クロマニヨンズのライブ行く

通りが薄闇に沈んでゆく。路地裏の、あるいは住宅街の外れの、あるいは飲み屋街の中の、煤けた建物の前でひとびとは番号を呼ばれるのを待っている。少し風が涼しくなった。歩道から出ないでくださーい、番号を呼ばれた人は前に来てくださーい、腕章を巻いた人が声を張り上げる。ようよう、久しぶり、覚えてる? おおっ、来てたんやー。今日何やると思う? 久々にあれ聴きたいねん。お喋りする人や、無言でじっと立つ人や。 特になんも無さそうな路地の一角で浮き足立っている一団を、訝しんだらしき通行人が声をかけてくる。「これ、今日、何があるんですか?」。どこか得意げに説明する連中に、「ああ、そうなんだー、ありがとう」と去っていく通行人。

 

記事のタイトルをつけるのにちょっと迷いまして、本来なら「~のライブに行った」とするところなんですが、そうすると或る一回性のできごとについて書いた記録というニュアンスになってしまい、でも今から書きたいことはそれは一回性のできごとであっても一回性のできごとでないという話なのでちょっと違うし、何度も行っているなら「~のライブに通っている」としてもいいんでしょうが、通っている、とするとお稽古事とか仕事に通ってるみたいな、義務で行ってる感が出てしまうし第一通ってるってほどは通ってないし。んで、単に、「行く」。

 

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この間、奈良でクロマニヨンズ観たんでした。EVANS CASTLE という初めてのライブハウスやったんですが、テーマパークみたいな造りで吃驚。クロマニヨンズに似合ってんのか似合ってないのかよく分からず、なんか面白かった! 前に観たのは大阪のホールだったかな?  今回は、聴きたかった好きな曲、「キラービー」(邪魔者は皆殺し!)とか「底なしブルー」(名曲!!!)とか聴けて、すごい良かったです。開演前は周辺お散歩して鹿とも戯れられたし……。

……っていうそのときどきの、この曲聴けて良かった~~とかこんなハプニングあった!とかライブの前後にこんなことあった~~ というのは、それぞれ思い出としてあるんですが、ふしぎふしぎ、全体の印象としては、彼らのショーって、毎回判で押したように同じ感想をもって帰ることになるのです。判で押したように、ってのは悪い意味で使う慣用句だよね。でもここでは勝手に良い意味で使うね。最初に観たのは2006年の10月(この頃個人的にめっちゃいろいろあったので日付も覚えているのです)、京都で。そんときは一曲も知らん状態で行ったんですが、しかも柱の後ろ(京都磔磔は中央に太い柱がある)で何も見えんかったんですが、めっちゃ楽しかったーー!! と思いながら帰った記憶がある。その後、何回観ても、どこで観ても、毎回同じ感想。楽しかったー!!つって帰るのです。

 

自分はライブハウスみたいな人多い場所てあんま得意でなくて、なので最初は、あーぎうぎうやな、とか、人ぶつかってくるんちょっと避けとこ、とか思って観始めて、でも二、三曲やったところでもうどうでもよくなってきて、「エルビス(仮)」(変なタイトルだが(仮)までがタイトルなのです)が演奏されるあたりには頭がパーンとなり、満員の会場だのにまるで自分とステージしか存在しないような感じがする、というのもいつも同じ。最後の曲をやってアンコール始まって、なぜか気づくと揉みくちゃゾーンに突っ込んでいている、というのもいつも同じ。そして、電気ついて音が消えて出口へ向かってホールを振り返ると、さっきまであんな熱狂のショーが繰り広げられていたのがウソのようになにも無いのです。終演と同時にすべての余韻も消え去って、ただの街をただ帰るのもいつも同じ。

 

クロマニヨンズって、好きではあるけれどずっと何がやりたいかよう解らんかったのでした。ヒロトマーシーハイロウズ結成したときは、ブルーハーツでできんかったこと(ブルースぽい曲とか、ロックのワルそうな部分とか)やりたいんやな~~と明確に伝わったけど、クロマニヨンズて、アルバムが出るごとに作風変わるとか実験的問題作が出るとかもなくてずっと同じだし(音楽に詳しい人だと「今度はこういう技法を取り入れてる!」とか分かるんかもですが…)、なんか、なんなんやろか……とずっと思ってたんですが、そうか、ずっと同じ、をやるバンドなんやな、と6年目くらいんときにやっと気づいたのでした。

ヒロトマーシーはよくメディアで「初めてロックを聴いたときの興奮」について話してて、それはもう伝道師のような語りぶりで、今や彼らの中でどれだけそのときの原版(「初期衝動」とか呼ばれるやつ)が残っているのかは分からないですが、あーひたすらその原版を再生産し続ける、原版再現マシーン、原版再現職人としてのバンドなんや、と分かったのでした。ロックンロールは進歩も成長もしないまま……って歌った歌がありましたが(別のバンドですが)そゆことなんか~~。しかも高性能な再現マシーンで、的確にわれわれの中の結晶的14歳を狙い撃ってくる。その狙い撃ち方は実にクール、職人の眼差しを感じる、こう言ってよければ、老獪。だけど「あえてこれ」みたいなクールさでなくて、これしかない、みたいな、かつ、わーいわーいな感じ。

 

だから、クロマニヨンズのライブに行くのってなんか、ひとつの具体的なできごとのはずなんだけど一回性の体験でなくて普遍的な抽象的な体験みたいな感じがするわねえ、という話でした。彼らのライブは年に一、二回観てるはずなんですが、あんまこのブログで感想とか書いてないはず。なぜなら何も変わった感想が無いからです。

ところで自分は誰とも交流せず観たらさっさと帰る派やったのですが、長年観てると「ライブのときだけ会う、本名も知らん顔見知り」とかができてしまいます。あるときからよく見かける人もいれば、あるときから見かけなくなる人もいて、また、なんかの事情でしばらく来れなかった人がまた復活したりして。こないだなんか、チケット持ってないのに「ここ来たら誰かいるから喋りに来た」と会場前に来てた人がいて、最近どうしてたん、へえ大変やったね、みたいな話をしながら、「あ、これ、病院の待合室や」と思いました。おじいちゃんおばあちゃんが、特に用もないのにやたら朝早うに病院に出かけていくのを何が楽しいんやとかつて思ってましたが、彼らもこうして開演前……開院前に同病の仲間たちとおしゃべりしてたんでしょうね。

見かけなくなった人の中には、此岸からいなくなった人もいます。クマのようだったおっちゃんが亡くなったのは「ペテン師ロック」が出る少し前だったなあ。おっちゃんは葬儀で流すBGMをしっかり編集してから亡くなったそうで、ちょうど、出棺の直前に「エルビス(仮)」が流れたといいます。「惑星が燃え尽き/人として笑顔で/お別れの時間だ/沈んでいく朝日」。そこまで関係が深かったわけではない私はその葬儀には参列してないのですが、人から話を聴いて、それからライブで「エルビス(仮)」の演奏を聴くたびその人のことを思い出します。