりで洗うほうがやりやすくて・あるいは・すごく潔癖で『お前にキッチンを触られたくないんだよ』と思って本当に『いいんですよ』と言っている可能性 もある………どっちなんだ?」 「多くは(1)であろうからその場合手伝ってあげれば助かるであろう、それどころか手伝わなければ「気が利かない」と思われる可能性がある、だが万が一(2)の場合、余計なことをしたことになり最悪の場合不快にさせかねない……」
人の発言の裏側を推測することが極度に苦手な私には、勝ち目のないゲームであります。
そしてだいたいこうしてごにょごにょと考えている間にタイミングを逸し、あとから 「他の女の子はみんな手伝ってんのに厚かましく座り込んで気の利かない客だ」 と思われたのでないか!うわあああああ!! となり、無理矢理スポンジを奪い取り皿を洗いまくればよかった……スポンジ……スポンジ………とその後4年半(平均)にわたって後悔し続けることとなるのです。

※ 特にこの「奥さん」が「姑」的な人であった場合、ゲームに敗れた代償ははかり知れません。私は、姑の 「いいんですよ」 を受けてやむなく手伝うのを諦めたところ、後から人づてに文句を言ってこられた、という例を知っています。


この皿洗いダブルバインドゲーム、一体誰が特をするというのでしょう?
ここで提案したいのでありますが、このゲームは法的に取り締まっていただきたい!
法律に、「複数名で一家庭を訪問時、訪問者は各自の皿を洗って帰る」もしくは「訪問者は家庭の皿洗いに関与してはならない」 などと明記されていれば、こうした無駄な神経のすり減らしは防げると思います。
大麻を取り締まるくらいなら皿洗いを取り締まれ!
トリップ合法! 皿洗い違法!


…… とこういうことを言うと、「そんなの気遣いの問題じゃないですか、何もそんなに難しく考えることではなくて、真心で労りあえばいいことじゃないですか」 と言いやがる方が必ずいらっしゃるのでありますが、このゲームプレイヤーの誰にも真心など無いから(あるいは真心が汲み取りがたいから)こそ困難が起きているのでございます。そしてその真心の見えなさは、このゲームが「家事=女の役割」という制度的ジェンダー非対称を前提にしておるからであって、真心とか言うんなら男も女も自分の皿を洗うたらええんじゃ。
また、こういう話をすると、「あーあ、女のコミュニケーションの怖さよ」みたいに女怖い論に帰着させるアホもいるがアホは論外じゃ。