遺言:遺影に関して

わたしの家族の特徴として、やたら「人の顔のことに言及する」ということが挙げられます。

子供の頃、友人の家に遊びに行くと、親御さんがテレビでニュースを観ていたのですが、彼らはそれを観ながらマジメに社会や政治について論じており、
「なんて知的な会話なんだ!」
と驚いた記憶があります。

これが我が家であれば―――
たとえば凶悪な犯罪事件のニュースであっても、まず、

「この犯人、おもろい顔してるなぁ」
「髪型もけったいや」
「これで○○歳!? 老けとるなぁ」
「せやけど近所の○○さんにちょっと似てへん?」
「似てる似てる!!」

と一通り盛り上がり、その他諸関係者がちょこっと画面に映れば、彼らについても、

「あの人、変なとこにホクロあるわ!」
「あの人、若いのに禿げてる」
「あの人、えらいわし鼻」

などとこと細かにつっこみを入れてからやっと、
「物騒な世の中やなぁ」
とお義理のように事件の感想が述べられます。
麻生内閣の政策に文句を言う際にも、「なんでこんな口歪んでるんやろ」という枕詞なしには話が始まりません。(福田のときには、「鼻の下長っ」。)


こうした環境で育ったため、わたしは常に、ひとから自分の顔について何を言われているか、ということに怯えてきました。
とりわけ、今から心配なのは、「葬式」です。


葬式ではたいてい、遺影が飾られます。
そして、人間というものは神妙な場面であってもくだらないことを考えるものであるというわたしの信念に拠って推測するならば、退屈な読経の流れる中、ひとびとはその遺影を見て、いろいろとろくでもない思いをめぐらす筈です。

例)
・たれ目やなぁ
・そばかす多いなぁ
・うわー、歯並び悪っ
・おでこが………
・しっかし間の抜けた顔やなぁ
・童顔やと思ってたけど、よう見たら老けてはるわ


などなど。

写りのよい写真を選んだら選んだで、
「ほんまはあんなんじゃなかったのに、修正しはったんやわ、ぷぷ」と思われるに違いありません。
死んでまでそんな嘲笑の眼差しに晒されるのはいやです!
わたしは安らかに眠りたいのです!
しかも、生きてる間であれば眼差し返し嘲笑し返すことも可能ですが、死んでしまったわたしにそれは適いません。



というわけで、遺影はやめてくれ!ということを以って、現時点での遺言とさせていただきたいと思います。

私が前触れもなく、或る日突然死んでしまったなら♪ と始まる歌で、お気に入りのドレスを焼いてくれとか思い出の海で泣いてくれとかCoccoは歌っておりますが、そんなことより遺影です遺影です。
もし、どうしても何か故人を偲ぶよすがが必要であるとするならば(わたしを偲びたいなどという奇特な方がいてくださるかどうかは不明ですがいると仮定して)、写真の代わりに、似顔絵を使っていただきたいと思います。
とりあえず候補をあげておきますので、もし不慮のことがありましたら、ぜひこれでお願い申し上げます。








優しい微笑みで貴方を見守ります。