亡祖父のつくったひらがなつみき

わたしが修論をあげた頃亡くなった母方祖父(通称:おぢい)は、まあ、ちょい変わった人でした。


そのおもしろ発言の数々については、以前に何処かで書いたように思うので、割愛しますが、孤高の職人的なたたずまいを持ち、いつも小刻みにぷるぷる震えながら、ゆっくり喋るのです。
「職人的」と感じたのには理由があって、おぢいは趣味で骨董(本人は「ごもく」と呼ぶ)を集めたり、絵を描いたり、木を彫ったりしていました。
子供の頃、わたしが広告の裏などにしょーもない絵を描いておぢいに見せにいくと、おぢいは古道具の銘を探すときのように、そのしょーもない絵が描かれた紙を透かしたり裏返したりしながら、だるまさんのような眼でぎょろぎょろと眺めるので、少しく緊張したものです。
そして、わたしは勝手に、おぢいは骨董を鑑定したりとか彫刻をしたりとかで生計を立てているのだと思いこんでおったので、「おぢいは実はサラリーマンだった!」と知ったときの衝撃は計り知れません。だって物心ついたときには、おぢいはすっかり仙人のような風情であったのだもの。

とはいえ、ぶっとんだ変人というわけでなく、基本的には寡黙で生真面目な人でした。
そういえば、修論提出から公聴会までの間は、葬儀とお供養と併行していて大変だったがなんだかきれいな気持ちであったなあ、など、この季節になると思い出しますよ。





さて先日、母実家を掃除していた際、そのおぢいが描いた絵がでてきました。
積み木に描かれています。そういえば子供の頃、これで遊んだ覚えがあります。
これはもともと、ディック・ブルーナの絵が描かれた知育玩具でして、積み木の表裏にひらがな一文字とそれに対応する絵がそれぞれ描かれており、遊びながら文字を覚えられる、というものなのですが、遊びすぎてもとの絵がはげてしまったところに、おぢいが独自に絵を描いたようです。

ブルーナに似せようと努力しつつあんまり似てないその絵が、しかしなんとも味があったので、思わず写真を撮ってきました。









なんで「の」で「いのしし」なんだ、なんで「ぬ」で「いぬ」なんだ、とか、「ふくろー」という音引きとかたまらんもんがあります。

わたしがなんかちょこちょこ書いたり描いたりするのんを好むのは、おぢい由来の血であるのかな、とかおもっています。
まあぜんぜん、仙人的境地には至れておりませんが。