もよりんぬ(挨拶)。
京街道歩き記の続きです。
前回はこちらです:
前回のあらすじ:朝7時中書島を出発。道に迷ったり道に迷ったりしながらも大きなトラブルはなく追分へ到着。「ブラタモリ」を見てやってきたミーハーなやつと思われたくないという無駄な自意識を発揮しつつも、見知らぬ旅人と言葉を交わし旅情緒を満喫する春の日であった――
追分到着時点でまだ午前11時半頃。天気も良好で、過去二回の京街道徒歩で見舞われた「修行のターン」もなく、概ね順調な行程です。終点の大津京町まではあと少し。このまま無事ゴールできるのか――?
■ 追分~蝉丸神社

さて県境を越えると、名神高速・京阪電車・交通量の多い二車線の車道が走り、それらと山に挟まれた歩道をしばらく歩きます。京都-滋賀間を往来する車が車道にはひっきりなしですが、歩行者はほとんどいません。
「右 一里丁 左 大谷町」。

「一里丁」はこのへんの地名で、かつて一里塚があったことに由来するらしい(今調べました)。

「月心寺」というお寺(?)。橋本関雪の別邸で、今は料亭らしい。

中を観たかったのですが入口がよく分かりませんでした。なんか荒れてる石段に踏み入って靴が砂まみれになった。これは石段から道路を見下ろしたところ。

大津算盤の始祖・片岡庄兵衛の碑。

大津算盤というのが日本の算盤の発祥だったそうです。片岡庄兵衛という人、ぜんぜん知らなんだ! 歩いていろいろ見るとそういう知らなんだ地域の有名人を知れるのがよいな~。ちょっと前に大津市歴史博物館で大津算盤企画があったようです。
大津の古文書9 大津算盤をつくった人々|お知らせ|大津市歴史博物館
途中、線路を渡ってみました。線路の向こう、高速の高架にトンネルが作られていたので、どこに続いてるんやろ?と気になったからです。

トンネルの向こうは、山の裾野の墓地でした。墓地の入口でおじいさんがおしっこしてたので慌てて引き返しました。
東海道歩きの人のために、親切な表示あり。

指示に従って陸橋を渡ります。
陸橋渡って京阪大谷駅を過ぎると、蝉丸神社!

蝉丸神社はもう二十年ほど前に一度訪れたはずですが、あんま記憶がありません。
めっちゃどうでもいいんですが、以前、「ねむいよ~~」と思いながらも午前3時くらいまで起きてしまって本を読んでいた際、「弾丸のように速く…」という表現を目にして延々と、
「え? 蝉丸ってそんな速かったんやっけ……」
と考え続けていたことがありました。眠いときは寝たほうがいいです。
神社の石段下にはかつての車石が残されています。たくさんの人や物が運ばれたんやなあ……。

灯籠には「蝉丸大明神」。


神主さん不在になってました。



境内の緑が綺麗で、ベンチに座ってちょっと休憩しスマホポチポチしておりましたらば、「どこまで歩かれるんですか?」とまた声をかけられました。若い男女でした。このお二人の姿は先ほど追分あたりでも見かけ、蝉丸神社に入ったときに「あ、さっきの人たち」と思いつつ、お若いカップルさんは声かけられるの嫌やろなと思って話しかけずにいたのでしたが、向こうから声かけてきてくれたんでした。街道を歩くとどうも、人は他の旅の者に話しかけたくなるようです。お二人は遠方から車で来て東海道を歩いているらしい。「愉しんでください!」と去ってゆかれました。一期一会だ~。知るも知らぬも逢坂の関すぎる~~!!
蝉丸神社の駐車場。なんかある~~石碑かお地蔵さんかな? と近づいたら、うなぎのかねよの案内やった!!

■ 逢坂の関っ!!
そう、蝉丸神社の向かいには、有名なうなぎ屋「逢坂山かねよ」があるのです。きんし丼発祥の店らしい。たまにはこんな店に入ってみたいもんですのう……と思いつつ通り過ぎます。
うなぎ顔出し看板

見えてませんが紫ののぼりには「鰻福感」って書いてありました。

ハン六ってここが創業の地やったんや! イオンモールによく入ってるイメージ。

今調べたらハン六て東京に一店舗ある以外は関西にしかないんや! へ~。二代目が大津絵の絵師やったんですね。
で、ここに休憩スポットがあり、逢坂の関碑が建ってます!





この一帯は「これやこの」だらけ、蝉丸インフレです。
そんなこんなで時間は12時半頃、逢坂の関を越えました。「逢坂の関を越える」って古文でちょっとエッチな婉曲表現として出てきたなあ。「こころやましなに」経てきた時に別れを告げまして大津京町方面へ。




■ 蝉丸神社、蝉丸神社
しばらく歩道が狭く歩きづらい道が続きます。このあたりは明らかに歩行者向けの道でないにもかかわらず、やはりぽつぽつ徒歩の人がいました。海外から来てるっぽい人たちもいました。東海道歩き流行ってるんやなあ。
歩いてると、また蝉丸神社!
さっきのは蝉丸神社分社だったらしいです。昔に来たのはこっちだったような気もしてきました。


ペグレス(仮)に写真を送ったら「大慌て!!」と帰ってきた。「蝉丸」を「大慌て」の枕詞やと思てる人特殊すぎるから!


「これやこの」かと思ったら「努力すべし」やった。

こちらの蝉丸神社は石楠花がきれいでした。


鳥居から街道を見下ろしたところ。

近くには「旧逢坂山隧道入口」がありました。


日本人の技術者が主体となって設計・施工を行った初の山岳隧道、明治11~13年に作られたもので、生野銀山の労働者が手掘りで掘った、との由。扁額は三条実美の揮毫。扁額も、苔生して古びた煉瓦もかっこいい……。鉄道好きなのかな?と思われる人が写真撮ってはりました。
しかしこうした遺物を見ても、近代以降のインフラの蔭にはすべて過酷な労働とその搾取があったのであろうなあ、そのうえに生きるわれわれよ、てなことばかり最近考えてしまいますわ。日頃親しんでいる道路もトンネルも疏水も護岸もいろんなものがそうなのだよな~。偉い人は出来上がったもんの額に字ィ書くだけでそらよろしわ、とかすぐ思ってしまう。
追分からここまで一号線沿いを歩いてきましたが、このあたりで道が分岐します。一号線とは逆の道へ進みます。

山を抜けてやうやう「街」っぽくなってきました。

街道のあちこちで蓮如に出遭います。
線路の向こうにまた蝉丸神社があった!?

さっきのは「上社」こちらは「下社」らしい。本日三つ目の蝉丸神社や。そして昔に来たのはこっちだったような気もしてきました。記憶は曖昧!
飛び出し蝉丸だ!


ここには「小町塚」もあるのでした。小町終焉の地伝説っていろんなところにありますよね。

矢印は藪のほうを指していたけれど、結局どれが小町塚か分からなかった。その寂しさも小町らしい気がします。
きつねさんが割れていた。

全体的に、なんか荒れてるな~と感じたのでしたが、wikipediaによると、2010年に宮司さんが逝去した後管理者不在で老朽化が進んだのだそうです。そういや近所の神社の宮司さんからも、神社業界人不足で大変、みたいな話を聞きました。
■ ゴール!
JRの線路。またかっこいいトンネル。ここまで来たら終点は間近。

「小町湯」。美女になれそう。



大津宿本陣跡の碑。新しそう。
そして京町1交差点――。



なんということもない普通の交差点ですが、ここが京街道の終点……らしい! ウワーッ!! 急に終わった!!!あっさり終わった! おつかれ!俺!
この時点で時刻は13時半くらい。30000歩程度でした。
三回に分けて歩いた京街道でしたが、ともかくも大阪京橋から滋賀大津までがつながっていることをわが足で確認できたことになり、満足であります。総歩数は(道間違い・要らん迂回・ショッピングモールの中を歩き回る等含め)60000+35000+30000=125000歩程度ということになります。総距離はおよそのおよそですが、41km+25km+30kmくらい。参勤交代は一日40km歩いたと聞くし、参勤交代二日分くらいか。そう思えばたいした距離ではないな……。
ここの交差点にあったカフェで食事にしました! このお店、素晴らしかった~~!!



特製カレーと手作りチーズケーキを食べたんだけど、リーズナブルなお値段やのに大変美味しくお店の雰囲気も良く、本とか読んで長居してしまいました。最高最高。ご馳走様でした。ちょうど翌週から休業とのことでした。再開したらまた行きたいです。今度は宝石パフェってのを食べてみたいな~!!
■ なぜか疏水沿いを歩き始める
さて、食事を終えて14時半頃。当初の予定ではここからほど近いJR大津駅あるいは京阪浜大津駅で電車に乗り、京都の実家へ戻る予定でした。
しかし、良いお天気でまたお昼だし、それに……なんだか……ちょっと歩き足りない気もする………。朝7時前から13時半まで歩いていて「歩き足りない」もないもんですが、京街道歩き初回が6万歩(ヒール靴)だったことを思えば、もうちょっといけそうな気がする……! 私はすっかり徒歩中毒になっていたのでした。
私は、朝に墨染あたりで橋を渡った疏水のことを思い出しました。そういえば、琵琶湖疏水大好きと言いながら、疏水の出発点って見たことないな~。浜大津駅の近くらしいし、疎水の出発点を見て帰ろう。ってことで、商店街(良い感じ)を通って疏水へ。
来た!

道路を隔ててあちらは琵琶湖。
わ~~!! これが疏水の生まれるところか~~。これが、あのあれ、テントウムシの餌になるヨモギの葉を取ったり(※個人的な思い出)昔に踏水会の子たちが泳いだりしていた岡崎の疏水につながるのだな~~。



疏水沿いは綺麗に舗装され、ご老人の団体やカップルが散歩しています。


ここで琵琶湖疏水のサイト(https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/)を見ると、「疏水沿いは全コース散策できるように整備が完了しました」みたいなことが書かれているではないですか(注)。そこで私は思ってしまったのでした。これ、京都まで疏水沿いをぽてぽて歩いて帰れるのでは……? と。
(注:今改めてサイトを見てみたらそんなことは書かれていませんでした。単に「道標を整備しマップを発行した」との内容を誤読したようでした………)
………歩き始めました。



疏水の上を走る京阪電車

このあたり、少し前までは桜がきれいだったのであろうなあ。

■ 孤独の小関越え
そして……第一トンネル。ここからしばらく疎水は見えなくなってしまいます。

疎水沿いの散策道はここで途切れました。あれっ、京都まで続くんかと思ってた。ここで満足して電車乗って帰ってもよかったんですが、もうちょっと歩こう、ということでマップに沿って歩きます。
長等神社

桜の残ってた公園

ここにも蓮如が。隣の碑には「小関越」の碑があるが私はよく分かっていなかった。

「三条 五条 いまくま」という文字もあります。今熊野ってそんな存在感あったんや。
「かたゝげんべゑのくび」という怖い看板がたくさんあるんで調べてみたら、ひどい話でした(検索してください、三井寺ひどすぎん?)。

民家の並ぶ小径から、次第にひと気のない道へ入り、お墓の横を抜けて……

なんか山に入ってしまった!! これが「小関越え」か!
そりゃそうか、滋賀から京都に抜けるのに山道を通らないわけはないんですが、なんか平坦な疎水沿いをずっと歩いていけるような気がしてしまってた~~!アホや!
道は舗装道ではあるものの、左右鬱蒼と樹々に囲まれ、ひと気は全然ないし淋しい! しかしここから駅に引き返すのも面倒であるし……進むか! これもまた私のよくあるパターンで、「1km引き返すのを面倒臭がり10km歩く羽目になる」みたいなことをよくやるのです。今回もまさにそれでした。けっこうな上り坂であるしだいぶ疲れてきたところで「峠まで800m」という表示が目に入り、このうえまだ800m上りが続くのかああ! と思うももう引き返せない。やはり今回も「修行のターン」が発生してしもた! 人間は、ときどきバイクの人とロードバイクの人が通るのみ。自分の呼吸音だけが響く山道。「暴走族に絡まれたらどないしよ、熊が出たらどないしよ……」と怯えながら歩いていたんで写真もあんま撮ってません。途中で老人ホームの看板を見かけたので、「暴走族か熊に襲われたらあそこに逃げ込もう」と考えながら歩きました(※あとで地図見たら老人ホームは道からめっちゃ離れたところでした)。

登り始めて30分くらいか(※という体感でしたが今記録を見たら15分くらいやった)、どうやら峠に到着!
峠には小関地蔵というお地蔵さまが祀られています。人間がいるわけではありませんが、寂しい道を延々歩いてきてこのお地蔵さんに出遭えたときの安心感がすごかったです。


「峠の地蔵さん保存会一同」名義の文章が良いので引用しておきます。
「こゝは北国街道 京都から近江路を湖北に通ずる小関峠の頂きに安置されて居る御地蔵さんの御堂です(喜堂(よろこびどう)) なんと素晴らしい御堂の名称でしょう そのルーツの詳細は知る由もありませんが十数年前大津に通じる道路の拡張工事が行われた際 叢に放り出されて居た御地蔵さんを見つけて今の地に安置されました それよりこの人里離れた峠へ毎日供花をかゝす事なく、近郷近在からのお詣りも絶ず、延々数千人の方々の一円からの御奉謝により、ここに立派な御堂が建立される事になりました。皆様の心が一つになって建立された喜びを忘れず御堂の名称といたしました。末永く庶民の暮しと交通の安全をお祈りいたします」
こうして歩いているとほんまに至るところにお地蔵さんやそれに類するものがあって、人間ってずっとこうして路地のあちこち街の・里の・山のあちこちで祈ってきたんやな~と思います。この文章の横に柿本人麻呂の和歌などが掲げられてるのも風流。いつ頃のものなのかな。この下には、地蔵の管理者に連絡を求める企業からの貼り紙がありました。どうしはってんやろ。
峠を越えて下り坂になりました。やった! しかし相変わらずひと気はなし。
分岐点の案内板が現れ、「琵琶湖疏水→」の案内に従って進むと……

さっきの道より更に鬱蒼とした道になった! 


ひきつづき熊とか蛇とかに怯えつつ進みます。しかしちょっと歩くと材木会社?の工場があって、やや人間の気配がしてきました。普段は「人間嫌だよ~~」と思っているのに、やはり人間は人間に出遭うと嬉しいのやなあ……(ちょっと舗装された山道を越えたくらいで大袈裟)
この道でええんかな? と不安でもありましたが、疎水設備が現れました。これは「第一竪坑(シャフト)」。

説明板によると、「シャフトとは地表から垂直に掘り下げた坑道で、工事の促進・換気・採光のために作られた」もの。疎水工事の責任者であった田辺朔郎という人は、一番苦しんだのは竪坑だが工事において安心感を与えてくれたのも竪坑、と答えているらしいので、大事なもんやったんですね。
■ 山科入り
バイパスの高架と交差して、やっと下界っぽくなってきました。小関越え、越えた! 民家もあるっ!



寂光寺というお寺があり、摩崖仏があるようでしたが、人員不足のため要予約となっていました。(検索してみたら今はお堂内に安置されているようでした)

おおお 疏水がトンネルから出てきた~~!!(※変な表現)


ここまでの長いトンネル、すなわち長等神社の手前から小関峠を経たところに至るまでのトンネルが「第一トンネル」。トンネルの出入口にはこうした説明版が整備され、各トンネルの扁額が解説されています。
扁額はいずれもビッグネームによるものでここのは山縣有朋のもの。「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」。そうどすか。元勲って嫌いやけどミーハーでもあるのでぜんぶ写真撮ります。(※正確にいうと「元勲を好きなやつに嫌いなやつが多い」。)

ここからは疎水沿いの散策道が整備されているので新緑(と咲き残る桜)を愉しみながらそれを歩きます! いつしか滋賀県から京都府に入り、山科区四宮のあたり。時間は16時過ぎ。琵琶湖を出発してから1時間とちょっとです。



樹々の緑が嬉しく、水の緑が嬉しく、木漏れ日が嬉しく、同じような写真ばかり撮ってしまう~~。先述の通り、疎水は子供の頃の記憶と結びついています。とりわけこの季節の疎水はそう。疎水沿いを歩く間、ずっと馴れ親しんだ匂いに包まれていました。そんな感傷の一方で、やや膝が痛い!! 今回は(こんなに歩くとは思っていなかったため)膝サポーターは装着していませんでした。どうやら3万歩を超えると膝が痛くなり始めるようです。かつ、下りの道に弱いようで、小関越えの下りでやられたものと思われます。膝問題はもう、筋肉を鍛えるしかないのでしょうか? しかし膝は痛いがもう平坦な道だし心は穏やかです。
一燈園があったり……
疏水と並走する線路(JRと京阪かな?)を見下ろしたり……


一輪咲き残った桜を見つけたり……

■ なぜか父遭遇
ところで同日、父は自転車でそこらへんを走っていました。
父は自転車めちゃ距離走り男であり、私がめちゃ距離歩き女となったのはこの血縁的影響があったことは否めません。また、父は、京都市内どこでも現れ人間でもあります。綿矢りさ『てのひらの京』に、京都は小さい街だからどこでも誰かに見つかってうかうかデートもできやしない的なくだり(絶対こんな書き方じゃないけれど手元に本がないので正確な引用ができずご容赦ください)があったのを覚えていますが、それそれまさにそれ、私にとって京都は「なぜかどこに行っても父に遭遇する街」でありました。中学生のとき家からそこそこ離れた道を塾をサボって歩いていたらば「おう、何しとるんや」となぜか父が現れたり、も少し長じて男性と歩いているところをなぜか目撃され「あれ誰や」となったり……。で、このとき、ふとLINEを開いてみると、父のGPS(事故に備えて自転車走行時はオンにしてもらっている)が、疎水沿い、私の歩くすぐ後ろを示しているっ! ちょっと前まで全然違う場所にいたはずなのになぜか小関峠を越えて同じ道を走って近づいてくるっ! こちらはGPSつけてないのに!何故!こわい!!
GPSで父が近づいてくるのは分かったので、そちらの方向へ立って待ち構えていたところ、「うわっ、なんか変な服の人がいると思うたら娘やった!」「なんでいるんや!」と驚き、写真を撮って去っていきました。(下は直後に送られてきた写真)


■ 山科~蹴上へ
さてこの時点で16時半。父は「歩いてたら日が暮れるからここから四宮駅に降りて電車に乗りよし」と言い残していったのですが、無視して歩くこととします。
なんか「友愛」碑があった。これと同じときのやつかな?

つつじが少し咲き始めていました。



「諸羽トンネル」の出口



この橋は毘沙門堂に続く道ですね。
数年前、遠方から来たお友達と秋の終わりに毘沙門堂の紅葉を見て、それがとても良い思い出なのです。そのときに、山科って良いな~と思ったのでした。紅葉も美しかったけれど、今は緑。ときどきお花。

昔大文字山で走ってるイノシシとニアミスしたことがあります。こわかった。


安祥寺。


このあたりではJR山科駅に発着する電車の音がよくきこえます。以前、JR山科駅を通勤に使っていたことがあり、ホームから緑を眺めて良いな~と思っていたのでしたが、今その中を歩いてるのやな~。






17時を過ぎ、陽も翳ってきました。
天智天皇陵の裏を過ぎると、第二トンネルあり。いったん普通の道に排出されます。



扁額コレクションは井上馨。「仁以山悦智為水歓」。


扁額コレクション出口側。西郷従道。「随山到水源」。たしかに。
間髪入れずに第三トンネル。

ここで山に阻まれます。そうか、山科と蹴上の間に九条山があるんやった。山の中を抜ける道もあるらしいが、たぶんそれは大変すぎる。ということで、街側に排出されるしかありません。疎水沿いを離脱し細かな道を抜けて三条通まで出ます。
このへんにミネルヴァ書房さんがあります。お世話になっております。

ドアの取っ手はミネルヴァの梟の眼なんかな?

ここからまたも交通量の多い三条通沿いを登って越えて蹴上に至るんですが、これ、小関越えに次いでしんどかった!! 日が落ち始めたこともありますが、よく知っている道なので……なんかだるい!! 「どんな道も日々歩けば新たな発見があり面白い」を信条としてはおりますが(っていうか信条とすることに今した)、ここまでの疲労の蓄積及び膝問題により面白がる余裕がなくなってきた! この道も実は面白いものがいろいろあるんですが、はよ帰りたい一心やったので写真はほぼ撮ってません。(このへんについてはこの記事に書いてます:(本当の)五条別れ/蹴上~山科サイクリン - 京都ぬるぬるブログ2.0)


琵琶湖から9km……長いような短いような。ていうかむしろ「蹴上まで〇km」のカウントダウンが欲しかった!

東山老年サナトリウム、刑場跡らへん、自動車整備工場………歩きながら、学生時代に四宮で終電を失くして深夜にここを歩いて越えた思い出が甦ります。なんであんなことになったんだっけ……。
18時頃、永遠に続くかに思われた九条山を越えて蹴上に出たときは、思わず、はわーーーー!!! と声が出ました。
蹴上浄水場。つつじが咲き始めでした。暗くてわからんけど……

ここもまた思い出の地でございます。蹴上浄水場のことは以前別ブログに書きました(蹴上浄水場の思い出 - 採血の牛)
見過ごしそうな細い石段を通って……

疎水に再会!!


扁額コレクションは三条実美。「美哉山河」。痛き哉お膝。





一時期よく「ねじりまんぽ」と「あふりらんぽ」がどっちかどっちか分からなくなってたな~とか思いながらねじりまんぽへ。下校中の東山高校の子がいました。日常的にこんなところを通学路にしてるなんてすごいな。

はいはいはい!! ここまで来たら地下鉄蹴上駅から電車に乗るだけ!! 俺、おつ!!
………と思ったのですが、またも「地下鉄待つんなんか面倒臭いな」が発動し、さらにここから日が暮れ切るまで歩いてしまいました。ここから街なかに出て、観光客で混雑する中を歩いたときが一番しんどかったです。人のいない小関越えと人の良すぎる京都市街地、どっちもしんどいことが分かりました。

【今回の徒歩まとめ】
総距離:40kmちょっと 総歩数:60000歩くらい
(※序盤記録アプリをオンにし忘れたため正確な数は分からず)
所感:
・中書島~京町はあんまりしんどくなかった。山科も追分も逢坂も風情あるとこばっかり。
・東海道を歩くのがどうやら流行っている。逢坂の関近辺では皆声をかけあってこれやこのしている。
・蝉丸神社いっぱいある。超これやこの。
・新緑の疎水を歩けてよかった。
・やっぱり山はしんどい。でも街もしんどい。
今後の希望:
・いつか三条から日本橋まで歩きたい。
・膝が痛くならないようにしたい。
