みゅーずの写真

先日、今は遠方に住むお友達と京都の紅葉を見、久しぶりにソワレへ入ったのでした。

観光シーズンで入れないのでは? と危惧したのでしたが、意外にすぐに入ることができて、あの蒼い照明、美しいゼリーポンチ、東郷青児の絵。うっとり。これまでひとりで入ることが多かったから、可愛いもの好きの友人(本人もゴシックロリータな出で立ちで絵画のよう!)と、素敵だ素敵だと言い合いながら色とりどりをいただけたのも嬉しかったのでした。

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京都のこのあたりのカフェはやっぱりいいなあ、ということで色々お喋りしたのでしたが、その中で、みゅーずの話も。かつてソワレのすぐ近くにあったみゅーず。友人は嶽本野ばらさんの本で知ったらしいのですが、彼女が京都に来た頃にはもう無くて残念だったそうで、そうか、みゅーずが無くなってそんなに経つのか、と思いました。閉店してしばらくは「こんなときにみゅーずがあればなあ」と思うことがたびたびありましたっけ。

みゅーずもまた、クラシックな趣の老舗でありましたが、河原町近辺の老舗喫茶つまり上述のソワレ、フランソア、築地等の中では最もお手頃で、長居もできて気軽に使えて重宝していたのでした。勉強したり本を読んだり人と会ったりしていました。みゅーずが閉店した頃にウェブ上にアルバムを作ってたんですがそのサーヴィスもとうに消失しているので、改めてここに懐かしの写真をupしておきます。

 

■ 外観

こんなお店でした。



高瀬川にすぐ隣接していて、窓からその流れが見えたのでした。

 

夜の様子です。大学帰りに勉強しに寄ることもよくありました。

 

桜が咲いています。





 

■ お品書き

懐かしいメニュー表です! 周囲の喫茶店と比べて少しお安かったのも有難かった。

今見るとケーキが350円なんて、なんと良心価格。

今気づいたんですがこの写真、メニューの横に神経症は君だけじゃない」が写ってて笑いました。この頃よく配られたアレです。

 

 

一番よく頼んでいたのはふつうに珈琲でしょう。ケーキが素朴でいいです。

 

レアチーズケーキ。お皿がかわいくて好きでした。

 

普段クリームソーダってあまり頼まないのですが、「みゅーずのクリームソーダはメロン味じゃなくてチェリー味」という情報を得て頼んだときの写真。その情報はmixiのコミュニティで得ました。

 

ココアかな?

 

たぶんヨーグルト系のドリンク。

 

みゅーずのサンドウィッチにはポテトチップスがのっていて、それが何か好きだったのでした。

これは九州へ行った友人と会ったときかな?(友人とはその後疎遠になりましたが近年SNSで再会しました)

どうでもいいんですがこのカーディガンとブラウスは今でも着ています。

 

チョコレートパフェ。フルーツありプリンあり、今見ると理想的なチョコパです。

 

■ 内装・調度など

1階席の奥から。1階は、高瀬川の見える席が好きでした。桜の季節などは特に、特等席でした。

昔は2階だけがみゅーずで1階は違う店だったと聞きましたが、私が通っていた頃には、既に両階ともみゅーずでした。

 

この頃はくまを連れ歩いていた時期なので、くまと高瀬川の写真もいくつかありますね……。

 

2階。

 

奥の席かな?

 

照明が素敵。

 

かっこいいX字の枠。

 

年季の入った感じの柱。

 

椅子? この丸っこいX字の装飾が可愛くて撮ったのだと思われます。

 

こんなお船ありましたね。忘れてました。写真撮っておいてよかった。

 

CD棚。クラシックはまったく疎いので何が流れているのかは分からなかったですが。

 

そしてミューズといえばこれでした! 当時のガラケーで撮ったもので画質が悪いですが。これは「雰囲気五線譜」ではないですね。

 

1階へ降りる階段から。


そうそう、ノートもあったんでしたっけ。

私は今でも喫茶店に置いてあるノートが好きです。おそらく実際には言葉を交わしたことがないであろう常連さんがやりとりをしていたりもして、それを見るのも好きでした。なのに、自分が書いたことがあったかどうかは覚えていないのです。

 

 

■ 最後に行った日

最後にみゅーずに行ったのがいつだったか覚えていませんでしたが、記録を見返したところ、2006年5月8日だったことが分かりました。ナメちゃんと行っていたようです。そういえば。

 

お店の前で写真を撮り合いました。

橋の上に停められた自転車、今見ると驚いてしまいます。当時はまだ街なかの駐輪も、今ほど厳しくなかったのでした。というか、河原町木屋町も今ほど観光客がいなかったのでした。

 

最後はケーキセットを頼んだようです。お皿、色違いですね。

 

最後だとこういうものまで愛しく思えたのか、ゴミの写真を撮っております。ストロー袋がオリジナルだったんですね。

 

当時の記録には「ナメちゃんと行ったので感傷的にならず笑ってお別れできてよかった」というようなことが書かれていました。この後、アホな買い物などして帰ったようです。

 



他にもいろいろ、あの本読んだのもみゅーずやったな、とか、あの人とお会いしたなとかこの人と行ったな、とか、写真を見ているといろいろ思い出してきましたが、忘れてしまっていることもたくさんあるのでしょう。

そんな中、忘れられない思い出のひとつは、卒論の〆切前の出来事です。

当時、個室がなかった実家は常に商売で騒がしく、私はいつも適当な店で執筆をしていましたが、その日は年末で閉まっている店が多く、みゅーずへ辿り着いたのでした。みゅーず開いてた!有難い~~!! と陣取ったのはたしか二階の南側の席。周囲には似た事情を抱えているであろう学生ぽい客が複数いました。さあ卒論に集中しよう、と思いきや、隣の席にがやがやとやってきた男女によって突然静寂が破られました。どうも彼らは、若い男性芸能人二人とインタビュアーとカメラマンであるらしく、その席でインタビューが始まってしまい、その声が異様にでかい!  さすが業界人、テレビカメラが回っているわけでもないのにテレビの前で喋っているかのような騒がしいボケ&ツッコミを繰り広げ、よって否応なしにその声を聞くことになり、誰だか分からないその男たちが「意外に甘い物が好き」だとか「男を立てる古風な女性が好き」だとかいう不要な情報を耳に流し込まれてなんだか疲れ果て、その日はほぼ何も書き進むことなく終わったのでした。

その日は、聞かされ続けた会話の中で、その男たちの名が「ヨシダ」コスギであった、ということだけを覚えて帰りました。

その三年後、やはり年末、私は今度は自宅で修論を書いており、ノートPCをカタカタやっている横で家族が年末番組を観始めその中の芸人の声が喧しくてああもう……とテレビを観ると、彼らはなんと、「吉田」「小杉」と呼ばれているではありませんか。ここで遭ったが100年目(実際は3年目)! この人たちだったのか! ブラックマヨネーズ!!

 

という思い出です。

なんとなく勝手にこのときのことを根にもっていて――根にもつも何もブラマヨは普通に喫茶店でインタビューを受けていただけなので別に何も悪くないのであるが――、「どうせあんなやつら面白くないはず!」と思い込んでいたのですが、その後なんかの番組でたまたま彼らがネタをやるのを見、あ、みゅーずのやつや、と見始めたらばなんやおもろいやんかーー!! となぜか意味もなく悔しかったのも良い思い出です。今調べたらブラマヨは2005年にM-1で優勝しているらしいので、私が遭遇したのは(2001年)ブレイク前の貴重な時期だったのでしょう。

 

みゅーずの建物は今も同じ場所に残っていますが、今は焼肉屋さんが入っています。