生理用品ミシュラン十一章・巨!40cmナプキン篇

前回:


前回は初心に戻って再会生理用品をレポしましたが、今回も、更に初心に戻ってナプキンです。最近ついに、40cmの巨大ナプキンを使ったのでした。

世間のナプキンが年々巨大化してゆく傾向は感じておりましたが、私は出血量多め人間であるにもかかわらず「夜用ナプキンでも30cmまで、できれば29cm」という謎こだわりをもってきました。理由としては、

・いうてもそこまで長くなくていい(吸収力は欲しいが長さはそんな要らんのでは?)

・嵩張るし夏は暑そう

・高価

などが主なものでしたが、巨大ナプキンに美学的にみっともなさを感じていた面もあったかもしれません。

 

月経もそれに付随する処置も嫌で嫌でしょうがなかった10代前半の頃、生理用ナプキンについて、「なんでこんなおむつみたいなもんをつけなあかんのか」というのは大きな不満でした。ほとんど屈辱っていうか。10代前半といえばリアルおむつ時代から10年も経っていないので余計やったんかもですね(?)。ナプキンがウザ過ぎて、いっそつけなければいいのでは!?とノーナプキンで出かけ血まみれで帰ってきたこともあります(考えれば分かることなのですが私は今でもそういうアホな試みをよくします)。

 

巨大ナプキンといえば、2004年に刊行され話題になった三砂ちづる著『オニババ化する女たち』で言及されていたことが思い出されます。

この本は、当時ベストセラーであった酒井順子著『負け犬の遠吠え』のアンチのような形で話題にされた記憶があります。性や生殖という身体性を軽視するようになった現代女性への警鐘の書であり、思うところはいろいろあるのですがそれは省略して、なんだかんだこの本で多くの人が強いインパクトを受けたのは、「昔の女性は経血コントロールができていた」という主張だったと思います。つまり、現代の女性は生活環境の変化や身体意識の変化によってできなくなったが、昔の女性は「垂れ流し」の状態ではなくある程度自分の意志で決まったタイミングと場所で経血を排出することができていた、という話でした。

どこまで一般的な事実なのかは(たぶん議論があるんでしょうが)よく知らないので措いておき、また、この話が今日でもツイッタなどで「昔の女はできていたことができないなんて現代の女は甘やかされてるなあ」的言説に引用されているのを見るとアーアと思ったりもしますがそれも措いておくとして、当時印象的であったのは、主にフェミニズム的観点からこの本を批判する人の中にも「経血コントロールの話だけはよかった」「経血コントロールのところだけ役に立った」という感想が見られたことでした。身体制御への志向は、かくも強いものであるなあと思いました。2010年代に入ってから身体(やその他諸々)のままならなさを前提にした言説がぽつぽつ表舞台に出てきた印象をもっておりますが、「女性の解放=社会的・経済的・身体的自立」観がまだ根強かった時代を生きてきたわれわれにとって女性も自らの身体を制御する能力を有しているのだとする言説は魅力的だったのだと思います。

 

なんかめっちゃ話が逸れましたが、その経血コントロールの話の中で巨大ナプキンがdisられていたのが印象的だったのでした。どんなふうに書いてあったっけと今見返してみたらば「(※経血コントロールができていた頃は自然と夜には経血が止まっていたという話を受けて)そう考えると、あのおむつのように大きな『夜用ナプキン』はいったい何のためなのでしょう」(p.71)という一文があったのでたぶんこれだと思うんですが、この一文が、私が巨ナプを避けてきた呪縛のひとつになっていたのかもしれません。三砂さんは、そうした生理用品が出てきたから女性の身体感覚が失われたのか、あるいは、身体感覚が失われたからそうした生理用品が出てきたのか(鶏が先か卵が先か)は分からんとしていますが、とにかく経血を垂れ流し生理用品に頼る傾向を嘆かわしいものとしています。別に三砂ちづるにそんな影響を受けたわけでもない私が、なんでそのナプdisにそんな囚われてたんかといえば、やはり月経初期時代の、頼んでもないのになんか厄介なもんが垂れ流れてごわごわしたものを装着しないといけない、こんなんみっともないわ、みたいな恥の感覚と響き合うところがあったからやと思います。

 

 

……さて前置きが長くなりましたが、先日人からナプキンを分けてもろた際に、それが40cm巨大ナプキンでして、ついに私も40cmデビューしました! 商品は「ロリエ 朝までブロック」ってやつです。

開いてみて思わず「長っ」と笑ってしまいました。多めの日の就寝時に装着しました。感想は、快適。月経時、寝がえりを打ったりうつ伏せになったりできずに仰向けで硬直して寝る、という人は私以外にもいると思いますが(漏れを防ぐため)、ちょっと硬直から自由になる感じでした。月経時は「就寝前のうつ伏せ読書」ができないのが淋しみでしたが(前モレを恐れるため)、さすがに40cmあると後ろをしっかり守っても前モレの心配もない! うつ伏せ読書ができる! 肩こりと目にはよくないらしいけど! 

そんな長さ要らんやろと思っていましたが、まああると安心で、一晩寝てもちょっと余裕があるので起きて「おっとと」と慌てながらトイレに行かなくてもよい。そういえば10代の血気盛んな頃は、夜は二枚重ねにしたりと苦労していました。当時はトイレがほぼ離れのような場所にあり部屋からも遠かったので。当時の自分に分けてやりたいなって感じです。「昔の女性はできていた」のだとしても、今できない人がいて、40cmを必要とする人がいるなら、これはよきものではなかろうか。生理用品がおむつでドコが悪いねん(男がしゃべりでドコが悪いねん)、というか、おむつの何があかんねん。

 

身体制御言説は依然魅力的であり、そこに含まれる自分の身体と向き合うという意義には一定の共感を覚えますし、制御の成功で快適になる人がいるならそれはよいことでしょうが、現在の私はどちらかというと、やはり人間はいろいろ垂れ流すものであるという立場に立ちたいというか、むしろ垂れ流す身体に向き合うことのほうが自分を救う課題である気がしており、40cmの君よ、今まで不当に蔑視していてすまんのうという思いを込めて星4つ。★★★★☆

 

※巨を忌避してきたわたくしですが、実は完全おむつ型も過去にレポしております。こちらはちょっといまいち……でした。