垂水住宅街散策記――阿部共実作品の宝箱をもとめて


阿部共実の漫画に大変な感銘を受けたことは、先日、つらみ漫画紹介記事に描いた通りです。
そのときにも書きましたが、『ちーちゃんはちょっと足りない』(以下『ちーちゃん』)初読時に強い印象を受けたのは、「『風景』のある漫画だな」ということでした。可愛くデフォルメされたキャラの造形に反し、その背景にはリアルな風景が描きこまれています。その風景が、作品に奥行きと広がりを与え、それを通し、萌えギャグ絵で描かれたキャラたちが、現代日本の無数の郊外や遍在する格差といった普遍的問題に接続されていく(しかし作中人物は誰もそのことを知らない)ように感じたのでした。といって、社会的問題をテーマとした漫画、というわけでも、ない。


その後、その「風景」には、兵庫県垂水というモデルがあることを知り、さらに他の作品にも垂水の風景が描き込まれていることを知り、『ちーちゃん』初め諸作品の舞台であるその街を歩いてみたいなアと思っていたところ、先日そちら方面に所用あった帰りに時間ができたので、途中下車してまいりましたよ。
駅前だけふらっと散歩してマリンピアでも覗いて帰ろう、くらいの気持ちで降りたのでしたが、思わずがっつり聖地巡礼してしまったのでした。(うち、意外と聖地巡礼好きやな……ミーハーなのやな……。過去の巡礼としては、森茉莉居住地めぐり寄鷺橋でしょうか、あと花小金井と赤羽。)
垂水はなんやかんや縁があり、いくらか土地勘はありますが、山側はほぼ未踏です。聖地巡礼ガイド的なものもないので、ブログやツイッターで見つけた投稿の断片を参考にさせていただきました。巡礼の先人たちよ、ありがとうございました。


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JR垂水駅で下車し、山側の出口から出ます。
ここで早速写真。「奴を見てる私を奴が見てる」(『空が灰色だから』所収)で電車に乗るシーンや、「がんばれメガネ」(『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』所収)の冒頭の待ち合わせシーンはここですよね。頭上のモナコ垂水の看板も同じです。




『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』1巻、51頁より



JR垂水駅山陽電鉄垂水駅は隣接しているのですが、この看板は山陽電鉄のものです。
ふと思ったのですが、阿部作品には、山陽電鉄のものらしき駅や電車は何度か描き込まれているのに、JRは描かれていない気がします。
作品世界を、東京その他遠くへつながる通路なんて存在しない、それだけで閉じた世界にするため……というのは考えすぎかな。
(……と書いて見直したら、『空が灰色だから』の「金魚」ではJR三ノ宮駅が描かれてました。「金魚」の川本さんは阿部作品には珍しく団地住まいじゃないようですね。)


駅前すぐ、垂水センター街の入口があります。『ちーちゃん』の終盤にて、ナツがちーちゃんを探しに来たのはこのあたりです(201頁)。『空が灰色だから』の和気和気子ちゃんが不良に絡まれるのもここかな? この商店街は、こまごまとした面白いお店が並び、活気があって好きです。「グッズ屋さん」もここにあるのかなあ?




いかなご祭」とやらのポスターがありました。ものすごいいかなご推し。




旭ちゃんを見つけて逃げこむのは、駅前のイオンの建物でしょうか? ここは一般的なイオンモールとは全く違って謎の激安服屋とか入ってるのが好き。昔、100円でサンダル買うた記憶があります……。

普段なら駅前でだらだら買い物するところですが、今日はイオンの横の道を山側へ。ここからは住宅地、ほぼ知らない土地です。
山側への道は、こんな細くて急な坂になっており、いかにも神戸という風情。






しばらく登っていくと、「旭が丘1丁目」の地名が目に入り胸熱。福祉施設や、マンションポエムで広告されてそうなきれいな新築マンションが増えているようでした。
このあたりはまったく土地勘がなく、どう動いてよいやら分からないので、とりあえずクッキー工場を目的地に設定。旭が丘からはちょっと遠いけどいっか、と歩き出すと、地図上では分かりませんでしたがけっこうな傾斜の上り下りの連続でびっくり。ついつい京都盆地の感覚で歩き出したのですが、そうか、神戸山側は坂の街なんですよね。
そういえば『ちーちゃん』にも、「急勾配の坂が多い町で嫌になっちゃう」(91頁)というナツの台詞がありましたね。


神戸は海側・山側さえ把握すれば簡単、とよく言われますが、道がまっすぐでないため、少し歩けばすぐに方向感覚が分からなくなりました。
アイフォンのマップがそこそこ大きな道路を選んでくれたからか、適度に商店があり人通りがあり、都会ではないが田舎でもない感じ。
高台の建物は、こうした石垣があるところが多くて、そういえば阿部作品にはこのタイプの石垣がよく描かれてるなーと思いました。



垣の穴には、いちいちペットボトルやら缶やら何かが詰め込まれていて、退屈に飽かした子供がねじ込みながら歩いたのかな、と想像すると、実にあべとも的な風景ですね。(わざわざ動画で撮りました→www.instagram.com/p/BSI8oJAgftB/www.instagram.com/p/BSI8q35ALwR/


起伏の激しい道をうねうね歩くことしばらく、細い川に出ます。川一帯に、甘ったるい匂いが漂っていました。これはーー!!
「ああいい匂い クッキー工場だ」のクッキー工場! 『ちーちゃん』の終盤で、ナツが幼い頃の自分たちを幻視しながら通りがかるところです。ほんの少しばかり前でしかない子供時代に対する、強烈な郷愁と断絶を描いた名シーンですが、本当にいい匂い! これだったのかー!
空が灰色だから』で「とれちゃった屋敷」の隣にある建物もここがモデルじゃないかな? 近くにとれちゃった屋敷はなさそうだったのでほっとしました。




『ちーちゃん』 197頁より


淡い緑のお屋根が少しメルヘンチックです。


写真だけ撮って素通りしようと思ったら、工場の前で何か販売をしているので寄ってみました。見れば、賞味期限が近い(といっても翌月か翌々月)お菓子を値引き価格で売っているのですが、びっくりするほど安い! コープや成城石井でそこそこのお値段で売られている「神戸のクッキー」が150円! さらにパイ詰め放題というのがあり、100円・200円・300円の袋があるので100円の袋を選んだのですが、100円でも充分すぎるほどでした。最初、ちょっと控えめに詰めてレジにもっていくと「もっとぎっしり詰めてくださっていいですよ」と言われ、強欲かしらんと思いつつぎっしり詰めるとまたも、「もっともっと入りますよ、袋からはみ出ても構いませんよ」と言われ、このような状態に……。思わぬ買い物をしてしまいました。昭栄堂製菓最高!



袋も激可愛くないですか?(ちなみにこの写真は後述のイオンで撮っています)


近くで新たにタルトの店も出店したとのことでした。なんかおしゃれ!




……というわけで思わぬ寄り道をしてしまったものの、粛々と川べりを散策します。この川、福田川は、『ちーちゃん』作中で何度かナツとちーちゃんが渡る川ですよね。


川沿いのなんてことない光景ですが、なんだかこれもあべともっぽい光景だったので撮りました。垂水は町全体が、阿部作品の匂いに満ちていました。



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そしてここまで来れば、「ジョスコ」にも行ってみたくなるのが人情というもの。
川沿いを「コープ福田」まで歩きます。このあたり一帯はコープが多いようです。ちなみに『空灰』の「ガガスバンダス」の背景は、おそらくコープ高丸ですね。
コープ福田まで出れば、あとは大通りを歩いていくだけで、これも歩けない距離ではないな……と思ったのですが、これまたすごい坂!



写真では分かりにくいかもですが、かなりの傾斜で、皆自転車を押して歩いていました。夏は大変だろうなぁ……。
この坂を延々と上ったところが「ジョスコ」です。そういえば「8304」にも「坂の上」のジョスコが出てきましたっけ。
途中、道の片側には団地が広がり、ちょうどちーちゃんやナツくらいの年頃の女の子たちがきゃっきゃしていました。




そして!坂の上にお城のごとく聳えるジョスコ……でなくてイオン! でかーい!




『ちーちゃん』59頁(スキャンが少し歪んでおります、申し訳ない)



ジョスコでなくイオンに変貌してますが、「飲食街」の文字とスポーツクラブの看板が同じ!
ただちょっと形状が違うので、絵は建物の反対側かな?



『ちーちゃん』の中でもイオンの回は好きな回です。私も長女なので、ちーちゃんのお姉ちゃんには感情移入してしまいます。ダダをこねるちーちゃんに苛立ちつつも200円あげて「よかったじゃん」というくだりの表情の変化。カップル(おそらく好きだった男の子とその彼女)を見かけたお姉ちゃんの表情に、失恋の苦さのみならず他の同年代の子と違う事情を背負ってきた苦労が感じられるところ。「靴くらいで」という短い台詞に籠められたあれこれ。等々、この作家の繊細な描写が詰まっていて本当に上手いなアと思う回です。
写真を撮っていませんが、入口やエレベータで二階に上がっていくところは、漫画そのままでした。

そしてフードコート!


お分かりでしょうか?このお店。おねえちゃんが大衆の面前でカウンターで合わせた現場ではないか! メニューの写真が漫画そのまますぎて驚きました。 フードコートのお店って入れ替わりが激しいのに、描かれた当時と変わっていないんですねぇ。


フードコートの隣では、なんかシュールなやつが光っていました。



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少し不穏な天気になってまいりましたが、ジョスコ、いや、イオンから出て坂を下ります。坂のずっと下のほうに、明石海峡大橋のアタマだけ見えるのがお分かりでしょうか?



歩いてみて分かったことですが、『ちーちゃん』ラスト回で、ナツは2万歩は歩いていると思います。それなのに、バスに乗ってラクをしようとした自分を責めるなんて……。そりゃそうだよ、疲れるよ、バスに乗ってもいいよ……。


坂を降りると再び川に出ましたが、この光景は! まさにここが「未来がせまいよ」(211頁)の橋でありましょう。日本漫画史上でも屈指であろうと思われる名モノローグ、「未来がせまいよ」は思春期をはるか遠く経た私にとってもあまりにリアルに響く台詞でした。



遠景も写っているので未来があんまりせまくなさそうな写真になってしまいましたが、漫画では、ナツが橋から真下を覗き込んでいたことが分かります。しかも、どなたかも書いておられましたが、山陽電鉄もJRもある海へ続く下流ではなく、狭まってゆく上流を眺めていたのです。


ここからはもと来た道を旭が丘まで戻るのみでしたが、しかしせっかくならやはり、あの風景を見てみたいものです。
何も調べず来てしまったので、辿りつくのはムリやろな、と思っていたのでしたが、でたらめに歩いていたらなんと、すんなりこの光景に辿りついてしまいました。

これはー! 隣にたしかに電話ボックスがあったようでしたが(台座と表示だけ残っていた)、今は撤去されていました。こんなところには、時の流れを感じます。


『ちーちゃん』94頁より



思いっきり住宅地なので、不審がられないか心配しつつシャッター切りました。前方にも、スマホ持ってふらふらしてはる人がいたので、おっ聖地巡礼仲間か?と思いましたが、単にふらふらしてる人のようでした……。
この坂を少し登れば、例の階段が!




階段を上ると、突然視界が開けて、団地の向こうに広がる明石海峡





このスポットに辿りつける気はしていなかったので、感激。作品を読んでいなくても思わず歓声を上げたでありましょう。
これまで、神戸の山側からはどこでも海が見えるものと思っていたのですが、今回、意外に海が見えるスポットは少ないのだと分かりました。それが、鬱蒼とした住宅街の中の道を抜けると突然海が見えるのです。
右手には明石海峡大橋、淡路島。
溜息とともに、ぼんやりくゆる海の向こうに浮かぶお舟を、しばらく眺め入ってしまいました。


そう、『ちーちゃん』に何度か出てくる(表紙内側のイラストにもなっている)海はこの風景でありましょう。
ナツは作中で、自分の町を「つまらない町だ」(198頁)と言います。垂水がモデルなのであれば、山側は閑静な住宅街、海側に出れば電車も通って明石にも神戸にも出られて、良い町やんか、と思っていたのでありますが、今回分かったこととして、なるほどたしかに中学生の足では海までずいぶん遠い。もうちょっと大人になれば行動範囲も広がるのかもしれないけれど、中学生のナッちゃんには、何もない町に閉ざされてる気持ちであったのかもしれません。
しかし、作中で一瞬、高台から見える海にナツが「この町も悪くないのかも」「なんだか私たちって今一瞬だけ世界で一番美しい2人だったかも」(98頁)と思うあのシーン。あの場面で描かれる海がまさにここから見える海なのでしょう(その台詞は、その後の伏線となるわけですが)。

ここまで来て、はっきりと、ああ『ちーちゃん』は、作者が垂水の町を、おそらくは2000年代の垂水を、宝石箱みたく閉じ込めようとした作品であったのだな、ということがよく分かりました。



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この日はほぼ何も準備せず行ったので、この後漫画を読み返して「アッ、ここも見たかった!」というところが多々あり、垂水訪問はぜひ第二弾を開催したいと思います。

あれからまた、阿部作品を再読しておりますが、とりわけ何度読んでも名作であるのが、単行本未収録「7291」です。
住宅街、団地、母子家庭、という阿部作品の定番モチーフが詰まりつつ、この作家の最高傑作なのではと思います。

https://t.co/vkdB23ceJ1


これもやはり、垂水がモデルと思われる高台の住宅街が舞台です。「覇気を感じない灰色の町」という独白とともに、「ババア」が街を見下ろすところから始まり、そういえばちょうど私がジョスコ(イオン)からの坂を降りたときも街が西日に照らされていたな、と思い出しました。「8304」でも垂水と思われる町が「灰色」と表現されてましたっけ。

「バンドもしてないのに音楽での成功を夢見てイキがっている男子、実はマザコンニート」という滑稽でブラックなネタ、としてなら『空灰』のショートにもありそうだし、昔のクラスメイトに聞こえよがしに悪口を言われるところなどは、典型的な「鬱漫画(つらみ漫画)」なのでありますが、この作品はその後の展開で、鮮やかに、単なる「ブラック」や「つらみ」をはるかに超えてゆくのです。
冒頭に、阿部共実の作品は、その風景を通じて、現代日本社会の普遍につながってゆくと述べたのですが、この作品は、さらにそれをも超えた普遍につながってゆき、本当に名作だと思います。
勝ち組や負け組、リア充と底辺、なる二項対立の跋扈するテン年代の本邦において必要な漫画なのでは?
この作家特有のおかしみある台詞回しも炸裂しているし、単行本化されなかったら日本の損失だよぅ。

最後の頁、少し髪の伸びた「ババア」がもう一度街を見下ろします。台詞はなく、独りでいる理由は語られません。