祖父、あこがれのぽっくりを果たす



こんにちは。すっかりいい季節になりましたが、実は一昨日まで葬式でした。
父方祖父が、全老人の憧れだというぽっくり逝きを果たしました。
散髪して、晩御飯を食べ、風呂に入ってのぽっくりでした。
93歳でした。これまで祖父を気遣ってくだすった方、祖父ネタをおもろがってくだすった方には心よりお礼申し上げます。



この間母方祖母を見送ったばかりで、半年経たんうちにまた身内を送ることになるとは思ひませんでした。
突然の逝去だったため、何の準備もなく、一旦事故死扱いになったせいで深夜に警察がわらわらやってくるわ、謎の宗教の人はやってくるわ、親戚がフリーダムな行動に走るわ、坊主が大遅刻してくるわで疲労しました。
最後の夜は、葬儀場に遺体とふたりで泊まったのですが、そのときになってやっと、ゆっくり悲しむことができたのでした。
しかしまあ、闘病の末に壮絶に逝った母方祖父に対し、要領のエエ父方祖父らしい逝き方だったのではないかと思います。



最期の数ヶ月は、頭はしっかりしておれど体がなかなか自由が利かず、介護もかなり難儀であり、諸々苛立ったりもしたのですが、しかし、常に当たり前のように家に居た者がおらんようになるとやはり淋しいもんですね。
うちは、ここ25年間家族人数に変動がない(誰も生まれておらず死んでおらず出ていってすらいない)という気色の悪い家庭だったのですが、ここへきて25年ぶりに、7人家族が6人家族になってしまひました。



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さて、祖父の人となりをひとことであらわすと、「食べ物大好き」 でありましょう。
とはいえ、別にグルメではなく、しょぼい菓子とか安物のスーパーの惣菜とかが好物でした。


納棺の際、葬儀屋の方に 「趣味のお品や愛用品を納めてあげてください」 と言われたのですが、祖父の趣味やこだわりの品など、誰一人思いつくことができず、結局、

 「おじいちゃんの趣味………強いていうなら、食べることやろ」

ということになり、さまざまの菓子が納められました。



彫刻や骨董集めなど多趣味であった母方祖父に対し、父方祖父には趣味らしい趣味は皆無でした。
ただ、元気だった頃(五年ほど前まで)は、日曜のたびにデパ地下に行き買い物をしたり試食をしたり試食をしたり試食をし、帰りに喫茶店でトーストセットを食べるのを楽しみにしていました。
また、兄弟が尋ねてくると仲良くあんみつ屋へ連れ立っていきました。祖父家系は酒が一滴も飲めない甘党でした。


足腰が弱ってからはデパートには行けなくなったものの、近所にできた100均に買出しにいくのが娯楽だったようです。
ですが、祖父はなぜか、100均に行くときは必ず、

 「ちょっと神社まで散歩してくる」

とうそをつくのです。
ある日、わたしが帰宅するとちょうど、手押し車に大量の100均菓子を搭載して帰ってきた祖父と遭遇してしまったのですが、「買い物行ってきたん?」 と尋ねると、明らかに大量の100均菓子が手押しから覗いているにもかかわらず、

 「ん、ちょっと神社まで散歩してきてん」

と涼しい顔で答えるのでした。(注:神社と100均は真逆の方向。)
ちなみに、祖父は100円ショップのことを、「十銭マート」 と呼んでいました。




祖父はこれまで、何度か大病で入院し、そのたびに復活を遂げてきたのですが、かなり食欲がその原動力になっていたように思います。
数年前に循環器系の病気で入院した際は、もうダメかもしれないと医者に言われており沈鬱な気持ちで見舞いに行ったところ、祖父の姿がない…!
祖父は、安静が必要であったにもかかわらず、勝手に病院内を歩き回り、病院の食堂のメニューをリサーチしていたのでした。
(その後、「カレーがうまそうだった、ここの食堂はええ」としつこく語っていました。 そういえば、京大の食堂にも「一度連れていけ」としつこく言われていたのに、結局連れていけなかったのは心残りといえば心残りです。)

わたしの口唇欲動の強さはこの祖父から受け継いだものであると思われます。
わたしも死んだ後、「あの人は食べることしか趣味のない人やった」 とか言われるのでしょう。
他にも祖父の食に関しては、「ホカ弁マルつけ事件」とか「プリンおねだり事件」とか「突然ピザ事件」とかさまざまなエピソードがあるので、そのうち書ければと思います。


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そんなわけで、今回棺には、好きだったキャラメルコーンやらチョコやらまんじゅうやら大福やらすっぱムーチョやらカントリーマアムやらを入れ、最近毎日のように食べていたスーパーのたまご巻き(特売)までおさめ、さらには、晩年気に入っていた大原食堂のうどんの写真も入れました。
葬儀屋さんはさぞかし、「どんないじましいじいさんやねん」 と思われたことでしょう。


  


あと、急に思い出したこととして、祖父は漢字にやたら詳しかった、ということがあります。
子供の頃、読めない漢字があると祖父に尋ねて解決していました。特に覚えているのは、「褥」を「しとね」と読むのを教えてもらったことです。
祖父は、最期は何度かデイサービスに行ったのですが、皆のレクリエーションの輪に入るのがイヤで、いつもひとりで片隅で漢字パズルをしていたとのことでした。

父方祖父と母方祖父は、片や愛想が良くチャッカリしていて、片や無骨で不器用と、対照的なじいさんたちでしたが、二人とも酒席や宴席のような、皆で輪になって盛り上がる場は苦手でした。それが共通点でした。
だからわたしが陰気なのは、両祖父からの遺伝なのでしょうがないのです……。



祖父ネタは尽きることなくあるのですが、このくらいにしておきましょう。
とりあえずこれから、遺された祖母のサポートが大変なことになりそうな予感です。
当ブログの祖父記事アーカイブをまとめておきましょう。


あぶらだこ http://yaplog.jp/maternise/archive/121
発言集 http://yaplog.jp/maternise/archive/171
渡し賃  http://yaplog.jp/maternise/archive/407


今回、納棺の際に六文銭を納めるときには、思わず渡し賃事件を思い出して笑ってしもうたのでした。