おはかまいり写真

母実家のお墓参りにいきました。
これまで一緒にお墓参りにいっていた親戚も、ひとりずつ参られる側になり、さみしいことですが。

母実家の墓は、なんというか、エンターテイメント性があってたのしいです。


池を越えて橋を渡ると、個性的なお顔の仏さま。その後ろには、アフロさん。



さいきん知ったのですが、アフロさんは有名仏らしいです。
この日も、明らかに墓参りに来たのではないっぽい外国人観光客が、カメラを構えてアフロさんの周りにいはりました。
アフロさんの隣には、山崎闇斎先生の墓の位置を示す石碑と、「会津墓地参道」と書かれた石があります。
この寺は、会津とゆかりが深い寺で、墓地には会津藩士の眠る一角があるのです。
母方祖父(通称:おぢい)も元を辿れば会津の出らしく、会津には勝手に親近感を抱いています。

アフロさんの後ろ姿。





いい感じの草。




頭の上にちょこんとボンネットお帽子(のような菌類)。




などなど面白いものがあるたびに立ち止まるので、なかなかわが墓にたどり着けず、桶を持つ手が痺れた頃に、到着。
「だぼーん」と唱えながら水をかける、手を合わせる等、一通り墓参り的な儀式を済ませます。
(注: おぢいが亡くなる前によく、「だぼーんと水を飲みたい」と独特の擬音語で以って水欲を表現していたため、墓に水をかける際は「だぼーん」と唱えることになっています。母方一族は、造語癖・造擬音語があるのです。)





おぢい墓におまいりしたあとは、おぢい墓の周囲の墓にも水をかけてまわります。じつは、おぢい墓の周囲もすべて親戚墓なのです。さいきんは、親戚内で、「最も親戚墓に囲まれた場所」に墓を立てる権利をめぐって悶着があったのだとか。そんなに、死んでまで親戚づきあいしたいもんなんでしょーか。

もはや顔も知らんし、親戚なのかどうかも定かでない親戚の墓、また「火事のときにおおばあちゃんを助けてくれたらしい近所の人」という既に神武天皇並みの伝説上の人物などの墓も混じっていますが、無差別におまいりして回ります。
なんの関係もない人の墓に参ってなんとなく縁者が増えたような気になる、墓参りの醍醐味です。
桶の水がなくなったところで墓参り終了。

このロゴ入り桶、かっこいいし、欲しいな。風呂屋で使いたいです。



長い石段を降りて、引き返します。
石段からは、京大、平安神宮京都タワーまで、東山の町が一望できます。
途中、ふと気付くと、足元の石段は、かつて墓だったであろう石で出来ていました。
そして、道の両脇には、朽ちた墓石が野ざらし状態に転がっています。昨日降った雨水が溜まっていました。
なんだかんだと大事にしても、いずれはこうなるのでしょう。無常ですが、それでこそとおもいます。




写真を撮っていると、母が、「墓場で写真なんか撮ったら心霊写真が撮れるかもしれんで!」「ここにおぢいの霊が写るかもしれんし撮って!」とはしゃぎ、霊と肩を組むようなポーズを示すので撮ってやりましたが、墓場でひとりでアホのようなポーズをつける母しか写りませんでした。

石段のふもとにいる人を指して、叔母が、「あッ!おぢいがいる!」と言うので目をやると、確かによく似た男性の姿が。しかし、近くに寄ると、単に頭がはげただけの別人でした。

その後、母と叔母は、子どものころの遊び場だったという山門の裏で、カエデの葉を摘み「タケコプタ!タケコプタ!」と、子どものようにはしゃいだのでした。




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墓参り中に、亡おぢいに関する思い出をいくつか思い出しました。


1)
小学生の頃、夏休みの宿題をしにこの寺に来たときのこと。従姉のYちゃんと山門を写生(まず射精と変換されるわがPCよ呪われてあれ)していると、ふらっとおぢいがヤクルトを持ってきてくれて、とてもうれしかったということ。
しかしこの回想は、10年ほど前に再構成されたものです。

わたしは、例のはにかみ笑いのような笑いとともに現われた祖父の姿と、「うれしかった」という感情しか覚えていなかったのですが、Yちゃんによると、そのときおぢいはヤクルトを持ってきてくれたらしいので、「うれしかった」はおそらくヤクルトに由来するのでしょう。
しかしこのYちゃんの談話を聞いたこと自体が10年ほど前ですので、Yちゃんがヤクルトといったのかピルクルといったのか定かでなく、以上の再構成は10年前の再構成と違うものである可能性があります。こうやって歴史というものは作られていくのかとおもいます。

2)
もうひとつはけっこう近い記憶で、2000年にわたしが出した年賀状をおぢいが気に入ってくれていたということ。
この年賀状は、「なんだあれはっ」と至るところで不評だったのですが、「おぢいはあれが好きらしく、ずっと裏返したり逆さにしたりして眺めてた」という話を後で叔父から聞いて、うれしかったものです。
おぢいに絵を誉められたりすると、なんとなくいっちょまえになったような気がしたのでした。
その年賀状というのは、コレです。





おぢいよ……。
これの何が一体気に入ったのか、結局聞けずじまいでした。

なお、おぢい墓には、わたしの描いたインビュー画も一緒に眠っています。納骨の際に、叔母が、「おぢいが淋しがるからこれも一緒に入れよう!」と入れたのですが、そんなものを一緒に入れられて当の故人はどう思ったことやら。
イヤ、死んでいるのだから、どうも思っていないに決まっているのですが。
さんざん墓参りましたが、死者の霊とか先祖の霊とか全く信じていません。ただときどき、生きてる者が、そんなものがあるような気になって自分勝手に慰められたり励まされたり有難がったりすればそれでいーのんです。