10歳シリーズを再読する会

三段重ねのアイスクリーム。別荘地の白いペンション。大きな窓のあるログハウス調喫茶店のクリームソーダ(チェリーがのっている)。ファンシー文具。フリルの布で飾ったラタンの棚。パステルカラー。ネオンライト。

しばしば「いつまで80年代を生きてるんや!」と笑われるのですが、そうしたものに今でもいちいちときめいてしまう癖があります。80年代原宿的あるいは清里的なものが、「最高にオシャレ!」な憧れとして子供時代に刷り込まれたのが、大人になってからも続いているようです。今でも、デートというものは、バスケットかハート形のエナメルのバッグをぶら提げて並木道を歩きながら三段重ねのアイスクリームを食べるものと信じています!

 

しかしこの憧れ、どこから刷り込まれたのであろう? と我ながら不思議に思っていました。当時、幼稚園や小学校の友達はテレビドラマや少女漫画からそうした流行を摂取していたようでしたが、私はあまりそういうものに触れていなかったのでした。もちろんそういうものに積極的に触れなくても、同時代の流行というのはなんとなく入ってくるものではありますが、何か決定的に刷り込みを受ける媒体があったような………と考えていて、急に思い出したのが「10歳シリーズ」という児童文学の存在!! そうやった!これやーー!!と膝を打ったのでありました。

ポプラ社から出ていたそのシリーズは、沢井いづみ作+村井香葉さし絵。いずれも10歳の女の子を主人公に据えたお話で、少女たちの家族関係や友人関係や淡い恋が描かれるのでありますが、あんなに何度も読んだのになんで今まで忘れていたのかしら。私だけでなくクラスの女子たちの多くもハマっていたのでした。今のライトノベルと同じく、挿絵の可愛さも人気の理由でした。(ついでに「いづみ」「香葉」という作者たちの名前も「なんとオシャレ!」と思っていました。)しかし、親や教師からのウケは良くなく「こんな本はほとんどマンガだ、もっとちゃんとした本も読もう」というような言い方をされていたのですよね。今は知りませんが当時の教育現場では「マンガ」というのはほぼ悪口であり、これらは正統な児童文学より一段下とされていたのでした。そんなわけで、親にもねだりづらかった記憶があります。それでも3冊買ってもらっていたようで、我が家からは『さやか10歳』『みお10歳』『ゆか10歳』が発掘されました。読み返してみますと、

「そうそう、こんな話だった!」「自分が●●に憧れるようになったのはこの作品のせいだったのか」「そういえばこの本で●●を知ったんだった」

と思い出すことが多々。学級文庫や図書館で読んでいた他の作品も、この機会に古本等で捜して読み返してみました! 以下、読み返しての感想を記します。

 

■ 『わたしのママへ… さやか10歳の日記』

これこれ! 1985年発行とあります。私が6歳の頃です。シリーズの最初の作品であり沢井いづみさんのデビュー作。シリーズ中これが最もザ・児童文学という感じ。親にまず買ってもらったのもコレだったと思います。

 

裏表紙のさやかちゃん。大きな眼!! この眼の描き方にもずいぶん憧れたのでしたが、美術教育の中ではよろしくない「マンガ」的人物画の例とされていましたね。

 

タイトルは「さやか10歳」ですが、実は作中の時間ではさやかちゃんは10歳でなく、「――あしたは、十歳」という一文で物語が閉じられるのがニクいです。「ほな10歳ちゃうやん!」と思ったものでしたが、初読時は自分もまだ10歳になっていなかったのでより主人公への親しみが増しました。

ストーリーは、内向的な少女さやかが自分だけの秘密の日記を書き始めるが、どうやらその日記がママに盗み読みされていることに気づいて―― というもの。このさやかちゃんは、全然明るく快活な少女ではなく、独りで思い悩んだり言いたいことをはっきり言えなかったり、そしてその憤懣を日記にぶつけていたり、と、10歳シリーズの主人公の中で最も自分に似ていて共感できました。だけど、木造町家の二階でチラシのウラに憤懣をぶつけてる自分と違い、登場するちょっとした小物や生活背景がなんだかキラキラしている! まず日記帳が、ファンシーショップすみれ堂でお友達と一緒に買った「ペパーミントグリーンの水玉の日記帳」なのです。「ペパーミントグリーン」がどんな色なのか当時の自分はよく分かっていませんでしたが、「とにかくなんか素敵そう!」とときめいたのでした。(今見るとこの本、表紙裏が日記帳と同じペパーミントに白い水玉のデザインになっている!可愛い~~!)

その他、読み返す中で当時のときめいたポイントを諸々思い出しました。中でも強烈な印象を受けたのは「あわぶろ」です。ママに疑惑を抱いてショックを受けたさやかが、あわぶろにしたバスタブに浸かっているうちに落ち着きを取り戻す、という場面があるのですが、「家の風呂で泡風呂!?!? 泡風呂なんて風呂屋にしかないものでは???」と衝撃を受けたことを覚えています。以降、自分も何か心を落ち着けたいことがあるときには、銭湯で泡風呂に入るようにしていました。というかこの習慣は今でもあるのですが、それがこの作品に由来していたことを思い出しました。

 

さやかの家は、超裕福ではないかもしれないけれど、たぶんそこそこ余裕があるおうちなのですね。当時は意識していませんでしたが、今読むとそうした背景の設定もよく分かります。住宅街の中の「若葉台小学校」に通うさやかたち。地名からしてきっと新興住宅地ですよね。そこの「大通りにめんした、れんがづくりのマンション」がさやかの家。不動産サイトによると煉瓦風の外壁が流行ったのは80年代からだそう。きっと新築マンションだったのでしょう。さやかの家は9階。弟と同室であることをさやかは嘆いていますが、パパの「書斎」もあるのだからそんなに狭い家ではないはず。毎晩遅くまで帰ってこないパパは企業戦士なのでしょう。

人物や人工物の描写だけでなく風景描写も印象的でした。さやかが日記帳を買った春の日は「気もちよく晴れあがった空に、わたあめみたいな雲がふわふわとんでいる」。疑惑が本当だと分かった日には「くもり空はこらえきれなくなったように泣きだし」て、窓ガラスが「銀色の飴のしずくでしまもようになっている」。そしてすべてが終わった後は――、というように、風景と主人公の心情がリンクする手法ですが、こうした描写を読みながらわれわれは、小説の読み方とか文章の書き方とかを知らず知らず学んでいってたんやな、と思いました。

 

ところで、このお話を読んで「私も書いたことが本当になる魔法の日記がほしいな~~」なんて言っていたら、10歳の誕生日に、母が鍵付きの日記帳をプレゼントしてくれたのです。鍵付きの秘密の日記帳なんてまさに物語の中の小物みたいでなんて素敵!! と超嬉しかったです。さっそく学習デスクの引き出しにしまいこんだのでしたが、さやかと同じく秘密のはずの日記帳は母に盗み読まれていた、というオチ付きでありました(鍵と日記帳を同じ引き出しにしまっていたのだった……通帳の表紙にパスワードをメモするみたいなアレ)。

 

■『あゆみ10歳 レモン色の交換日記』

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これは1986年刊。シリーズ3作目です。86年には、『ジュン10歳』『あゆみ10歳』『ゆか10歳』が立て続けに刊行されています。すげ~~!! 猫の散歩用リードを見るたびに「猫を散歩させるのはかわいそう」って怒ってる人がいたな~と思い出していたのですが、これの登場人物だったんだ!と思い出しました。子供の頃に読んだ本ってずいぶん記憶に残るものですね。

 

タイトルの通り、少女たちの交換日記のお話。ちょうどこれを読んだ頃クラスでも交換日記が流行り始めました。このお話の影響なのか、関係なく単に流行っていたのかは不明ですが、少なくとも私は、あゆみとめぐの楽しそうなイラストいっぱいの交換日記に憧れて真似したりしてましたねえ。あんなにキレイに書けずいつもグダグダになってたけど。

あゆみは、デビュー作のさやかとは正反対に、活発な人気者。めぐはその親友。そこへなんとなくノリが合わない「ネクラ」な転校生・聡美とも交換日記をすることになり――というお話です。聡美は悪い子ではないけれど、どうにもノリが合わない、生真面目で冗談が通じにくくて、悪意はないけど楽しいときに水を差してくる、というタイプの子。こういう相性の合わなさは大人でも子供でもあるあるですよね。上手く描かれてるなあ。というか、今読むと、あゆみたちによる聡美の蔭口がけっこうひどい! あゆみタイプと聡美タイプに人を二分するなら、私はどちらかといえば後者だったと思うんですが、当時はどう思って読んでたんでしょうか、思い出せないな。ともあれ、10歳シリーズはいろんなタイプの女の子が主人公なのです。

 

そうそう、作中に、いとこのお姉さんに連れられてサーティーワンらしきお店でアイスを食べるシーンがありました。これこれ。「チョコレートチップのコーンアイスクリーム」! 二段重ねのアイスもイラストに描かれていて、これが憧れやったんですね。あと、この本でティーンエイジ」って言葉を初めて知ったんでした。「自分ももうすぐそれか! カッコイイ!」と思ってました。

 

■ 『レミ10歳 わたしのおうちはフルーツパーラー』

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うわっ、キッスしてますね。これはたしかに親にねだりにくい。ちなみにこんなシーンは作中にはありません。

これ、シリーズ中で一番読み返したかったので今回買いました。なんといっても当時「フルーツパーラー」ってのが生活圏内になかったので、どんなお店だろう? と近所の喫茶店やら五建ういろ(※京都五条通にある老舗のういろ屋、赤飯饅頭がうまい)やらを思い浮かべつつ一生懸命想像していました……。

表紙見返しのポエム「ゆめって ゆめって くだもののかたちしてると思う」、これも覚えてます。自分の日記とか自作の漫画とかの中でこの言い回しを真似してました。目次の前にフルーツパーラーのメニューがついているのも可愛い~~!

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出だしの一文はこう。みどりの風が、石だたみのパティオをふきぬけてゆく」パティオって何?? と当時思っていたはず……。趣味を仕事にしたママが出したお店「フルーツ・アイランド」は自由が丘二丁目のれんが通りにあって、周囲には西洋雑貨のブティックやホームメイド・ベーカリー。お店をデザインしたのはインテリアデザイナーであるパパ。……今読むとあざといまでのオシャレ(オサレ)です。プライベートでもこの母娘、高級スーパーらしきところでお買い物してるし(「パパのすきなフランスチーズが三種類。お肉にチコリ、パセリやマッシュルーム」……当時の私は「チコリって何?」と思っていたはず)。何よりも、フルーツパーラーのお話であるから、フルーツの描写がとにかく素敵。

ところがこの作品、肝心の筋を全然覚えていなかったのです。今回読み直して、大学生のお兄さんに思いを寄せたり、友達と気まずくなるけど仲直りしたり、なんやかんやを通して少女が成長するお話だったと分かりましたが、ちょっとぼんやりした印象。これはストーリーというより、上述のようなときめくディティールを楽しむための作品だったのかもしれません。大学生のお兄さんは、当時は私も「こういう人がかっこいいんやな」と思って読んでいたのだと思うのですが、今読むと小学生相手に夢を語り「未開の土地に新しい都市を作りたい」「無人島の開発をしたい」とか言っていてややヤバいやつ感があります。しかし、同じ夢をもつ女子学生と理想を語り合うところなんかは、当時の新しい男性像だったのかもしれません。女だからと下に見たりせず、聡明な女性を「さいこうのキャッチボールのあいて」と評価できる男性。本書の発行された1987年は男女雇用機会均等法から二年後です。

 

 

 

■『ゆか10歳 コスモス色にゆれる旅』

ゆかが友人たちと、ママの故郷の城下町へ旅をするお話です。

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ママはどこか少女のような女性。今回は、同窓会がてら故郷である三重県T市へ向かうのですが、そこで昔の同級生だった男性と会うことがゆかは面白くない、というお話です。美しい髪が自慢のママ、「百回ブラッシング」を毎回実践しているのですが、「ブラッシングが髪にいい」ことをこれで知りました。

 

さてそのママの里帰りに、ゆかはちひろと美也を誘ってついていくことになります。友達同士の旅行なんて超憧れでしたね。

ちなみにゆかとちひろは、しゃれたマンションや家が立ち並ぶけやき並木の近くにある「高平台テラス」に住んでいます。やはり新興住宅地の子たちなんですね。この設定、当時の読者の少女たちは共感したのか憧れたのかフーンと思っていたのか、みんなどんなふうに読んでたんやろ。美也は商店街の「フラワーショップ」の子です。「花屋」でなく「フラワーショップ」なんですよね!

 

さてママの故郷で三人は、ギターをもったちょっと素敵な男の子に出会います。バンド少年です。ママのことでモヤモヤしているゆかを「ガキだな」と笑ったり「ハブ・ア・ナイス・トリップ」とゆかたちの分からない英語を使ってみたり、これも今読むと完全なる嫌な奴ですが、「おもしれー女」とか言いそうな少女漫画型男子であります。この作品で初めて知ったものとしてはジンジャエールがあります。何それ?と思ってました。ゆかがジンジャエールを頼んで険悪になるシーン、今読んでも、何がアカンかったんかよく分かりませんでした………ジンジャエールを頼んだのがダメだったの?単に態度がダメだったってこと? 分かる人教えてください。

 

 

■『みお10歳 ママとわたしのエアメール』

このみおちゃんのファッション、そして裏表紙のデザインは今見ても素敵ですね。

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みおはセミロングの髪をゆるくみつあみにして、いつも洋服に合わせたリボンを結んでいる女の子。この時点で既にいい。私はリボンとかつけたことない子やったんで……。みおの本名は「美音」。ママは音楽大学の研究室に勤めながらチェロを弾いている音楽家なのです。本作は、「プロローグ」「エピローグ」の代わりに、「プレリュード」「オーバーチュア」となっていて、これも当時のときめきポイントでした。

楽器の製作者だったパパは亡くなっており、ママは今はオーストリアに留学中で、みおとお兄ちゃんはおばあちゃんの家に預けられている、というところからお話は始まります。おばあちゃんは、上品で美しいけれど時々堅苦しくもある昔気質の女性(「男子厨房に入らず」とか言っちゃう)。私も昔気質の祖母と同居していたので、このおばあちゃん描写には共感しました(家庭環境はだいぶ違いましたが)。和風のおうち、おばあちゃんの作る味噌汁、栗ようかんや京都の古道具屋で買ったお皿、などの描写も印象的でした。シリーズ中でおばあちゃんが重要人物なのはこの作品だけかな?

 

そんなおばあちゃんとお兄ちゃんの間でひとりで気を揉んだり(「口にいれたひときれのくりようかんが、かなしいほどあまい」みたいな一文、影響を受けたなあ)、そんな気持ちをママへの手紙に綴ったけれども上手く伝わらず落胆したり、だけどある事件を通してみんなの気もちがひとつになって――というストーリーです。本編の後には番外編として漫画がついてます。本作は1988年発行、シリーズ7作目、村井香葉さんによる挿絵もかなりの人気要素になっていたのでしょう。ママのいる海外へ発つ兄妹の様子を描いた短い漫画なのですが、お兄ちゃんのファッションの解説――「ペーズリーのアスコットタイ」「オックスフォードのボタンダウンなんてのが、当時の私(今でもファッション音痴でありますが)にはさっぱり分からんかった記憶があります。お兄ちゃんの絵、ちょっと吉田秋生の描く男の子風でもあるような。

 

ところで、私が買ってもらった『さやか』『みお』『ゆか』は、どれも母娘関係を主題に扱ったもの。友達関係や恋愛関係をテーマとしたものよりも親にねだりやすかったのかもしれません。

今回調べてみたところ、私が読んでない作品もあったことが分かって、これを機会にシリーズを読破してみました! というわけで他の作品の感想も引き続き次回に。