前篇よりの続き――
【これまでのあらすじ】 そんなつもりはなかったのだが、ついうっかり、石川県は小松市のパラダイス「ハニベ巌窟院」にやってきた僕たち。未完成の大仏や有象無象の像たちにアテられつつ山道を登ってきた僕らの前に現れたのは、「この先洞窟入り口」という、見るからにイヤな予感のする看板であった。―――
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此処まで来たらば後には退けない!
どっきどきしながら洞窟へ。
これ、本当に、ちゃんとした洞窟で、横溝なら事件が起こりそうな風情であります。解説によると、元々石切場であったものを利用したとのことでした。
洞窟内は薄暗く、足下はところどころ水浸しです。天井が低く、少し背の高い人なら腰をかがめねば頭を打つ程度。
行く手には、薄明かりの中、なにやらよくわからん像たちがぼやーんと浮かび、ろくでもない先行きが予感されます!
入洞です。
最初は、夢牛なる縁起もの、歴史上の人物の像などまだ平和でありましたが(だがこの時点で既にアテられていた)、奥に進むにつれ、なんだか気味の悪いレリーフやなんだか前衛ぽい像が現れ始め、後戻りできぬ空気に。連れはぽかーんと口を開け、「なるほど…なるほど……」 しか言わなくなりました。
ヒンズー教由来らしき像もちらほらありましたが、どうやら、ヒンズー教が混合するとパラダイス度が上がる法則がありそうですね。
夢牛。
初代院主の夢に出てきた牛。
牛の上に硬貨を置くと、90年の存命中全ての夢が叶った院主にあやかれるらしい。。
お釈迦様の一生が彫られています。
「世にあまた招き猫あれど ハニベの招き猫は正統なり」!?
招き猫ろうそく
真っ赤な阿修羅
なぜか突然の前衛ゾーン。ふつーに仏像と並んでいました。
突然の商売っ気。だが何か沈鬱な胸像たち……
ここでこれを見て、「よし、胸像作ってもらおう!」ってなるのかな……
と、ここまでで既にお腹いっぱいになりそうですが、ここからが本番でございます!!
地獄門!
牛頭と馬頭が控える地獄門。その向こうには、脱衣婆の姿も見えるのがお分かりでしょうか?
この洞窟内地獄がどうやらハニベの目玉らしく、いただいたパンフレットのキャッチコピーにも 「究極の地獄めぐり」とあります。(「ここは地獄か? はたまた極楽か?!」 ともあるんですが、地獄めぐりってんだから地獄じゃねえのか……。)
なお、連れのキャメラには、めっちゃ嬉しそうな私の姿が記録されておりました。
遅いうごきに定評のあるわたくしめですが、手が高速でうごいております…… 繰り返しになりますが、本当に自分はパラダイス(地獄なのにパラダイスとはこれ如何に)が好きなのだなあ、と実感できる画像でありました。僕、パラダイスが好きだ、中途半端な気持ちじゃなくて、ああ、やさしいから好きなんだ、僕、パラダイスが好きだ。
さて、三途の川を渡り、いざ地獄めぐりへ。
地獄には、六道珍皇寺の地獄絵や金剛宮で馴れておりますので、どんな地獄もどんと来い!と思っていたのですが、しかしここの地獄には、予想以上にライフポイントを削られることになるのでした!
※ 金剛宮の地獄はこちらです: http://yaplog.jp/maternise/archive/668
三途の川にどっかで見たことのあるやつがいる
あいつは………シーマン!!!
三途の川を渡ったところには、地獄定番、鬼たちの像です。
宴会の様子はなかなか楽しそうではありませんか。
だがよく見ると、鬼たちの食べているものは、目玉の串刺し、耳と舌の甘煮、面皮の青付け、人血酒……こ、凝ってる!! でも、人血酒の徳利に、「むぎ焼酎」って書いてない?
この鬼たちはまだ愛嬌がありますが、切り刻まれる人の像、蛇に絡まれる人の像、など、奧へ進むにつれ次第に陰惨度(とわけわからん度)を増してゆきます。
肉屋のように
ちょっと楽しそう。大道芸?
蛇と蛙……らしいがよく分からず。
そして! やってきました陰惨ゾーン。
真っ白な男女の裸像ですが、男は引きちぎられた舌の部分、女は刳り抜かれた目の部分のみ鮮やかな赤。
この人たちは「人をたぶらかした罪」でこんな目に遭っているそうです。つまり、舌三寸でたぶらかした者と、色目を遣ってたぶらかした者。
こ、この慣用句的比喩が通用しない世界、たまらんですなあ。
像の横には「作品にお手を触れないでください」という札があり、ああ「作品」という意識なんだな、と分かります。なお、これらの陰惨像は、二代目院主の作品のようです。二代目院主については後述。
これは! 陰惨ゾーンの極めつけ。
「わが子を殺した罪」で「産んでは喰い喰っては産む産みの苦しみ」を味わっている女性像らしいのですが、開いた脚の間に胎児のようなものが流れており、思わず目をそむけたくなります。人間とは! ようこんなにえげつないことを考えるものですな!
てか、水子供養をメインにしてる寺でこんなもん飾っててええんか……。
そもそも地獄極楽系アトラクションは、地獄極楽という宗教的表象を用いて、猟奇趣味やサドマゾヒズムを充足させるに恰好のものではあります。
金剛宮でも考えたことですが、地獄極楽系アトラクションが、必ず明らかに地獄のほうに力を注いでいるのは、そういったわけでありましょう(極楽はたいていおざなりな有難さ)。
私の祖父母は毎朝寺に通う熱心な仏教徒であったのですが、私は子供の頃、祖父母から見せられる地獄の図に、ぞくぞくと胸をときめかせていたことをよく覚えております。あれは明らかに、セクシャルな興味であり、衛生博覧会的猟奇趣味でありました。祖父母に、地獄について書かれた本を買ってほしいとねだり、「小さいのにえらいなあ」とその信仰心を誉められたりしたのですが、こちらは信仰心でなく猟奇的興味からねだっているので(もちろん当時は、猟奇とかサディズム/マゾヒズムとかいう語さえ知らなかったわけですが)、なんだか非常にうしろめたいきもちになったものでありました。
私が衛生博覧会系パラダイスを好むのは、そのときの自分のうしろめたさが救われた気がするからかもしれません。「なんや、信仰とかいいながらみんなそうなんやん!仲間やん!」 といった感覚を覚えるからかもしれません。
それにしてもハニベ、エログロ度合いにおいては、金剛宮を凌いでいるのではないでしょうか?
「乱用の罪」で「一物重く足腰立たず」な人。
どんだけ乱用したのか、白目です。
尿道口は開いているので一応使用可能。
髑髏の原
ヴィジュアル系バンドのアルバム裏ジャケって感じ
髑髏ゾーンを抜けたところでリアルに ひいっ!となりました。
「不敬罪 最高の罪」 という札の横に、首だけにされた男性像があるのですが、なんといいますかこれは、ほんまに怖かった!のです。
怖いといいますか、なんともイヤーーーな気分になる。得体の知れない情念を感じる。なんだこれは?
最初は直視できないくらい恐ろしく、カメラを向けるのも戸惑ったほどでありました。
これは、まぢ、凄い!!
しかし、人並み以上にはパラダイスを見てきたと思いますが(人並みがどの程度なのか知らないが)、こんな怖いパラダイスは初めてです。
洞窟の閉塞感、暗さ、足下のぬかるみ、そこにライトを浴びて浮かぶ陰惨オブジェの数々。抜群のロケーション!
ふとケータイを見ると、洞窟内はデンパ、いや電波がまったく入らないではありませんか。3GもLTEも壊滅です。今ここで洞窟が崩れても、誰も救けにくることなく、われわれはここで、わけのわからん気味の悪いオブジェに囲まれながら朽ち果てるのか……。
さて、そんな地獄ゾーンをようやく抜けると、奧に有難そうな不動明王像が鎮座ましましています。
これは、あれかね、よくある、陰惨な地獄を見せ続けた果てに、「こうなりたくなければここでお祈りしてお賽銭を」というパターンかね、けっ…… と思いつつと近づきましたらば、
「この不動明王は交通安全を守護して下さいます」
ファァッ!? 交通安全?! 地獄の話はもう終わったのか!!??
或る意味、すばらしい商売っけのなさです! すばらしい!!
本来はここから、「大涅槃像」があるという自然公園に抜けられるらしいのですが、今回は 「この季節は荒れているから」 という理由で立入禁止でした。無念。
渋々と元来た洞窟を戻ります。
連れは譫言のように、「勉強になった……勉強になった……」 と繰り返しておりました。なんの勉強だ。
帰り道、極楽ゾーン(?)にレインボーカラーのお地蔵さまなど有難げな像が端々に立っていましたが、地獄の気合いの入れようには及びませんでした。
パラダイス系の寺には必須の、男女和合像もあり。これは、二代目院主の処女作だそうです。
「古代インド寺院の彫刻ミトウナ像であってこの種のものは大胆な図柄からのエロティックなものが多いがこれは甚だおとなしい」 と解説があります。
ところでこの多作であったらしき二代目院主という方、ここを訪れた後で調べて知ったのですが、事件を起こして以来隠居されているそうなのです。
その事件とは、参拝者の女性に対する強制わいせつであったとのこと。
そういえばここまでの地獄めぐり、「乱用の罪」や「たぶらかした罪」など、性に関する罪状で罰を受けている亡者が多かったことに気づきます。
さらに、ネットで知ったところによりますと、二代目院主の隠居とともに撤去された、時事問題を扱った一連の像がかつてあったらしいのですが、それも、某府知事のセクハラ事件であるとか某省官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待であるとかの性に関する不祥事を扱ったものが多かったようで。
この二代目院主! (病跡学的に?)ものすごく気になる!
おそらく、ご自分もそうした欲望に振り回されがちな人だったのではないでしょうか。ネット上に残された資料からは、ご本人もそれを自覚していたらしきことが窺えます。(参考:http://www6.plala.or.jp/karip/nidaime.html)
しかし、自覚し、それを創作に託しても、それを以て欲望を克服すること、性欲動を昇華することは困難なのでありましょうか。
創作と昇華といえば、アンナ・フロイトは、論文「打擲幻想と白昼夢」(1922)において、サド=マゾヒスティックな空想を作品化することによってその空想が消失したという事例を報告しています。だが、かような理想的な昇華とは、むしろレアケースなのでありましょうか。
などということを考えてしまつたのでありました。
なお、この日、夜まで謎の動悸が止まらなかったことを付け加えておきたいと思います。
おまけ)
売店で、おみくじを引きました。今年初めてのおみくじをハニベ巌窟院で引くことになるとは!!
「恋愛・縁談: すべてよすぎてこわれることあり」!? こんなことを言われたのは初めてだ!うわーーー!!
だが、ここに来た時点でもういろいろこわれているのだ! なんでも来い!