がんばって「自己啓発本」を読んでみるの巻(3)『究極のマインドフルネス』

べつに誰に頼まれたわけでもない「自己啓発本」を読むシリーズです。のろまな自分は一冊読むのにハチャメチャ時間がかかるうえに(※速読のすすめとかは不要です)、読んでから感想をブログにupするのにも年単位の時間が過ぎたりします。よって今回の本はだいぶ前に読んだものです。年末なので下書き供養ということでupしておきます。

ちなみにこのシリーズは、もう誰も忘れていると思いますが、2年前の秋にツイッターで「読書の秋100選」がいろんな意味でバズっていたことから始まったのでした。前回はこんまりでした。こんまりから得た学びの中では、「ブラジャーを色別にグラデーションにして収納する」ということを実践しております。

 

その後、マインドフルネス系の自己啓発本も一冊読んでおきたい、と思っていたところ、ちょうどdaigoのそれが100選に入っていました。daigoという人も話題の人ですが詳しく知らなかったので、これを機会に読んでみました。これが「マインドフルネス」の本としてどのくらいスタンダードなのかはよく分かりませんが。

 

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メンタリストDaiGo『自分を操り、不安をなくす  究極のマインドフルネス』(PHP研究所、2020)

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 メンタリストDaiGoという人は、ちょうど私がTVを見なくなった頃から流行り始めたのでその登場についてはよく知りません。気がつけば世間のダイゴが「竹下登の孫のダイゴ」からメンタリスト(って何???)になっていました。一度TVで、人の心を読む的なパフォーマンスをしているのを見かけたくらいで、その後youtuberとしての炎上(ホームレス差別発言等)で目にし「へ~こういうことを言うタイプの人なのか」と思い、そののちに本書を読んだので、何か悪い意味で過激な歪んだ主張がされているのかと案じつつ読んだのでしたが、第一印象は「なんか……すごくふつう!」というものでした。もちろん「すごくふつう」であることと歪んだ主張をもっていることは互いに排他的であるわけではないですが、それは措いておいて、少なくとも一見は、

・ごく穏当なことばかり書いてある

という感想をもちました。かつ、その際、海外の研究が示され、科学的な根拠づけがあることがアピールされている点が特徴です。つまり「科学的知見から穏当な主張を導く」でスタイルで、それ自体はすごくふつうであるのに、

・時折そこから誇大な万能感へ導かれそうになる。

という面があり、その面を面白いと感じました。

あと特筆すべき感想としては、

 

改行がものすごく多い!!

 

ということでしょうか。以下、具体的な感想です。

 

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■ なんか……ふつう!

 まず、「はじめに」では、まわりを変えるのではなく自分を変えていくほうが生きやすくなるという本書の方針が説明されます。「まわりでなく自分を変える」というのは自己啓発本に共通する柱であると思われ(自己を啓発するのが自己啓発なので)、数冊読んで既に自己啓発っ子のつもりになったわたくしめは「また来たっ」と思いました。「マインドフルネス」については、「もっと細かいところや、ふだん見逃しているところを、先入観をもたず、ありのままに見ることによって」(p.12)さまざまな「気づき」を得るものであると説明されます(「もっと細かいところやふだん見逃しているところ」が何なのかはよく分からない)。そしてこれにより共感能力が自然に高まり、人のために行動でき、自分自身も幸せになり、ストレスから解放されるなどの効用が説明されます。

 しかしマインドフルネスの具体的な技法に触れられるのは最終章のみであり、それ以前の第4章までは、思考面・行動面の習慣の変革の指南です。

 たとえば第1章では、うつの反芻思考から抜け出す方法が述べられています。人は「誰も助けてくれないからうつ病になる」のでない、「ネガティブ思考の結果、思考力が下がり、人が離れ、うつ病になるのだ」という主張がなされ(これにはかなり疑問がありますがひとまず措いておくとして)、ではどうすればいいのか ――方策として挙げられるのは、「森など自然の中を歩く」ということです。 えっ、なんかめっちゃふつうやん!!と思ってしまいました。たしかに自然の中を歩くのはふつうによさそう。しかしそのふつうな方策が、頻繁な改行を用いて妙にもったいぶった感じで説明されているので、何か可笑しみを感じてしまいました。「では、どんな森だったらいいのか、という疑問が湧きますね」という問題提起文が挟まれたりとか。そんな、森について詳しく考えてなかった。

 というように、問題に対して提示される主張はどれもごく穏当で、「究極の~」というタイトルの大仰さや、本人の炎上イメージから予想したような過激な主張がないのがまず意外な点でした。(もちろん「過激な主張がない」イコール「すべて妥当な主張である」ということではないです。たとえば上に挙げたうつ病原因論などは本来ならもっと議論が必要なんでは?と思います)

 

 

■ 「科学的根拠」と謎の万能感

 本書は、「主張が提示される→その根拠となる研究が紹介される」 という繰り返しで進むスタイルです。たとえば、上の「自然の中を歩く」という方策は、スタンフォード大学で2015年に行われた研究に基づいているということが紹介されています。たぶんコレ( Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation | PNAS)かと思われますが、学術書ではないからか参考文献表などはついておらず、中には「科学的にも証明されています」という記述だけの事項もあります。

 「先行研究となる論文を示して自分の主張を支える」というのはyoutuberとしての彼のスタイルでもあるようですが、ネットを検索すると、氏の論文の引用の正確性を批判している人もあります。ここで、本書でとりあげられている研究をきちんと検討するなどできれば、本ブログにも与太以上の意義があるのですが、私が熱意と能力に欠けるためしません……すみません。不安になりやすい人の脳を対象にしたデューク大学の研究(これ?: Prefrontal Executive Control Rescues Risk for Anxiety Associated with High Threat and Low Reward Brain Function - PubMed (nih.gov))を、「不安脳」を定義した研究としていたり(p.52)、だいぶポップに要約してはるんやろなとは思いました。他、「報われない努力を続けるよりも、環境を受け容れるほうが大事ということを検証した」(p.112)というジョンズ・ホプキンス大学の研究はこれ(https://psycnet.apa.org/record/2015-31297-007)かな? と思いますが、アブストラクトによるとたしかに一次的コントロールと二次的コントロールが well-being に及ぼす影響の違いを明らかにしているようだけれど、「環境を受け容れるほうが大事ということを検証した」と要約してしもてええんやろか? と気になりました。アブストラクトしか見られてないのであれですが……。(これ、ネットを検索すると、同様の表現をしている記事がいくつかひっかかります。DaiGoさんを元ネタとして広がってるんでしょうか、ネタ元が同じなのでしょうか。中には「ジョンズホプキンス教授の論文では~~」としているものもありました。) しかし、引用や要約の正確性については自分もあまり自信のないところであり、こないだ用があって昔書いたものを見返すと文献注が間違いまくっててショックを受けました。正確な引用て難しいよねという一般論を以て自戒としたいと思います。

 

 ともかく、その引用の仕方には批判があるらしいとはいえ、先行研究を援用して主張を述べるという形式は「科学的」な印象を与えますし、著者もまた「エビデンス」を重視していることを各所で示しています。つまり、「科学的な根拠を挙げながら主張を述べる」という形式の点でも、そこで主張される内容――先ほどの「自然の中を歩こう」の他にも「不安をモチベーションに変えよう」であったり「バイアスが強いと人生のいろんな面で損をする」であったり――の点でも、穏当な本という印象です。しかし、その中で突然誇大的な万能感に導かれることがあるのが、本書で最も面白かったところでした。

 私が面白かったのは「筋トレ」の話です。現実的な自己効力感をもつことが重要であるという話の中で、著者は、「その流れでいうと、体を鍛えることもすごく大事です」(p.73)と自分の体験を語ります。それによると30歳前に筋トレを始め、自分は運動神経がないと思っていたが努力や技術でクリアできることが分かったとのこと。運動苦手人間には良い話ですね。

「自分の体を自分の狙ったとおりに変えられると、『変えることができた』という感覚がほかのチャレンジにも影響します。仕事も変えられるように努力すれば、自分の人生はもっとよくなるという自信につながります。
こうなれば、もう何でも変えることができます。」(p.74)

 

 な、何でも!!?? 

 筋トレで着実に体を鍛えていくことで自己効力感を上げる、という現実的な話から、ひと足とびに「何でも変えることができる」に! 突然の万能感! その後「ちなみに、科学的にも、自信をつけるためにいちばん簡単でわかりやすいのが、肉体を変えることだといわれています」と付け足しのように「科学的」が出てきます。

 また、「超常刺激」(=人間の脳が処理しきれない刺激、ジャンクフード、インターネット、ポルノ、ブルーライトなど)を減らすという話では、こうしたものへの依存傾向はセルフコントロールの問題とされ、やはり運動が勧められます。


「セルフコントロール能力をいちばん簡単に鍛えることができて、見た目も変わり、超常刺激の問題をすべて解決できるのは運動です」(p.100)

 たしかに運動がセルフコントロール能力を鍛えるというのはそうかもなあと理解できる気はしますが、「超常刺激の問題をすべて解決できる」!? そうかなあ……スポーツ選手で薬物依存とか性依存とかの人もいはるやん……?? 

 そしてこの感じ、何か既視感があると思ったら、ダイエットをしていたときの自分の思考にそっくりなのでした。だからこそ気になったのでしょう。私は長年のダイエッターであり、過去に10kg減を達成したことがあるのですが、そのときの「痩せればすべてが変わる」という高揚感をよく覚えています。自己の身体の変革と世界の変革が直接結びついてしまう感じ。ここは、もしかしたらそんな高揚感を経験した著者が思わず筆がノッてしまったとこなんかな、と想像しました。同時に、その謎の万能感が、「自己啓発」的なものが人を惹きつける要素の核であるのかもしれません。自己啓発とは、周囲でなく自分を変えることで上手く行くという思想であるわけですが、自分を変えることの核にあるのが身体の変革です。私は10kg減を達成したときは、努力をしないで不平を言っている人が「なんでしないの?」と不思議に思えたものです。前々回、なんで自分は「自己啓発本」が嫌いなのか、ということを延々書き、やらないものをバカにするところが嫌いなのだと書いたのでしたが、まさにそれと似た心性を、自分もダイエットにおいて経験していたのでした。

 ところで、その「自分を変える」ということに関連してですが、本書でも「ニーバーの祈り」が登場しました。「アメリカの神学者倫理学者ラインホルド・ニーバーさんの『ニーバーの祈り』という詩の一説(ママ)です」(p.117)とニーバーに「さん」付けなのがちょっと珍しいですが、あの「神よ、変えることのできないものを受け入れる冷静さを我に与え給え、変えることができるものを変える勇気を我に与え給え、そして、それらを見分けるための知恵を与え給え」が、一次的コントロールとニ次的コントロールを組み合わせて使う考え方として紹介されています。この「ニーバーの祈り」については、次回に書きたいと思います。

 

 

■ 俗っぽい具体例と「サイコパス

 その他の感想としては、「具体例の中で描かれる人物像がやたら俗っぽい」ということでしょうか。これは私が苦手な点でした。「俗っぽい」という表現はアレですが、なんか典型的な欲望をもった人間しか想定されていない、みたいな……。

 たとえば、「人はやりたいことが見つからないわけでなく、それにたどり着くルートが見えていない」という話では、その話自体は尤もなのですが、

 

みんな、「お金持ちになりたい」「人気者になりたい」「自由な時間がほしい」と言います。やりたいことは見えているわけです。(p.39)

 

 とか。人間の欲望ってもっと多様でないかと思うんですが……まあ別に文学作品でないのでそんな人間の欲望の解像度が高くある必要はないし、あえて単純化した例を挙げているのだとは思うのですが、個人的にはこういうところ(変な人が想定されていなくて皆同じ欲望をもつかのように前提されているところ)が自己啓発本の苦手なところやな、と思いました。

 そんな中で、独自性があるように感じたのは最終章での「サイコパス」についての記述でした。著者はここで、「サイコパス」を一種の理想像として挙げます。後悔や不安が少ない人を調べた研究の結果、僧侶とサイコパスがそれに該当することが分かり、両者とも「いま、ここ」に集中するマインドフルネスの状態にあるのである、と。通常ネガティブなイメージで語られる「サイコパス」をポジティブな文脈で挙げるのが面白いな、と思った……のでしたが、調べてみると、「サイコパス」を理想像として提示するのは、自己啓発界ではあるあるのようですね。これは知りませんでした。なんか発信源があるんでしょうか(日本では中野信子がよく参照されているようです)。

 「よく、サイコパスは他人の感情を踏みにじるといわれますが、じつは自分の感情も踏みにじれます。つまり、自分の感情に左右されず、非常に客観的だということです」(p.213)と筆者は述べています。前回、自己啓発における「感情」の蔑視と昨今の「お気持ち」揶揄について書きましたが、なるほどそうした姿勢の人格化が「サイコパス」イメージなのでしょう。「いまからサイコパスになるのは無理なので、目の前のことに集中する練習をしましょう」(p.211)という一文にちょっと笑ってしまいました。そんな本書はラスト、「鍼やマッサージに行ってもなかなか肩こりや腰痛などが改善しない人は、ぜひ、ヨガを試してみてください」(p.237)というやはりごく穏当な一文で終わっています。めっちゃふつうで穏当な部分と、過激に見える部分(突然の万能感、理想像として挙げられる「サイコパス」)と。この著者が人気者なのは、両者のバランスによるんでしょうか。

 

■ マインドフルネス

 本書を読んだ際の期待として、もうひとつ、「マインドフルネス」自体の歴史や、「マインドフルネス」が自己啓発に取り入れられた過程を知りたい、ということもあったのですが、それについては特に書かれていませんでした。なんぞオススメの本などあればお教えください。