もよんもよん!(挨拶)
去年、急に「大阪~京都間を歩きたい!」と思い立ち、京街道を歩いたのでした。当時の記録は以下の通りです。
● 一回目:大阪京橋~橋本間
あらすじ: 大阪市から京都市に入れるかチャレンジ。ヒールのある靴で歩いたうえ途中で雨に降られふくらはぎが腫れる。京都府に入ったところでリタイア。京都市には入れず。6万歩。
● 二回目:樟葉~中書島間
あらすじ:前回の続きを歩く。淀~中書島間がとにかく過酷。道を間違え(自分のせい)道なき道をゆきいろんな橋が通行止めで迂回を余儀なくされる。3万5千歩。
その後、せっかくなら京街道の残りも端まで(大津まで)歩いてみたいな~と思っているうちに冬になり、あったかくなってからにしよ~と思っていたらいうてるまに春になり、これを逃したら今度は夏になってしまうので、エエ季節のうちに歩いてきました!
以下、今回の記録でございます。
今回のスタイル。津軽で買うた津軽鉄道ポシェットに地図とスマホをイン。

■ 中書島駅~深草
京阪電鉄中書島駅に朝7時前に着きました。ここを出発点とします。

駅前には部活の高校生とかがたまっていました。私は部活経験がないので(正確にはあるけれど1年半でやめたので)「試合や朝練のため朝から集まっている部活生たち」を見ると、むやみに申し訳ないような気分になります。しかし、そんな私も今日は朝から(無駄な)活動です!
酒処なので酒樽型のベンチ?オブジェ?があります。

このへんは何度も歩いている界隈でありますが、改めて歩くと愉しいな。
かっこいい銭湯の建物。「温泉」という文字が素敵。

めちゃ素敵なコインランドリーあった!!



ここで洗濯したすぎる!!
例の寺田屋。一応撮影。

朝7時でまだ開いていないはずですが、寺田屋の前に何人か人がいました。龍馬ガチ勢でしょうか?
寺田屋にはかつて一度入ったことがあるのですが、現在のは再建寺田屋(イミテーション寺田屋)なのですよね。であるにもかかわらず「ここが当時の刀傷、ここが弾痕」みたいな解説がされていてなんかすごかった記憶。とりわけ印象にあるのは「裸のお龍さんで有名なお風呂です」という貼り紙(たしかに有名やけど……)と「一万円チップ入り和紙カレンダー」です。「一万円チップ入り和紙カレンダー」は、本物の一万円を細かく切ったやつが練り込まれた和紙(なんでそんなことをするんや)に勘亭流みたいな字体で「坂本龍馬・大政奉還・薩長同盟」と書いてあった。龍馬業界なんかすごい。
ともかくもこのあたりが伏見宿の中心ではあったんですかね? 前回徒歩の終点であった「京橋」まで来ました!



京橋からちょっと歩くと「電気鉄道事業発祥の地」の碑があります。

へ~。このへんから七条東洞院下ル(「しっちょのステンショ」てやつ?)まで敷かれた鉄道が国内初らしい。
京阪電車の線路の南側の道をしばしウニョウニョ歩きます。

このへんは土地勘あるので安心。友達と食事に来た黄桜、よく塾をサボって遊んだ大手筋、バイトで来ていた丹波橋……などお馴染みの土地土地。なお今回も基本的に京街道サイト(https://www.rekishikaido.gr.jp/kaido/kyou/)で得た京街道地図を使いましたが、地図を見るのが苦手であるため一部街道から逸れております。
この日は地図を二種もっていました。以前に印刷したものと新しいもの。前者は2020年版、後者は2024年3月版。細かな箇所が変わっています。たとえば、曲がる場所の目印が図示されているんですが、「家・喫茶店・食堂・駐車場」で形成されていた交差点が「コンビニ・薬局・薬局」になっていたりとか。質屋がなくなっていたりとか。たった4年の違いですが時の流れを感じます。
左が2020年版、右が2024年版。

伏見御堂(会津藩駐屯地跡)

伏見区役所のあたり


「現代的な建築の一部に残された大事にされてるお地蔵さん」大好き委員会

いかにも由緒ありげな街並み

このあたりはお寺も多い。勝念寺(かましきさん)というお寺、なんかカエルさんがいっぱいいたので入ってみました。信長の帰依した貞安上人という人ゆかりのお寺らしい。



中にもカエルさんいっぱいいた!

「かましきさん(釜敷地蔵尊)」は、地獄で釜茹での刑に苦しむ亡者に代わり自ら釜の中で苦を受けているそうです。なぜカエルがいるのかは不明でした(身「代わり」=かわる=かえる だから?)
こっちは招き猫いっぱい。




ややパラダイス感あるふしぎなお寺で好きになりました。他に女性成仏を表すという観音像(仏教では女性は女性の身体のままでは往生できないみたいなやつがあったようですがこれは女性身体のままの成仏を表しているらしい)とかもおはしました。

向かいにあった別のお寺。瓦に桃がいました。

小学生の頃、「屋根に桃のついたお寺は桃山時代に建てられた」と聞いて信じていたのでしたが、今調べたらそういうわけではないっぽい……
本町通(かな?)に出ました。「撞木町廓」の入口がありました。ここに遊郭があったのを初めて知りました。大石内蔵助がここで遊んだらしい。

向かい側には「陸軍用地」。(この近くには「師団街道」や「軍人湯」もある)

今は税務署になっています。

京阪墨染駅のあたりで、東に折れ、京阪の線路を越えて疎水を渡ります。


このあたり、悩める中学生のとき疎水沿いに延々歩いたりしたなあ……。
疎水は大好きです!(※後半への伏線となります)
趣ある蔵に各政党のポスター(いろいろ言いたいこと(某政党のイヤなポスターについて)があるがまたの機会に)

京都教育大学。友人の出身校です。


ここからJR藤森駅を更に東に越え、東山の山と山の間を縫って山科に抜けることとなります。
このへんからあんまり土地勘のないところ(私は京都市の平地しか知らない)。早速迷子になり、山裾の住宅街を彷徨い、山に突き当たってしまいました。というか、「行き止まり」と書いてあるのになぜか進んでしまい「あ、本当に行き止まりや」となりました……別にたいした失敗ではないのでいいのですが、しかしあらゆる局面における私の失敗の大半がこの「分かっていたのになぜかやってしまい『そらそうや』となる」やつであり、この繰り返しでいつかとんでもないことになるのではないかと恐れております。
まあ今回は知らない住宅街も歩けたしすぐに正しい道に戻ってこれたんで別にいいんすけど。気を取り直し、JRの線路の東側を歩きます。
錆びた柵の消えかかったイラストが良い感じ。

塗られお地蔵さんだ~~ 黄色い後光が差してる!


涸れている(?)川がありました。

大谷川

「大」のまんなかに虫さんいた。

■ 深草~山科勧修寺
府道35に出ました。

このあたりの地名は「深草」です。京阪深草駅の周辺だけが深草だと思っていたので、「深草」の範囲はずいぶん広いんやなあと今回知りました。どうでもいいんですが深草はなぜかよく夢に出てきます。このへんは仁明天皇陵とかあるらしいです。
ローソン寄りました。8時半頃、歩き始めて1時間半ほどです。いつも空腹の限界まで歩いてしまうので珍しく早めの休憩。「悪魔のおにぎり」を食み食み。

このタイプの商品名が嫌いなんすが(「悪魔的かどうかはオレが決めるんや!」と思うため)たしかに美味いことは否めない。会計してくれた外国人の店員さんがすごく感じの良い人でした。こういう方に会うたび、日本で嫌な思いしてはらへんやろかと心配になってしまう。俺っちの国、未だ先進国気取りのイヤな奴も多いからさあ……
悪魔のおにぎりを食べたので元気に再び歩き出します。ここからしばらくずっと道なりであるので迷子の心配もありません。
大岩神社の鳥居。
どんな神社やろ、と説明板を見てみたらば、中に堂本印象の寄進した「堂本印象鳥居」があると書かれていて、わーー!! 見てみたい!! ちょうど先日、堂本印象美術館が登録有形文化財になったというニュースを見たところでした。
しかし堂本鳥居まではこの鳥居から片道15分歩くらしく、しかもひと気のない山道が続いていたので断念しました。

あとで写真を検索してみたら、めっちゃ堂本印象鳥居でした(検索してみてください)。
このへんは京都一周トレイルのコースにもなっているみたい。

高速沿いに、テニスクラブとかゴルフクラブとかでかい施設が続きます。歩行者はあんまりいません。

たけのこさんがにょきにょき






このへんでやっと山科に入りました。9時過ぎ。「深草」から「勧修寺」に地名が変わります。伏見区と山科区ってこんなふうに接してるんですね。深草、広かった~!!

京都なのにくまモンいる。

4月下旬だけれどまだサトザクラが少し残っていた。溝が綺麗。

藤も綺麗。

高速道路からちょっと離れ、郊外感ある道が終わり風致地区に。勧修寺周辺です。山科区は三方を山に囲まれています。東に見える山が美しいです。

山科川を渡ります。

■ 小野~奈良街道

ここからは山科区をうねうね歩きながら滋賀へ向かいます。京都といえば碁盤の目、とお思いやもしれませんが、山科区は碁盤ゾーンではなく細かな道が入り組んで複雑。方向音痴のわたくしは迷うこと必至。
まず地下鉄小野のあたりに出ます。小野小町ゆかりの寺・随心院があるところです。9時を過ぎたのでそろそろお店が開き始め、小町に因んだお菓子を売る和菓子屋さんなどありました。
寄り道したいところはいろいろありますがカットして、水路沿いを東へ進みます。どうでもいいですがこのへんでお腹が痛くなりました(耐えてたら治った)。

うわああああん!! かわいいやつあった!!!

しばらくゆくと「奈良街道」の標識が現れました。これを北へ歩きます。

いろんなところから奈良へ行くいろんなルートが全部奈良街道と呼ばれたようで、この道もそのひとつらしい。奈良街道は細い道で歩道も狭いので自動車に注意しながらそろそろと歩くべし。



ここで名神高速を越えます。高速の下にひっそりとお地蔵さん。

高速効果の南北の地域が大宅。大宅一里塚があります。


大宅は古くからある土地のようで、大宅廃寺は白鳳時代の寺院らしいです。「大宅古海道町」という町名があって、海がないのになんで?と気になりました。
青いお山に抱かれて眠る京阪バスたち……愛しい。

このあたりはとにかくずーっと山が近くて美しかったです。
新しそうなまつやがありました。

すれ違った人たちが、「ずーっと平地やろ、どうせ琵琶湖は」「前に、カメムシの、あれに助けられて」という会話をしていました。何?

「皇塚」。山科区最古の古墳とされるが誰の塚かは不明らしいです。この一帯の地名「大塚」はこれにちなむようです。

また高架を越えます。これなんだっけ? 新幹線かな?(そして牛の店)

高架越えたところに道標がありました。「右 宇治道 左 大津道」とありますね。


■ 音羽迷子~追分
少し北に歩いたら一号線に出ました! ここはしょっちゅう車で通っている通りです。

近くにマールブランシュ「ロマンの森」があるんですよね~~。一度寄りたいと思いつつ通り過ぎてばかりの店舗なのですが、この日も通り過ぎました。また今度……。
地下道で一号線を横断し更に北へ行くと音羽。音羽川を渡ります。きらきらの川の向こうに山が見えてこの風景も良き。



ぽてぽて北へ歩いたら、また一号線に出ました。アレッ、さっき一号線を横切って北へ歩いてきたはずやのに、なんでや? そうかこのあたりで一号線は曲がってるんですね、ずっと五条通の延長上を東西を走っていたのが南北に曲がり三条通と融合するんでした。碁盤の目馴れしているわたくしは「道が曲がる」という事態に非常に弱い。まっすぐだった道が曲がるといつも混乱し方角を認識できなくなってしまいます。しかもこのへんはIC付近でもあり高架になった道路が入り組んでどこがどこやらオロオロ。完全に方向感覚を失い、地図を見て「とにかくなんか高架をくぐればよい」と認識した結果、違う高架をくぐってしまい反対方向へ出てしまい、小山へ迷い込み山の方向へ突進しそうになったところで「これはなんか違う」と軌道修正したのでした。(オレンジの線が私の軌道。北東へゆくべきところを南東へ迷い込んでおります)

迷子因としては、「洛和会音羽病院」の前の道を通らねばならなかったのに「洛和会音羽リハビリテーション病院」の前の道を行ってしまったことでしょう。これもまた前出の「分かっていたのになぜかやってしまい『そらそうや』となる」パターンでした。
しかし迷い込んだあたりも風情ある山間の住宅街でよかったです。あとで地図を見て「京の田舎民具資料館」というのがあったことを知ったので、今度行ってみたいです。
迷子中の写真。牛尾山への碑がありました。

ナンバー君発見。(私はナンバー君ファンなのです。過去記事はこちら:Do you remember ナンバー君 ? - 京都ぬるぬるブログ2.0)

キラキラの水路

もも

「北野姫子塚」

北野姫子さんという人名? このあたりは小山姫子町という町名なので、町名と関係あるなにかではありましょうが……。ネットで検索した限りでは、隣の「吉永大神」とともに、「何ものか分からない・ネットでは情報が得られない」ということしか分かりませんでした。地元の人に訊いたら分かるのかも。
ともかく音羽病院の前の道へ出て軌道修正します。ちなみに音羽病院、サイトを見てみたら、医学部に行った昔の友人がエライさんになってました。◯◯、元気ですか? オレだよ~~一緒に磔磔でハイロウズ観たホル子だよ~~!!

音羽地方はかつて水不足に悩んでおり、疏水から水を引いたこの水路の整備が画期的であったとのこと。(参考:ロータリークラブのサイト:https://www.higashiyamarc.com/volunteer/2022/racto.php)
水路は今でも現役のようで、この日はお花に彩られつつ涼やかな音を立てていました。音羽、よいところやなあ。


町名がめっちゃいい! 何があったのか?(検索すると由来を調べてはる方のサイトが出てきます)

また牛尾山への道標あり。

へ~~~ 縄文からの遺跡があるらしい! 山科は歴史ある土地であるなあ。

……てな感じで歩いていたら、此処に出ました!


わーー!!
追分道標だ!! 東海道五十三次と五十七次(=京街道)の分岐点です。
去年、タモリが『ブラタモリ』で五十七次を歩いていたとき、ここから出発していたはず! ここに出ると急に地図をもった人たちが複数ウロウロしてはりました。
文字では「わーー!!」と書きましたが、「ブラタモリを見てやってきたミーハーだと思われたくない」という無駄な自意識を発動しいったん「ふーん」という顔で通り過ぎたため(※本当に完全に無駄な自意識)、上の写真は、到着後しばらくしてから撮ったものです。そんな無駄な自意識をよそに、地図をもった人の一人が「あなたも歩かれてるんですか?」と話しかけてきてくれて、ちょっと会話をすることができました。私が大津へ向かうというと、「こちらはさっき大津から来たんです」とのこと。その方は宿泊しながら東海道を東京から歩いておられるのだそう!! うわーーー!! めっちゃ羨ましい! 実はそれ、ずっとやってみたいと思っていたのです。最近『東海道中膝栗毛』も読み始めたし……。一日にどれくらい歩いてはるんかとか、どこが難所だったかとか愉しかったかとか訊けばよかったな~。
ちょっと情報交換してではお気をつけてと別れました。あちらから来た者とこちらから来た者が追分で少し言葉を交わして行き交うの、めっちゃ街道の旅っぽい! これやこのっぽい!


もっかい写真撮って徒歩再開。

ここから大津方面へ伸びる道、いかにも街道の情緒を醸して素敵な道です。

県境に出た! わわーい!!
ここも写真撮ってる人がいはりました。


街道から見下ろしたところは交通量の多い道路なのですが、いつも車で滋賀へゆくとき通る道です。徒歩だとこうなってるんか~と分かりました。

滋賀名物とびだし坊やと遭遇。

高架の下にまたお地蔵さん


ここから京阪電車の線路沿いの道を歩き、いよいよ逢坂の関へ向かいます。お天気は良くて徒歩日和だし、何回か迷子になったとはいえたいした迷い方はしておらずむしろ迷い先も良い道で愉しかったくらいだし、毎回訪れる「修行のターン」が今回まだ発生してないな~~。いいぞいいぞ。このまま無事ゴールできるのでしょうか? 後篇に続きます。