ナメちゃんと横尾Y字路展と戸川ライブを観たよ
先日ナメちゃんと、神戸の、「横尾忠則現代美術館」へ参りました。
数年前にできたばかりらしく、えらくきれいで、なぞの「ぱんだかふぇ」が併設されていました。
そしてエントランスには、Y字路ポスターがぶわー!と並べられていて壮観でした。
横尾忠則、そんなに詳しいわけでないんですが、Y字路シリーズは、前から見かけるたびなんか好きなのです。
今回そのY字路シリーズが一挙に見られるということで、有難い展示です!
ポスターは、私が最も好きな那須のY字路でした。(裸婦部分がなぜか白抜きですが。)
正式タイトルは 『文明と文化の衝突』。画面左側にはニキ・ド・サン・ファル作品からの引用が(以前、那須にニキ美術館があったのです)。
まず、多作さにびっくり。
3階から観たところ、3階は「黒いY字路」シリーズで、こんなんもあったんや〜!と初見。
ナメちゃんは 「なんか出てきそう、いや〜!!」 とめっちゃおびえてましたが、たしかにY字路に感じる不安が増幅されるようなシリーズでありました。それも次第に、静物と融合されたり、さまざまな趣向がこらされてゆきます。
黒いY字路シリーズを見ていると、以前に赤羽の駅から知らない住宅街を歩いて荒川に着いたときのことを思い出しました。
私はもともとY字路がちょっと怖いのですが、Y字路のもつ不安感とは、どちらへ進むかを選ばねばならず、かつどちらを選択するかによってまるで知らないところに連れて行かれる、先の知れない不安感なのかなあ、と。
かつ、私のY字路恐怖は京都人ゆえのものかもしれません。京都市内では滅多にY字路にお目にかからないので、Y字路というだけで混乱してしまうのです。
画面に消失点が2つあるというのが、Y字路作品の魅力でありますが、中には、1視点から実際にこのようには2点を見渡せないと思われる錯視のようなパノラマ作品があって混乱させられ、Y字路というのは本質的にそうした混乱と親しいものなのかも、と思いました。
2階は、初期のY字路作品に始まり、いろんなY字路が。
当初はほぼ実際のモデルの地に忠実に描かれたらしいY字路ですが、次第にヴァリエーションが増し、幻想の世界とまじりあってゆきます。
中でもやっぱり横尾カラーで描かれた、温泉地+Y字路シリーズが好きです。ポスターにもなっている那須のY字路もあり。
石和のY字路は、ポストカードになっていたので購入。温泉の横で、百姓・深沢七郎がギターを弾いているのにぐっと来たのでした。Y字路がまるで、同時代にそれぞれ、片やラブミー牧場でコマギレ栽培にいそしみ、片や国防を叫び割腹した二人の、分かれ道を象徴しているような気がして。
展示点数は70点ほどでしたが、かなり満足&なんかぐったりしました。全Y字路作品集が国書刊行会から出ているので、いつか買おうと思います……
絵画作品だけでなく、壁、床一面に、横尾撮影のY字路写真が敷き詰められたY字路部屋もありました。
そこで自分の脚と床を写して、ハッと思ったのですが、人間の身体ってY字路なのだなあ、と。
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その後、梅田AKASOで戸川純女史のライブを観ました。
連結詐欺(c:ナメちゃん)に遭いながらAKASO到着!
今回は、打ち込みが大活躍でYAPOOSの曲多め。YAPOOSは高校生のときによくナメちゃんと聴いていたので、その頃の曲が目の前で演奏されるのは、何かふしぎなものがあります。どの曲も素晴らしかった。
ライオン・メリィさんのピアノも美しかったです。特に「12階の一番奥」はメリィさんのピアノが美しかった!
しかし、なんといっても戸川純の存在感が圧倒的でした。
怪我をしてから座って歌っているようですが、「フリートーキング」「パンク蛹化の女」(!)等のナンバーでは立ち上がってガナリ立てておられ、「かっこえー!かっこえー!」と言い合う私とナメちゃん。
「フリートーキング」は、詞もなんだか今のご時世と重なって、ぐっと来たのでした。
一時期は声もあまり出なかったようですが、今回は澄んだ声もよく出ていました。どの曲だったか、完璧に昔の声で歌い始め、「少女の声だ!」と思ったのでした。そして、少女でいつづける勇気、みたいなものを思い出したのでした。それは狎れないということで。
「少女」てことばはどうしても、搾取されたり勝手に意味づけされたりしてきたものだから、あまり使いたくないと思うてはいるのですが、しかしそうした、男や社会によって意味づけられることの拒否としての「少女」というか。
途中、MCで、ロリータ順子の話を純ちゃんがしたのでした。「あたしと同じ名前だけど、二十歳で、きれいなうちに死んじゃったの」と。
最近よく、「少女はおばちゃんになってからだな」 と思うのですけれど、少女としての少女期を乗り切ってきた人が眼前におり、そして今でも、ケッタイな10代や20代の少女、或いは30代の少女らの少女アイコンであり続けているのだな、と感じ入ったのでした。