【津軽旅行記】太宰めぐり

今回の津軽は母と巡ったのでありますが、太宰ゆかりの地巡りでもありました。

中学生の頃であったでしょうか、家の本棚にひっそり埋もれていた『人間失格』に気づいたのは。イヤイヤ期のダメ中学生には魅惑されざるを得ないその書名に惹かれて開いてみたものの、旧字旧仮名本であったため文章が頭に入らず3頁くらいで諦めた(人間失格にも失格した)のでありましたが、それはどうやら母の本で、のちに母が「親が買うてくれた他の本は全然読まへんかったけど、太宰治だけは何回も読んでボロボロになった」「ダメダメなんが面白うて何回も読んだわ」と語るのを聞き、へええ、と意外に思ったものでした。きちんとした大人に見えた母に、ダメを愛するそんな心があるとは知らなんだのでした。『人間失格』はもう少し長じた頃に無事読むことができ、「ワザ、ワザ。」に、葉蔵と一緒に非常なショックを受けたのを覚えています。吉田山の公園で読んでいたため、このシーンの鉄棒と吉田山公園の鉄棒が自分の中で一体になっています。……とまたどうでもええ思い出を書いてしまいましたが、そんなこんなで母もずっと津軽には行ってみたかったらしく、今回母娘二度目の東北シリーズと相成りました。

 

ちなみに今回の旅行の準備↓ (オレは旅行前から全力で旅情緒を愉しもうとするタイプ)

 

 

トカトントンスクエア

さてさて、五所川原の街を歩いているとこんなものを発見しました。

 

 

トカトントン専用駐車場……!?

トカトントンスクエア!?!?

何故!! と思ったらば、これは「太宰治『思ひ出』の蔵」に併設された商業施設であったのでした。にしてもなぜ「トカトントン」の名称が選ばれたのかは不明ですが……。

「買いましょ、食べましょ、集いましょ、癒されましょ、笑いましょ」の看板と名称のギャップよ~~!! いや、でもよく考えれば「笑いましょ」的なお話だった気もしなくもないような……???

 

太宰治『思ひ出』の蔵」は、「思い出」をはじめとした作品に登場する太宰の叔母の家の蔵を再建したもの(実際の蔵は解体されたがその際の部材がもとになっているそうです)。実際の当時の叔母の家はこのすぐ近くだったそうです(現在もご子孫がおられ、前を通って勝手にドキドキしました)。かつて蔵にあった金庫や水瓶(これのおかげで母屋が焼けたときも蔵は助かったらしい)、太宰の飲酒セット(酒が手に入りにくい戦時中も叔母は太宰のためにこっそり酒屋から分けてもらっていた)、当時の手紙や写真などが展示されていました

スタッフの方のお話が面白く、当時の写真に写っている人々のことや今でもご存命の関係者のことなど、地元ならでは解説を聞かせてもらい長居してしまいました。


昨今は海外から「聖地巡礼」に来る人も多いそうです。中には小泊まで行く人もいるとか。凄い気合や。小泊へも行ってみたかったのですが(三上寛の出身地でもある)、津軽鉄道から更にバスに乗る必要があるので今回は時間の都合上諦めたのでした。小泊には、『津軽』ラストを再現した太宰とタケの像があるらしく、ちと見てみたいです。

 

■ 旧津島家新座敷

蔵を訪れた後は今回のメイン目的・斜陽館を訪れるべく金木へ。金木駅は、五所川原から津軽鉄道で20分程度。

駅から斜陽館への道の半ばに「太宰治疎開の家」があります。先にこちらにお邪魔しました。旧津島邸の離れだった邸宅で、戦時中の疎開後に太宰が住んだところ。「パンドラの匣」や「トカトントン」や疎開の道中の話「たずねびと」(これがめちゃ好き!)が此処で書かれたそうです。

戦後、母屋(現在の斜陽館)から切り離して移設された離れは、長らく存在を忘れられていたそうですが、最近公開されるようになったのだとか。おお~~斜陽館だけ訪問したらば「離れ無いやん??」となっていただろうから先にこちらを訪れてよかった~~!! 見学者はわれわれだけで、管理人さんにじっくり案内していただけました。

 

離れといっても普通に広い!! 我が家数個分くらいある! 中身はもちろん我が家と比べ物にならない。これは素敵な洋室。

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洋室のソファ。このソファに座って写された写真がありました。

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ハートの模様が可愛い!!

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「故郷」で病身の母が寝ていた十畳間。

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書斎の机。机に広げられている原稿は「親友交歓」(これもかなり好き)でした。

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座布団が置かれており、「座ると文章が上手くなるそうですよ」と言われたので畏れ多いながら座らせてもらいました。なんか変な気持ちになりました。今んとこ文章力に特に変化は見られまへんな……

 

建物内のいろんなところに、作中の言葉が散りばめられていました。
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管理人さんの熱の入ったお話が大変面白かったです。津島家先代の物語に始まって当時の階級社会での地主の家庭の様子……、聴きながらえらい家に生まれてしまった青年の苦悩を追体験するかのようであったし、実際に家の中を回りながら、此処で酒盛りをした、此処でこんな姿勢で座っていた、と説明してもらったことで、まるでそこにその姿が見えるかのようなふしぎな感じになりました。訪ねてきた文学青年たちの緊張をほぐすために自ら先に酒を飲み始めたエピソードとか、奥さんとは互いに敬語で会話をする夫婦であったという話とか、母も「彼の知らない一面も垣間見られた」とときめいておりました。

太宰の話を聴かせてもらったのみならず、京都のオーバーツーリズムがつらいという世間話を聞いてもらえたのも母は嬉しかったようです。母は「『思ひ出』の蔵」でも京都の過密を愚痴っていました。っていうかこの旅行の間中ずっと京都の愚痴でした(人の少ないところに行くたび「最高や!それにひきかえ京都は……」が始まる)。

 

当時の庭とは違うようですがお庭も素敵でした。
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此処を見学しているうちにえらい大雨になってきました。無理やり母の傘に入り(自分の折り畳み傘を出すのがめんどかったため)「自分の傘さしよしな!!」と言われながら斜陽館へ走ります。

 

斜陽館へ行く道で見かけたとても良い感じの看板。もう営業されてないのかな。

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■ 斜陽館

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ついに斜陽館へ!! 此処は観光バスなどのルートになっているのかお客さんが多かったです。土産物売場があったり撮影スポットがあったり、THE観光地という感じでした。あんな作品を書く人のおうちが観光地になるなんて、ふしぎなものであるなあ。

 

立派な樹

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撮影スポット(威張られたときに使いたい)

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そして……でかい!!! 想像してた10倍くらいでかい!!

 


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これは津軽鉄道内から撮った写真ですが、金木駅に着く手前から斜陽館の屋根が見えます。でかい!!!!

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邸宅(離れ無し)だけでこの広さ。更にかつては、此処だけではなく、この一帯の広大な土地が津島家のものであったわけですよね。ほんまにえらいところに生まれてしまわはったもんや……。

 

お庭。ちょうどつつじが色とりどりに綺麗でした。

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仏壇もでかい!!! しかし細部の作りや仏具が我が家のそれと同じでした(宗派が御揃い♡)。
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母の部屋だったところ。向かって左からふたつめの漢詩の最後に「斜陽」の語が見えます。
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こちらのサイトによると、杉森久英による評伝にこの漢詩についての記述があり、それによると東久世通禧という人の詩であるそうです。

 

こんなんバルチョーナクの階段やん。(※鯉登と尾形がすれ違ったアレ)f:id:kamemochi:20240528214226j:image

 

襖の模様に至るまで、ひとつひとつの調度の趣向の凝らしっぷり。
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太宰の作品は孤独でありながら人懐っこく読者に語りかけてくるから、それを読む者はまるで自分のことが書かれているように感じるし、「この作者のことがこんなに解るのは自分だけに違いない!」と思ったことある人は世界にn百万人いるでしょう。でもそれを書いた人は、大多数の人間の想像の及ばんようなおうちに育ったのであるなあ。んで、(本人の本意でなくても)その出自の物語も込みで親しまれてきた作家であるのでしょうが、ともあれ、えらいおうちに生まれて特に疑問も抱かずスイスイ生きてゆく人々もいる一方で、彼がそうではない人、今の言葉でいうたら「こじらせた人」であってくれたおかげで、うちらはあれらの作品群に出逢うことになったのであるなあ。

 

私は太宰は「人並みに好き」という程度のライト読者でありますが、今回の旅準備として諸々読み返す中で、昔読んだときにはよく解らんかったところがクリティカルヒットしたり思わず「はわ~~!」と声が出てしまったりして、やっぱすげええ~~最高や~~!!と思いました。

 

「恥しい思い出に襲われるときにはそれを振りはらうために、ひとりして、さて、と呟く癖が私にあった」(「思い出」)

 

「でも、中年の女の生活にも、女の生活が、やっぱり、あるんですのね」(「斜陽」)

 

金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。(「津軽」)

 

「曰く、家庭の幸福は諸悪の本」(「家庭の幸福」)

 

 

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■ 産直メロス、メロス号、そして「ラブホテル太宰」の謎

斜陽館では、太宰グッズもいろいろ売られていました。私はこういう文豪土産(そんなジャンルあるのか)みたいのを見るのが大好き! 「太宰の悩みを一緒に背負えるTシャツ」とかあって笑いました。

斜陽館の向かいは「産直メロス」です。

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太宰が結核に苦しみながらも「自分が死んでもこの作品はずっと残るのだから」と書き続けた、という話を疎開の家で聴き、そんなふうに信じて書ける人がどのくらいいるだろうか、と感銘を受けました。しかし、死んでも作品は残ると思っていた太宰は、死後に「産直メロス」や「メロス号」や「人間失格カステラ」が登場することは想像できていたでしょうか?

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カステラは友人への土産です。

金木駅近くにはダザイカフェもありました(この日は閉まっているようでした)

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そういえば、私が最初に「青森に行ってみたい」と思ったのは、もう20年ほど前、まさに太宰の生家の近くの出身であるという人から「近所に『ラブホテル太宰』というものがある」と聞いたときでした。残念ながら今回ラブホテル太宰の存在は確認できませんでした。検索でも出てこないので消滅したのでしょうか……。行ってみたかったです。あ、書き忘れました。『津軽』で一番好きなところは、鯛が五つに切られて出てくるところです。